荻窪「やきや」東京三大塩辛はツンデレ和え
YouTubeの動画を観ていると、〝あなたへのおすすめ〟の中に『なぎら健壱』先輩が進行する《立ち飲みのススメ》、といった内容の動画があり、思わずクリックをしてぼんやりと鑑賞していたのが数ヶ月前のことだった。
タイトルや内容、他の出演者などの記憶はほとんどないのだが、ひとつ覚えていたのはロケ地が荻窪の『やきや』であったこと。その店は、立ち飲み屋ながらそのメニューのほとんどが〝いか料理〟という珍しい店で、「へー、変わってるなぁ」くらいとしか思わなかった。
それから少し経ち、古本屋で購入した《居酒屋歳時記》という本を読んでいると、著者の『太田和彦』先輩が〝東京一の塩辛〟と断定した店もまた、その『やきや』だったのだ。
〝そんなにウマいのか……〟
にわかに興味を持ったまま、さらに数ヶ月が過ぎた先日、思い出したように荻窪へと向かったのだ。
『立ち呑み やきや』
ありゃ?
YouTubeで観たのと比べてずいぶん〝小奇麗〟ではないか──まぁ、それもそのはず、動画で観た荻窪駅北口の場所から、数年前に現在の南口へと移動してきていたのだ。因みに、姉妹店の『中野店』も存在する。
外から覗いてみると、立ち飲み屋というよりかはバーの様な照明が灯るシックな雰囲気。若干、拍子抜けしてしまったが、彼の〝酒場の巨匠〟らも肯いたその料理を拝むべく中へと入った
「……いらっしゃい」
一瞬にしてグ──ッと、その独特な雰囲気に飲み込まれた。板場には若い男性店員、手前に女将さんが煙草をふかしていた。
「あの、ひとりです……」
「……」
「どこの席でもいいですか……?」
「……」
出たッ!!
これはもしかして《ツンデレ女将》じゃないのか!?
我ら酒場ナビメンバーはツンデレ女将が大好きで、そのツンデレをツンマミにして酒が飲めるほどだ。
さて……彼女の〝デレ〟は、いったいどこで拝ませていただけるのか。
そのツンデレ女将の影響か、満立ちに近い客数にも関わらず、シン……とした店内。これもひとつの《酒場BGM》と言っていいのか定かではないが、私はドキドキしながら空いていた客の隙間にはまった。
〝わっ、ホントにいか料理ばかりだな〟
板場の上部に掲げられた品書きには、その半分ほどが〝いか〟と書かれており、カウンター上にもいか料理らしき〝おばんざい〟がいくつか並べられている。
すぐに噂の『塩辛』を頼みたいところだが、まずはホッピーで《喉をうがい》してから、〝いか試し〟をする。
『いか刺身』
まず見た目の美しさ。そこら辺のいかにも〝もっちゃり〟したものではなく、痩躯で佳麗な〝いか美人〟という言葉が似合う。カドの立ちまくった切りつけは、サクリと音を出すかのような歯ざわり──濃ぉいいかの味を愉しんだ後──喉ごしひんやり、ツルーっと嚥下──う……うまい……!!
触れ込みの噂は、たちまち現実のものとなった。
この茶色って、一体なんだろう……?
席に着いてからずっと気になっていた目の前の大皿。〝ゲソ〟を煮込んだものだろうが……とても女将さんに訊ねられる雰囲気でもなかったので、しばらく沈思黙考していると、
「バター和えください」
と、近くにいた客がその茶色に指をさして注文した。
〝これって、バターで和えたやつなのか……?〟
色的に疑問を感じたが、私も慌てて《ツマミ泥棒》をして頼んでみた。
「あ、バ、バター和え、こっちにもください!」
「……わた和え、ね」
『珍味わたあえ』
バター和え……ではなく、いかのワタを和えた『わたあえ』だったという聞き間違いに思わず赤面する。だが、目は合わせず、顔は俎板の方だったがしっかり訂正してくれるところはさすがツンデレ女将である。
しょっぱいのかと思いきや、ワタの濃厚なコク、柔らかく煮たゲソが混然として舌で蕩け、それこそ〝バター〟というのもあながち間違ってはいない。そこへアクセントのアサツキを載せたところがあまりにも秀逸すぎる一品だ。
そして、いよいよ真打の登場である。
『塩辛』
何食わぬ顔をしているが、ここまでの料理の実力考えると逆に恐ろしくなる……
ここはエイっ!とパクリ──
モグモグ……酒場の巨匠らを認めさ……モグモグ……せるほどのその味……
────ッ⁉
う……
うまぁ────────ッ!!
……な、なんだこりゃ……
これが、し お か ら……?
ありきたりな表現だが、
〝うまい〟
としか言いようがない。
普段食べている塩辛のいやらしい〝塩っからさ〟などまったくなく、とにかく、いかワタの超濃ぉ厚ぉな味が、口に入れて間もなく、口の中を〝それ一色〟にしてしまうほどのインパクト、インパクト、ディープイカパクト……!!
まるで〝じゅんわぁぁあぁぁ〟と炭酸がはじけるような音を鳴らして舌にワタ味が浸透する。食べたあと酒を飲み、またこの塩辛を食べるとまた同じように陶然する──これが何度も何度も続くのだ。
太田和彦先輩は、はじめて食べたときにはあまりのウマさに〝おかわり塩辛〟したらしいが、その気持ちは実にわかる。塩辛好きはもちろん、逆に塩辛がそこまで好きではない方に是非、食していただきたい。
ひとりで盛り上がっていたものの、ハッと気づけば辺りは静かな空気が変わりなく流れていた。
……そうだった、いか料理はリオのカーニバルの如く派手に騒ぐが、ツンデレ女将が見張る店内は紛争地帯最前線の如くピリついているのだ。
「……」
……静かな酒場。
「……」
……いや、本当に静かな酒場だ。
ここでお経と木魚が鳴っていれば、完全に《お葬式》だ。
しばらくそんな静かな酒場時間に浸っていたが、隣に立ったマダム客が話しかけてきた。
「お兄さん、ここはよく来るの?」
「いやぁ、はじめて来たんです」
ベリーショートがベリー似合う、見るからに上品なマダムは、やんわりとした口調だが多弁なおかげで、ピンと張った酒場空気が少しだけ緩む。マダムは、旦那さんとはじめてここへ来た時にその料理の味に惚れ込み、今ではひとりで阿佐ヶ谷からわざわざバスで通っているほどの立派な常連客であった。
「もうどれくらい通ってるかしら……ね、女将さん?」
「……どうだろうね」
なんと……
あの手強そうなツンデレ女将へ、いとも簡単に話しかける大胆マダム。
「じゃあ、ゲソ焼きもらおうかしら」
「……はいよ」
そんなマダムにも容赦ない〝ツン〟である。同性であろうが同年代であろうが関係ないところもツンデレの魅力のひとつだ。
「はいお兄さん、おすそわけ」
「えっ!? いいんですか?」
マダムはゲソ焼きが届くと「ひとりじゃ食べきれないから」と言って、私の空いていた器にポンとゲソを2本入れてくれたのだ。
しかも……たまたま、わた和えの汁が残っている器に入る。
それを潜らせて食べると……
んまいッ!!
偶然の出会い──焼きゲソの香ばしさと、ワタの濃厚な味わいがベストなドッキング。このウマさとマダムの優しさに感激した私は、思わず旦那のいない今夜この後、マダムとドッキングしようかと思ったり思わなかったり……。
「うまいです! ありがとうございます」
「女将さん、ホントどれもおいしわね」
「……」
無反応かと思いきや、ツンデレ女将がめずらしくこちらに顔を向けて言った。
「ウチのは、全部おいしいよ」
にやりと、
破顔一笑するツンデレ女将。
それを見た私とマダムも、ホッとしたような何ともいえない気分に心が浮き立ったが……
〝わた和えちょうだい〟
客の声に女将さんは、またすぐにいつものツンとした表情で〝わた和え〟を作りはじめたのだ
最後に、女将さんの〝デレ〟と〝和えた〟なぁ。
やきや(やきや)
住所: | 東京都杉並区荻窪5-29-3 |
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営業時間: | 16:00~23:00 |
定休日: | 日曜 |