天下茶屋「和知万酒店」激辛に弱すぎる日本人的メランコリー
「あれっ? あ、ここって酒置いてないんや……」
酒場めぐりをしていると、様々な予定外の出来事があるもので、その中でも一番参ってしまうのが、訪れた店で酒が飲めなかった時だ。酒場ナビの記事では執筆内容のルールは特にないのだが、〝酒を飲む〟という行為がない場合だけは記事にしない。これをしなければ、ただの『ナビ』になってしまうからだ。
『コーヒーショップ マル屋』
関西ローカル番組を観て前から行きたいと思っており、ある日に酒場ナビメンバーのイカと2人で訪れたのだ。場所は、大阪西成にある『天下茶屋』である。
〝酒? 絶対あるやろ〟
〝場所的にあるでしょ〟
と高を括ったものの、さすがはコーヒーショップ、店の雰囲気は疑いなく酒を扱っていそうだったが、度が過ぎるボロボロのメニューには、ビールの『ビ』の文字ひとつさえない。でも、せっかくなので軽食だけを注文した。
うどん200円、アイスコーヒー160円、トースト60円という昭和価格に〝ハイボールもあったら最高なのに……〟という口惜しさを感じつつ店を後にした。
「あー、酒飲みたいわ」
「酒を飲むノドで店に入ったからなぁ」
〝飲めない〟と分かれば余計に飲みたくなるのが呑み助である。こうなったら、コンビニの缶チューハイでもいいから酒が飲みたい。
「イカさん、コンビニ寄ろうぜ」
「せやな……あれ? この飲み屋、やってるんちゃう?」
『和知万酒店』
マル屋を出て、南海汐見線の踏切を跨いだすぐのところにその酒場はあった。まったくの偶然でめぐり合ったその酒場は、とにかく……
細過ぎるッ!!
正面からみると、ごく普通の店構えなのだが横からみれば、大人が両手を左右に伸ばした程度の幅しかない〝激細〟なのだ。なんだか、漫画『おぼっちゃまくん』に出てくる『貧ぼっちゃま』の家を彷彿とさせる……
このサイズで2つもある店の入口の片方から、そっと《暖簾引き》をして中へ足を踏み入れる。
「いらっしゃい」
中も細いッ!!
うなぎの寝床とはこのことだ。その寝床には、まだ午前中だというのに先輩らで溢れ立錐の余地もない。辛うじてカウンターの端がわずかに空いていたので、そこへお邪魔させてもらった。
酒ノドがカラカラだ。まずは酎ハイとレモンサワーを注文、そして激細スペースに合わせるように、脇を締めながらの《酒ゴング》。店内が細いせいなのか、カチンという音色が普通より高音だ。
マル屋ではうどんを食べてきたが、やはり軽くつまみたい。壁に貼り付けてあるメニューを見てみると……あっ!! アレがあるじゃないか!!
『スルメ天ぷら』
大阪のB級おつまみといったらこのスルメの天ぷらである。単にアタリメを天ぷらにしただけで、これ自体大したものではないのだが、これにめんつゆ、マヨネーズ、関西出汁の効いたおでんの汁などを浸して食べるとウマい。関東でこれを出している店を見かけないのが残念だ。
『さんまの塩焼き』
この細い店にはピッタリ、細長サイズの焼き魚だ。しっかりと大根おろしまで添えてくれるのがうれしい。では、さっそく醤油をかけて……
「あ、兄ちゃんら、こんなんあんで」
そう言って、マスターは細い厨房の奥から黒い液体の入ったボトルを持ってきた。
「エッ? なんスかこれ?」
「特製ポン酢や、めっちゃ激辛やで」
『激辛ポン酢』
それは、ポン酢の中に大量の唐辛子が入ったペットボトルだった。飲み終った後のペットボトルを使っているところが〝手作り感〟満載で、それがいっそう激辛の予感をさせる。カリスマジュンヤなら唐辛子エキスを点滴で打てるくらい辛さに耐性があるのだが、正直、私もイカもそこまで辛さに強くはない。
しかし、わざわざ出してきてくれたマスターの厚意を無駄にする訳にもいかない……
「あ、ありがとうございます! 使わせていただきます!」
「兄ちゃんたち、それめっちゃ辛いやつやで」
マスターとのやり取りを見ていた隣の先輩が話しかけてきた。この先輩は、このポン酢の存在こそ知っているがその見た目の〝ヤバさ〟に今まで使ったことはなかったという。常連の先輩さえ手を出さないポン酢とは一体……ただ、先輩はそう言った後、自分の『冷やしトマト』にウスターソースかけて食べていたのにも〝ヤバさ〟を感じないくはない。
それより、このポン酢をどう扱えばいいか……わっ!? 気がつけば、他の先輩たちも〝あの兄ちゃん達、激辛ポン酢使うみたいやで〟という、にわかにザワつきはじめていた。
「えぇぇいッ!!」
その視線に耐えかねたのか、イカが行動に出た。小皿に入れた激辛ポン酢へ、殴るようにさんまを浸して口へ入れた。なんと無謀な中年だ……
「ん、これは……」
そーれみろ、口の中が大炎上して顔が歪み、
顔が歪み、
「……」
エッ!? 無表情!?
(……味論、ちょっと耳かせや)
無表情の中年が、小声で手招くので耳を貸すと、
(これ、まったく辛くないで)
(……は?)
意味が分からなかった。イカはこの唐辛子100%ジュースの様なポン酢が〝まったく辛くない〟と言い出したのだ。
(ほんまやって、全っ然辛くないねんて)
(マジで……? なんで?)
どうやら、嘘を言っているようではない。本来ならここで「おっちゃん、全然辛ないや~ん!」とでも言えば済むのだが、マスターや先輩の自信に満ち合われた表情を見て、イカも躊躇している。
「兄ちゃんどうや? めっちゃ辛いやろ、な?」
「エッ!? あ、あの……なんやろ、その~」
マスターが感想を求めてくる……さて、どうするのか。
「めっちゃ辛いやん!! アカン、口の中が火事やで!!」
うっわ、このオジサンやりやがったよ……しかし関西人といえども、やはりこの男も〝日本人〟だ。ここは体よく相手に合わせるといったところか……
「そっちの兄ちゃんも食うてみ」
ファッ、私も!? 嘘だろ!?
今度は隣の先輩が私にポン酢を勧める。だが、本当に激辛であるならまだしも、辛くもないものを辛いとワザとらしく演じるなど私には無理……いや、絶対に無理だ。
「兄ちゃんも、辛いのイケんねやろ?」
「いやぁ、俺ちょっと辛いのは……」
「食えや、味論」
私を巻き添えにしようと、イカまで勧めてきやがった。くそ……しかたがない、腹を括るか……さんまにポン酢を浸して、
おりゃぁぁあぁぁっ!!
パクッ!!
ん……こ、これは──
本当に、
全ッ然、辛くな──い!!
待て待て、これは辛い甘いの話ではない、ただの『ポン酢』だ。いや、ビミューには辛いのか?……うーむ──
もう一度言うが、私は人一倍辛い物が苦手だ。それなのに、これはまったく辛くない。実は唐辛子じゃなく、小さいピーマンを漬けていたのかもしれないと本気で疑ったが、やはり何度見ても唐辛子が漬かっている。
「どや? 辛かったやろ?」
うわぁ、やっぱり感想を訊いてくるのですね、マスター……
問題はこれだ、どうやって辛さを表現するかである。いっそのこと「全然辛くなかったです」と空気を読まずに言ってしまうか……いやいや、他の客も見ている中でマスターに恥をかかせるわけにはいかない。
結局ここは、先ほどのイカと同じように〝日本人らしく〟対応をするしかない……
「かかかか辛いぃぃぃぃ……!! です……」
精一杯の辛さを表現していたのが……
「お、おぉ……? やっぱり、辛かったやろ、うん」
「味論、辛いやろ、な? 辛かったなぁ」
……この〝スベった〟時に見せる、関西人の哀れんだ表情。だから、ワザとらしいことをしたくなかったんだ……
「先輩も、よかったらこのポン酢使こーてください」
居たたまれない空気に、思わずイカが隣の先輩に激辛ポン酢を勧める。
「いやいや、ワシは辛いのアカンねんて」
「まぁ、ちょっとだけでも……試してもらえまへんか?」
さすがに地元民だし、「辛ないやんっ!!」と言ってくれるのだろうか……あ、そうか、そうしたら「マスター本当は辛くなかったスよ~」とそれに乗っかればいいのか。こうなれば、先輩にもどれだけ辛くないかを体験してもらう手はない。
「辛いけど、すごくおいしいですよ」
「ほんまかぁ? ほな、ちょっとだけ使わしてもらうわ」
よし!! 使え、使ってみて全然辛くないと言ってみんなで笑おう……!! 先輩は、自分の冷やしトマトに激辛ポン酢を数滴たらして食べた。
「あん? これって……」
ほらな!! やっぱり先輩だって辛くな……
「う、うわアカン……めっちゃ、辛いやん……うん」
それを聞いて嬉しそうな表情のマスターをよそに、私とイカは、会計を済ませると店を出てため息をついた。
「〝日本人〟てのは、嫌やなぁ……」
本当は辛いポン酢なのかもしれない……
いや、本当に辛くなかったが、
ぜひ〝日本人〟のあなたの舌で、試してきて欲しい。
和知万酒店(わちまんさけてん)
住所: | 大阪府大阪市西成区橘3-4-5 |
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営業時間: | 12:00~21:00 |