中津「きった酒店」イエス、中津クロニクル
酒場ナビメンバーのイカには『酒場の師匠』と呼ぶ人物がおり、名は『松本さん』という。
神戸市出身である松本さんの関西においての酒場知識は膨大であり、イカにとって今の酒場人生の指南をしてくれたのがこの松本さんなのだ。
昨年の2017年11月に、イカと一緒に通算〔二度目〕の〝関西酒場めぐり〟をしたのだが、一度目に引き続き、今回もこの松本さんが顔を出してくれて、大阪の酒場を紹介してくれたのだった。
「この先に、ええ感じの角打ちがあんねん」
「ハイッ!! ワイらどこでもお供しますやさかい、なんなりと!!」
イカは、松本さんの前でかなり〔上下関係〕を重んじる。松本師匠の発言には毎回それは五体投地の如く、まるで戦時中の日本陸軍の上官と部下のようである。
そんな松本上等兵と向かった酒場は、『中津駅』から程近い大通りの交差点に面していた。
『きった酒店』
妖艶の中にも佳麗さを感じる印象的な紫の暖簾を前に、上官と部下ふたりの三人はゴクリと唾を飲み込み、鼻息荒く暖簾をかぶった。
渋いっ!!
何より目を引くのは、形容し難い入り組んだカウンターの形。あえて『○字カウンター』と呼ぶのであれば……『卍カウンター』とでも言っておこう。
そして、関西地区ならではの〔上方センス〕たっぷり、『まじ卍』な装飾品たちが出迎えてくれる。
ドラちゃんのポケットには間違いなく入っていないであろう『酒場マラカス』や『強制禁煙札』──ほんとうに関西人てのはこういうのが好きである。
「松本上等兵殿との再会を祝して……乾杯!!」
イカ三等兵の掛け声と共に〔酒ゴング〕が鳴る。もちろん、この時のゴングはヘルメットに九八式柄付手榴弾を叩きつけて鳴らす風にだ。
そして、ド迫力の〔おばんざい〕の中から気になる子を意気軒昂と選ぶ三人の立ち飲み兵士。
『いわしの甘露煮』
完全手作り……であるかは分からなかったが、なんにせよ、この見ただけで〔繊維質〕を感じる『デカ生姜』の存在が堪らない。ちょうど体温と同じくらいの温もりのいわしに、甘さ控えめのあっさりとした味付けが上品。そこに強めの生姜が効きに効きまくっているのだ。
『高野豆腐の玉子あえ』
ジュワァリと高野豆腐のお汁さんが口の隅々までに広がり、そのお汁さんがスクランブルエッグ状になった玉子を優しく……というのは私の『想像』であり、イカや松本上等兵にはここで初めて明かすが、私はこれを食べていない。
なぜなら……写真にも玉子の間から厭らしく見えているが、私は超が付く『グリーンピース嫌い』なのである。それは〝退かしたらいいじゃん〟というレベルではなく、〝グリーンピースと混ざった〟という理由だけで、一緒になった料理もグリーンピースとして見なし、食べられなくなるのだ。
基本的に私は、食べられないものを「いらない」と断る方だが、人前でこれを言うと「出されたモンはすべて食わんかい!!」とイカが怒り狂うのだ。ましてや、今回はイカの『酒場の師匠』がいる手前、食べないわけにはいかない。
その為、何も言わずに食べるフリをしていたのだ。
……普通にグリーンピースを食べていたこの二人もまた、グリーンピースと見なすべきか……それでもまあ、この渋く落ち着いた店の雰囲気と、我ら三人の再開を祝う事でそれは止めておこう。
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まだまだここで呑んでいたい……と思いつつも、〔上等兵殿〕が持っている武器はここだけのはずもなく、続くはしご酒へと向かうために店を出ることにした。
──すると、
店を出てすぐにイカが暖簾を整えだしたのだ。
「ちゃうなぁ……」
「もっとこうかぁ……? いや──」
どうやら『暖簾検定一級』のイカは、この暖簾の収まりに納得がいかず、何度も調整をしているようだ。
「イカは何をしとんのじゃあ」
「ハイ上官殿ッ!! 暖簾をより美しく──、」
「なんや兄ちゃんら、この暖簾がそんな好きなんかぁ?」
突然、私たちの会話に故郷のおばあちゃんを思わせるような、優しい〔しわがれ声〕が入ってきた。
声の方を見ると、そこにはリアル戦争体験者であろう〔大姐さん〕が立っていた。
「今はこんな殺風景やけど、昔は大きい看板があったんやで」
実はその大姐さん、この『きった酒店』の三代目女将だったのだ。物欲しげに暖簾を見ている私たちに思わず声をかけたとのこと。
そしてなんと、わざわざ当時の看板が写った写真を見せると言い、店の奥から一枚の古い写真を持ってきてくれたのだ。
「看板めっちゃデカいやんっ!!」
「せやろ、昔の店はこんなんやってん。アタシの若い頃はなぁ──」
そう切り出し、今度は立ち飲みではなく立ち話で女将の《その時歴史が動いたーきった酒店ー》が始まったのだが、これがまた面白い話だった。
創業128年。
なんと……明治時代から営業しており、私たちが太平洋戦争ごっこしているレベルではなく、『日清戦争』や『日露戦争』を経験しているという、中津はもとより近代日本の歴史そのものと言ってよい店だったのだ。
さらにさらっと『第一次世界大戦』や『関東大震災』の起こった『大正時代』さえも飛び越えているという……まるで日本史のバーゲンセールである。
女将がここで働き始めた頃、ちょうど店の斜向かいに『馬小屋』があったらしいのだが、とにかくヒンヒン鳴いてうるさかったという話に皆で笑う。そして、その馬小屋で働く人たちが仕事帰りに酒を一杯ひっかけに来ていたのがこの『きった酒店』だったのだ。
元々は酒屋なので、店の前で酒を抜いた木箱のケースをひっくりかえし、それをテーブルとイスにして客は酒を飲んでいたという。馬小屋にはなぜか『土俵』があって、血気盛んな男達が気焔をあげて相撲を取っていたそうだが、おそらくはベロベロの状態で取っ組みあったりもしたのだろう、それもまた女将にはうるさかったようだ。
そして現在、その『馬小屋』とは──
「え!? その馬小屋って『日本通運』だったの!?」
「せやで、昔は荷物を馬で運んでたからなぁ」
この店の近くに住んでいる方はご存知だと思うが、現在は巨大な『日本通運』の倉庫があるのだ。
それを訊いたとき私は、驚嘆と共になぜか、とてつもない〔感動〕を覚えた。
日本人なら誰でも知っている大きな会社の歴史さえも凌駕する……とにかく、それをさらりと言う女将と、そしてこの小さな酒場の『存在感』に感動したのだと思う。
『たかが酒場、されど酒場』とは、まさにこのこと。
思わず、
「また、歴史を残していきたいんです!」
と言って、シャッターを切った。
この写真が、
この酒場のまた新しい歴史に刻まれることを思い馳せながら──
きった酒店(きったさけてん)
住所: | 大阪府大阪市北区中津6-5-24 |
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TEL: | 06-6451-7148 |
営業時間: | 9:30~21:00 立ち飲みは17:00から |
定休日: | 土曜日、日曜日 |