はじめての町と酒場は不思議だらけ!大津「利やん」でワンダーノンダー
はじめてその土地に立った瞬間、今まで感じたことがない〝水の気配〟に包まれた。感覚から察すると、海が近いはずなのだが肝心の〝磯の香り〟がしないのである。
『琵琶湖』
滋賀県を代表する日本一大きい淡水湖だ。秋田出身の私でさえ、この遠く離れた湖のことはよく知っている。駅を降りてから感じていたのはこの淡水の気配だったのだ。わが故郷の秋田には、日本一深い『田沢湖』や、湖を埋め立てした『八郎潟』もあり、割と湖とは馴染み深いのだが、そのあまりの巨大さ故、私の知っている湖とはまったく異なるものであった。
不思議だ……いや、不思議だなぁ。フェリー乗り場まで足を運んでみたのが、港の岸壁で深呼吸してもまったく〝磯の香り〟がしないのだ。特に私は港町で育ったので、これは本当に不思議に思えた。
はじめての都道府県では、そこで一番栄えている県庁所在地を目指すようにしている。滋賀県の県庁所在地でもある『JR大津駅』へと向かい、駅の周辺を散策していたのだが……またもや、不思議なことがあった。
何もない……のだ。いや失礼、何が言いたいのかというと、これまでの私の経験だと、県庁所在地の名にあたる駅周辺は、どんなに田舎でも大小問わずして商業施設や繁華街、お寺にお城など、密集して建物があるはずなのだ。
駅周辺はいくつかマンションはあるが、駅裏には至近距離で山が見えて、人の気配もほとんどない……。昼飯にとラーメン屋を探したがなかなか見つからず、結局駅の中にあったチェーン店にした。「あれ、滋賀の県庁所在地って大津じゃなかったっけ?」とウィキペディアで確認したが、やはり県庁所在地はこの大津駅だ。
不思議だ……いや、不思議だなぁ。まぁ、世界には首都より大きな都市というのもあるが、あの大都会『京都』から電車でたった10分でこの差とは……
とにかく、この町でちょっと一杯飲ってみたいが……これは、ちょっと気合を入れた方がよさそうだ。地図や食べログで調べながら、またしても町を彷徨い続ける。それでいて、こんな時に限って満席や休業中だったりする。一時間くらい歩いて、結局また駅へと戻ってウロウロしていると、やっとめぼしき酒場の気配を感じ取った。
薄暗いなぁ……ただどうも、この細くて長い雑居ビルの奥にそれを感じるのだ。
『利やん』
まさしく〝こんなところに?〟と思える渋めの外観を発見。いい褪せ方をした藍暖簾からは、どことなく安心感が漂う。完全なるはじめての県庁所在地とその酒場に、ドキドキと武者震いをして、いざ入口のアルミドアを引いた。
カラカラカラ……
「あのー、営ってますか?」
「ええ、どうぞ」
おおっ、いい眺め! 左手に五人ほど座れるカウンター、右手には4人掛けが2卓と、かなりこぢんまりとしているが、民芸風の照明や壁やカウンターの色味は、ここで長いこと営ってきたのだという証左を示している。
客は他にいない、女将さんがひとりだけだ。よし、カウンターのド真ん中を酒座にしよう。
むむっ、おでん槽が目の前の砂かぶり席!……なのだが、新コロの罪のひとつに〝アクリル板〟を流行らせたことがある。この無機質なアクリル板のせいで、酒場の景観を半減させている。鏡のように辺りを乱反射させて、まったく美しくない。なんて愚痴はさておき、歩き疲れた体を癒す魔法を唱えよう。
ASAHIのラベルにASAHIのグラス、633の親子グラスに泡少なめを並々と。
ゴクンッ……シガンッ……ゴクンッ……、滋賀だろうと東北だろうと、安定のノド越しだ。最近は、酒場のカウンターにグラスを置いた時の〝音色〟を確かめるのに嵌っている。ここのは私の好みで、男の渋さを奏でる和音〝Em7〟だ。きっと、これから届く料理も私の好みに違いない。
メニューを見て、すぐに飛び込んできたのが『牛スジ入り出し巻き』だ。こんな魅力的なネーミングで、頼まない呑兵衛はいない。出す直前に、女将さんがおでん槽から出汁をサッとかけた。同時に甘ぁい出汁の香りが嗅上皮に溶け込むと、悶絶の如し高揚する。
パチリと箸を割って箸先で出し巻きに触れると、0抵抗で箸が入る。まるごと口に運ぶと、やさしい甘さの玉子にコリシコのある牛スジが見事に混然一体となる。めちゃめちゃうめぇぞ、コレ。
淡水湖で青物の『カツオたたき』ですって! なんだか変に贅沢な気分だが、かまわん、淡水魚たちに海水魚のウマさを見せつけてやる。
アブラがノッた重厚なカツオに、ネギをたっぷり、大蒜しっかり、合わせてガブリ。さっぱりとポン酢が効いた新鮮な鼻の抜けがたまらない。キレイな淡水を料理に使っているからか、心なしか清々しい風味だ。
カラカラカラ……
「まいど」
「あら、いらっしゃい」
「とりあえず、ビール頼むわー」
地元住人であろう、ひとりの先輩が店に入ってきた。その何気ない会話で一瞬、箸が止まった。
〝あれ? 滋賀ってもしかして〝関西弁〟なのか……?〟
そういえば、大津に来てから誰とも会話をしていなかったが……
「外の電気、点いてないで? 休みやとおもたわ」
「ほんま? 気づかへんかったわ」
「それと、おでんな。大根と、ジャガイモと、ちくわと……」
「子供みたいなんばっかやなー」
「別にええやんか」
間違いない、滋賀県て関西弁なんだ……!! 滋賀県民からすると〝当たり前やろ〟と言われそうだが、私以外にも特に東北人出身ならこの驚きを分かってくれる人は多いはず。ずっと中部や北陸寄りの文化圏だと思っていただけに、目から鱗だった。理解はしたけれど何だか不思議だ。
関西弁の飛び交う土地の『おでん』に、不味かったためしはない。ここは先輩を真似して頼むしかないだろう。急に〝関西に居る〟という実感が湧いてきた。
ズズリと出汁をすする──うんめぇ、関西出汁の上品な甘さが心地よい。出汁が大根に深く漬からずあっさりと、関東ではマイナーな牛スジは、さすが本家・関西の出来栄え。ハンペンも出汁の甘さがちょうどよく沁みり、5枚は余裕でイケそうだ。
そして『しょうが天』。ひと口やれば、まるで〝焼きたてのパン〟のようにモッチリとした食感がたまんねぇ。そこへ紅しょうがの酸味がキュッとしたアクセントでグッド。コイツだけでもテイクアウトできないかしらん。
「関東のおでんて、どないやろ?」
少し前に入ってきてテーブルに座った、男子二人客のひとりが言った。
「めっちゃカライんやろなぁ」
それにもうひとりが応えた。フフフ……関東のおでんはカライぜぇ? 東北なんてもっともっとカライっぺよぉ?と、私も反応したかったが、奥手の東北男子はモジモジとするだけで、このまま酒を飲り続けるのが丁度いい。
やはりはじめての土地では、酒場へ行くのがいい。観光案内所や郷土資料館では教えてくれない、その土地のありふれた日常というリアルが、酒場では感じることが出来るのである。
今宵、はじめての滋賀での一献。まだまだご教授と願いましょうと、酒場に耳を傾けるのだ。
「スズヤのパンもうたんやけど、いる?」
「え、ほんまに? いるいるー」
余談ではあるが、大津はパンの消費量が日本一だとか。磯臭くない港、都会じゃない県庁所在地、思いのほか関西弁……それから、日本一のパンの町だって?
やはり、私にとってはちょっと不思議な町でござんした。
利やん(としやん)
住所: | 滋賀県大津市末広町2-3 |
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TEL: | 077-525-2712 |
営業時間: | 17:30~00:00 |
定休日: | 日曜日 |