南橋本「のぶちゃん」芋ネーチャンとホカホカ家族酒場の夜
「この焼き芋、端っこからみんなに回して~」
「女将さん、冬だといつも焼き芋くれるねぇ」
「そうよ! わたしは〝芋ネーチャン〟だからね!」
わっはっはっは!!
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──11月の中旬。
暖かい日が続いていたが、その夜はやけに冷え込んでいた。
この『橋本』という街は、過去に電車の乗り換え程度くらいで訪れたことは一度もない。その程度の記憶で、唯一覚えていたのは、〝工場が多い〟ことだった。
「内陸地なのに、なぜ工業が栄えてるのか……」と、今になって思い出したのだが、〝工場が多い街は、酒場も栄えている〟という独自の《酒場方程式》を頼りに、何気なく『南橋本駅』にある一軒の酒場へと出向いたのだ。
『のぶちゃん』
なんと潔く、シンプルな店構えだ。暖簾が出ていなければ、間違いなくここが酒場だと気づかないであろう、それこそ工場の街に似合う倉庫のような外観だ。
〝本当に……酒場、だよな?〟と《暖簾引き》をしてみると、中からは人の気配、そしておでんの香りが漂ってきたので、意を決して戸を引いた。
「いらっしゃ~い!!」
声でかっ!!
10人程が座れるL字カウンターの中からは、女将さんの大きな声が出迎えてくれた。
「あの……ここ座っていいですか?」
「いいよ! 好きなとこ座って~!」
小柄な女将さんからは想像もつかない声量にたじろぎながらも、目の前におでん槽がある特等席へ座った。
「とりあえず、この肉じゃが食べて~!」
女将さんから、おそらく無料であるお通しの『肉じゃが』をいただいた。同時に「何飲みます?」と訊かれたので、目に入ったホッピーを注文することにした。
女将さんの〝迫力〟にいささか面食らったが、温かいジャガイモは少量ながらも懐かしい家庭的な味付けで、ホカホカと冷えた体に丁度い……
カンッ
「はい、ホッピーここ置いておくよ!」
ホカホカ、甘さ控えめで……
控え目……で、
……えっ!?
《ホッピー》
ち……ちょっと、
ナカ(焼酎)多すぎじゃないか!?
こいつはホッピーを入れた後のジョッキではない、出されたままの状態でコレなのだ。まさに、今は閉店してしまった幡ヶ谷『大黒屋』レベルの《殺人ホッピー》を髣髴とさせるインパクトだ。氷を抜いても、ジョッキの6割以上が焼酎であることは間違いない……
驚く私の表情を見て女将さんは、
「お兄さん、ウチはじめてでしょ!?」
「あっ……はい、そうです!」
返事をすると、横のひとりで呑んでいた先輩が続けて、
「はは、ここの酒はすごい濃いから驚くよね」
と、笑いながら食器入れを指さし、グラスに水を入れておくようにとアドバイスしてくれたのだ。確かにこれは、やわらぎ水(チェイサー)がなければヤバそうだ……
ジョッキにホッピーを入れて……というより、ホッピーの瓶をほんの少しだけ傾けるだけでジョッキは満たされ、それを少し口に含むと「うわっ!!」と声を上げる恐ろしい酒の濃さである。
一口飲む度、この苦悶の表情。これは長期戦になると予感……既にやわらぎ水が手離せない。
『イナダ刺身』
ホッピーでヤられた舌と喉を休ませる為、刺身を注文したのだがこれもまた独特なキッツケ。とにかくその身は細長く、刺身なのに〝すすれる〟のである。だが刺身の質は非常に良く、イナダ特有のプリリとした歯ごたえ、淡白だが上品な味わいが最高。期待を胸に、そのまま次の肴へ。
「おでん、いただけますか?」
「……」
……あれ? 女将さん、聞こえてないのか?
もう一度、女将さんに声をかけようとすると、横の先輩が、
「もっと大きい声じゃないと、女将さん聞こえないよ」
と、またもアドバイスをくれた。なるほどと、私は声を張った。
「たまごとっ! ちくわとっ! はんぺんとっ!……」
「は~い! ちょっと待ってね!」
……どうやら伝わったようだ。苦手な大声を出したので、喉を潤わせようとホッピーをゴクッと飲むと、激濃焼酎であったことを忘れ「ヒーッ!!」とまた大声を出すことになった。
『おでん』
おぉ……これこれ、この薄味のおでん──なんとも懐かしい。人によっては気持ち悪がられるのだが、私の実家ではあまり染みていない薄味のおでんをオカズにして白米を食べていた。もっと言うと、白米の上におでんダネを乗せ、そこへ醤油をかけまわして食べていたという、もはや、おでんでも何でもない『謎料理』だったのだが、それを思い出させる懐かしい味。もちろん、ここではそんな馬鹿な食べ方などせず、ゆっくりと酒肴を愉しむのだ。
「あら、いらっしゃい!! 久しぶりね~」
「旅行に行ってたんだよ。俺はホッピーちょうだい」
「じゃあ、あたしはレモンサワーね」
若い夫婦が店に入ってくると奥のカウンターへ座ったのだが、そこまでの一連の流れが〝子供が家に帰ってきて、母親が晩御飯の支度を始める日常風景〟でしかなかった。少し違うのは、2人共しっかりとやわらぎ水を用意するところである。
「焼き物はね、若女将が来ないとやらないんだよ」
横の先輩がさらに教えてくれる。焼鳥、やきとんの焼き物は、若女将の仕事と決まっているらしく、その若女将は〝来るかもしれないし、来ないかもしれない〟という按配。いや、それくらいの方が楽に呑めるというものだ。
そうこうしていると、うわさの若女将はいつの間にか厨房へ入っており、それを合図に周りの客たちもこぞって焼き物を注文する。私も慌ててそれに習い、やきとんを注文した。
「あら、おかえり!!」
「おっす、ホッピーねー」
やきとんを待つ間にも〝おかえり〟という女将さん独特の迎え方で、客は次から次へと店へ入り満席となった。やはり皆一様に酒を注文した後はやわらぎ水を無造作に用意するところがおもしろい。
『やきとん(タレ)』
湯気の立つところをカブリつけば、どれもこれも〝ムチリ〟とした歯触りが堪らない。タレの絡み具合も申し分なく、これに合わせるのはやはりホッピーが一番……おっと、ホッピーを飲んでいたんだったな、どれどれゴクリ……ヒ──ッ!!
〝それ! 行け行けっ!!〟
〝あ……あ──!!〟
「あちゃー、負けちゃったか」
「こりゃもう、引退だな」
大音量の声援とため息が店内を響かせる。それは私以外の全員の声であり、その原因はテレビから流れる大相撲の結果であった。連敗中で後がない『稀勢の里』のまさかの黒星に、叫び、落胆しているようだったが……私自身、実の家族との団欒でも、ここまで一緒に盛り上がったことがあっただろうか……?
なんだか、この家族に取り残された『末っ子』の様な気分になり、思い切って相撲の話をしてみたのだ。
「ぼ……僕の同級生に〝豪風旭〟って力士がいるんですよ」
「ほんとう? 知ってる知ってるー」
「確か、秋田の金足農業高校出身だよね」
先輩らがすぐに反応してくれた。余談ではあるが、小さい酒場では大相撲をテレビで流している確立が高い為、相撲ネタを持っていると〝武器〟になるので覚えていた方がいい。
反応の良さに、思わず調子に乗ってみたのだが……
「因みに僕、金足農業高校出身なんですよ」
これを言った瞬間、店内の空気が一気に変わった。
〝ウッソ──!? 金足農業出身なのッ!?〟
この年は夏の甲子園準優勝を果たし、日本中を『金農旋風』で席巻した母校のおかげで、どこへ行ってもこの話をすれば持て囃されたが、ここではさらにその上の〝祭り上げ状態〟となった。
「いやぁ~、今年の甲子園は感動させてもらったよ!!」
「金足農業って県立なのに、本当にすごい!!」
「農業高校ってのが好感持てるよね!!」
客どころか、女将さんらまで交えての大盛り上がりだ。中には〝よくそんなこと知ってるな〟というマニアックな金足農業情報まで出てくる始末。
ここまで来ると、実は私が美術部であったことは、永久に封印するしかないのである。
「いらっしゃ~い! そこ、ちょっと席詰めてあげて!」
「ごめんね~」
「いいよいいよ」
こんな酒場、他でみたことがなかった──
この酒場の何がすごいって、やはり『家族』のような〝一体感〟に尽きる。
本当の家族で酒を飲んでいる様な不思議な空間だったが、初めて訪れたこの末っ子も温かく迎え入れてくれる──それは家族の様に唯一無二で、まさに『家族酒場』なのだ。
「この焼き芋、端っこからみんなに回して~」
「女将さん、冬だといつも焼き芋くれるねぇ」
「そうよ! わたしは〝芋ネーチャン〟だからね!」
お母さんの言葉に、みんなが笑う。
そして、
ストーブの焼き芋は、
また、次の家族の帰りを待っているのだった──
のぶちゃん(のぶちゃん)
住所: | 神奈川県相模原市中央区南橋本3-5-1 |
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TEL: | 042-773-4859 |
営業時間: | 17時30分~22時30分 |
定休日: | 日曜日 |