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味論出典: フリー酒場事典『サカペディア(sakapedia)』
味論(みろん、1979年5月23日)は、日本のサカバ―であり、酒場ナビのメンバー。酒場総合塾(第一期生)所属。 略歴生い立ち1979年5月23日、東京都世田谷区で出生、千歳船橋に家族と住む。2年後に東京都三鷹市、それからさらに1年後両親の実家がある秋田県秋田市へと移り住む。 そのまま秋田市で育つが、中学生になると『ガンマニア』となりエアガン、サバイバルゲーム用品などに数十万円を費やすようになる。高校受験はせず自衛隊への入隊を希望したが、両親親戚の猛反対により断念。しかし高校進学にまったく興味がなく、元々得意だった絵を勉強するために美術専門学校へ受験するが不合格となる。 その後、進路相談のために母親と一緒に担任教師の元へと行くが、まったく高校受験をする気がなかった味論は、面談中に担任教師が出した高校受験情報誌の最初のページに載っていた『秋田県立金足農業高等学校』へ受験を決めた。結局一度も受験勉強をしなかったが高校には合格し、晴れて高校生となった。 高校生時代1995年4月、高校生活が始まったがまったく友達が出来ず、また作ろうとも思わなかった。一年半以上、殆ど高校では誰とも喋らずひとりでいたが、席替えをきっかけに高校生初の友人が出来た。今までの反動からかその友人数名と昼夜、他校問わずに『女遊び』に嵌る。一般的な家庭に比べ、あまり両親はうるさく言わなかったが、警察沙汰になるような非行は行わなかった。 そんな高校生活を続け、高校3年生になると所謂『ビジュアル系バンド』に興味を持ち、従兄弟が持っていたギターを借りて毎日6時間以上ギターの練習をした。数ヵ月後、念願だったビジュアル系バンドを幼馴染ら4人で組むことになる。 しかしバンドは組んでみたものの、一体なにをすればよいか分からなかった。高校ではバンドをやっていることを周りが知っていたため、「文化祭でベースを弾いてくれないか?」と頼まれたが、『自分はギターでバンドを組んでいる』という無用なプライドから参加することはなかった。その後、何度かコピーバンドでライブに出演し高校を卒業、家族親戚が美容師家系ということもあり、東京の美容専門学校へ進学する。 上京・バンド活動1998年4月、上京後すぐに友人も出来て問題なく学生生活を送る。1年生の夏休み、帰郷した際に地元のバンドメンバーと本格的にバンド活動をすることを決意。しかし、ギターの味論とボーカルの2人が東京、残りのベースとドラムの2人が秋田に住んでいたため、東京組みが夏休みや冬休みなどの長期休みの時に秋田へ帰郷した時のみ活動するといった特異なバンド活動であった。 専門学校の在学期間が2年であったが、最初の夏休みに帰郷した際に行ったライブで手応えを感じ、東京へ戻ったあとは学業そっちのけで作曲などの音楽活動に専念する。特異なバンド活動だっため1年間にライブを行えるのは10回もなく、さらに会場は秋田市限定と通常ならまったく相手にされないバンドだったが、ボーカルのMC力と偶然知り合ったイベント制作会社を運営する人物『T氏』のバックアップがあり短期間の間に動員数を増やすことになる。 1999年、初のイベント主催ライブを遂行、300人を動員させる。その後、前出の『T氏』が出演していたABSラジオ(ABS秋田放送)の番組に生放送を含め数回参加、秋田市文化会館にて秋田県主催の音楽イベントに出演等、活動の場を広める。この時期になると、ライブ出演や作曲活動、メディア参加等に限界を感じはじめ、もはや専門学校には出席をするだけであり、東京秋田間という長距離も活動の弊害となっていた。 2000年、秋田組2人は環境的に東京に来ることがが難しかった為、味論とボーカル2人で活動拠点を東京へ移す。しかし、初ライブを江古田「クラブドロシー1」で行うが、客が1人という散々な結果となる。その後、何度かライブをするも急速に活動意欲がなくなり、結果的に自然消滅となる。 『新宿アルタ』裏にある漫画喫茶(現在は閉店)にてアルバイトを始めるが、そこで酒場ナビメンバーのイカと出会う。それまでは殆ど酒を飲むことはなかったが、イカや他のスタッフが仕事中に酒をいつも飲んでおり、それに合わせて酒を飲むようになる。「東京に来て悪いことはすべてこの漫画喫茶で教わった」と後日味論は語る。 2003年、漫画喫茶で出会ったスタッフと、2度目のバンド活動を行うも1年ほどで解散。同時期に漫画喫茶のアルバイトも辞める。 酒場ナビ結成2015年1月、酒場ナビメンバーであるカリスマジュンヤと出会う。バンド活動をしていたカリスマジュンヤのライブを見に行ったり、一緒に酒を飲みに行くようになる。 2016年7月7日、『酒場ナビ』のサイトを開設し活動を開始する。 2016年12月19日、イカと初の『関西酒場めぐり』を遂行。 2017年11月28日、イカと2度目のの『関西酒場めぐり』を遂行。 2018年7月4日、イカと初の『名古屋酒場めぐり』を遂行。 2018年11月26日、イカと3度目のの『関西酒場めぐり』を遂行。 2019年1月29日、初の『台湾酒場めぐり』を遂行。 作文との関わり小説を読むのが非常に苦手である反面、子供の頃から文章を書くことが好きであった。特に『論文』が好みだった為か、担任教師には「子供らしくない文」と何度も指摘を受けた。 中学の卒業文集に『学生生活での思い出』という出題で、『理科室の流し台のビーカーに入っていた無職透明な液体を、近くに座っていた同級生の白シャツにスポイトでかけるとみるみるうちに黄色く変色し、『ヒリヒリしてきた』と同級生が言ったのがおもしろかった」という内容で作文を書いた。卒業式にそれが載った卒業文集が各クラスに配られ、在学中に一度も話したこともない他クラスの同級生らからも好評をもらう。 高校在学中に『筆下ろし』を体験した際、女性の股部には合計3つの穴が存在することに衝撃を受けた味論は、卒業の際に配られる卒業文集に『穴3つ万歳!!』という題名で作文を書き提出する。それを見た担任は「この卒業文集は校長も父兄も読むんだぞ!!」と激怒し書き直しを命じられた。 2004年頃、当時流行っていた『mixi』の日記にて過去のおもしろかった話を書き始める。日記をアップすると、mixi内で繋がっている友人らに喜ばれた為、この時期にはじめて文章を書く楽しさを感じたという。 味を表現する文章の描き方は、寺沢大介の『ミスター味っ子』『将太の寿司』から影響を受けている。 人物
書籍
外部リンク脚注
最終更新 2019年4月25日 (木) 23:59(UTC)
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