食堂飲みでは必ず〝単品で〟を忘れずに!高級住宅街とスキッド・ロウの交差点「にのみや食堂」にて
好きな言葉に〝光が強ければ影もまた濃い〟がある。言い出しっぺはゲーテなのかバンドボーカルのMCだったか分からないが、とにかく〝その通り〟だなと思える言葉だ。特に大都会における光と影の落差だ。
外国ほどではないが、都会の中心から少し離れたところには必ずといっていいほど治安の悪い地域があり、高台にある華やかな邸宅の麓には大きさを問わずスキッド・ロウがあることが多い。この互いに引き合う必然的な何かに、とても魅力を感じるのは私だけではないはずだ。
大好きなレトロ建築が多くあるという、横浜の山手へ訪れた。いやはや、ここは私のレトロ建築好き史に残る理想郷であった。
みなとみらい線の元町・中華街駅を出ると、すぐに『横浜市港の見える丘公園』に出る。そこへ一歩足を踏み入れると昭和初期の『横浜市イギリス館』や『山手111番館』の西洋建築に圧倒される。
鞍馬天狗で知られる『大佛次郎記念館』には、当時としてはかなりモダンなデザインの書斎に大いに魅了された。
公園から少し離れた閑静な街並みにもレトロ建築が点在し、貿易商の『エリスマン邸』や外国人向けアパートだった『山手234番館』の耽美な内観に終始ため息ばかりついていた。
道中に立ち寄った『ブリキのおもちゃ博物館』は、素人目でも高価なおもちゃだと分かったが、『なんでも鑑定団』でおなじみの北原照久さんが普通に店内にいることに驚く。
おいおい、なぜ今までここに訪れなかったのか……今後、横浜といえば野毛やぴおシティではなく、山手を第一に思い浮かべるに違いない。
気品ある建物と街並みの山手の麓、中村川を境にそこは日本三大スキッド・ロウである『寿町』がある。ドヤ街にはなかなか訪れることはないが、三大スキッド・ロウのひとつである大阪西成が今ほど売れる前に何度か訪れたことがある。そこはかとなく漂う謎の緊張は、どこか不思議な魅力を感じるのだ。
そんな寿町の片隅にあるのが『にのみや食堂』だ。明朝体で〝めし〟と大書されたオレンジテント、飾り気のない外観は自信の表れだ。
店先にあるナチュラル曇りガラスのショーケースには、料理名は飾っていても食品サンプルはないものもチラホラ……いいですねぇ。とにかく、この時点で〝何でもある〟感は十分に伝わる。ツイン出入口のウエストゲートから中へと入った。
「いらっしゃいませ~」
くおっ……すっげーメニューの数! 定食、うどん、そば、鍋、かつどん、天ぷらにお雑煮まである。メニューが多いのだろうと予想をしていたが、その遥か上をいく品数だ。個人的に刺さったのが『納豆定食』だ。納豆をメインとして定食にする発想力、見習わないといけない。
真ん中に長いコの字カウンターがあり、床は明るい緑色。これは……かつて在った『あいりん労働公共職業安定所』の食堂の床の色と同じだ。
カウンターにはソースと醤油のみ、ニコニコ現金払いはこれぞスキッド・ロウ食堂。早くここで飲ってみたい……ウエストサイドのカウンターの奥に座り、まずは酒だ。
食堂のカウンターには、どうしても瓶ビールが似合う。無印のグラス麦汁をトクトクと注ぐ。モッコリ泡に仕上げたところでいただきます。
ごくんっ……ドヤんっ……ごくんっ……スッキリット、ロウンメェェェェ! 平日の昼下がり、お天道様がキンキンに店内を照らす中、背徳心なんて関係ない。ああ、ゆっくりとここで飲りましょうよ。となると、この大量にあるメニュー群から、料理を選び出さなければならない。
ベタに煮込みからか、いや、小さい鍋もいいな。同行者と一緒に吟味して、まずは『天ぷら盛り合わせ』と『八宝菜』、それに『湯豆腐』を選ぶ。それをチビチビやりながら、追加で頼む方式でいこう。
「すいませーん、天ぷらの盛り合わせと八宝菜と……」
「はーい、少々お待ちください」
待っている間はビールを飲みながら、あれがいい、これがいいと品定め……これを食堂でやるのが楽しい時間なのだ。
あはっ、バナナを単品で50円なんてのもあるのか。バナナなんて久しく食べてないから、後ほどデザートとして頼もうか……
「おまたせしまた、天ぷらの盛り合わせと八宝菜です」
おっ! さっそくやってき……って、ええええええええっ!?
定食……!? 天ぷらの盛り合わせ〝定食〟じゃないか!! うわぁ……やってしまった。いや、これは食堂飲みだからこそたまにあることなのだが、〝単品で〟としっかり伝えないと自動的に定食でやってくることがあるのだ。こんなに食べられるかな……いや、完全に私のミスだ。お店にはまったく落ち度はないが、おそろしいのがこの量。天ぷらの盛り合わせを主に、小鉢はゴボウとマカロニサラダ、そしてお新香。
お盆に入りきらなかったのか、サラダとその下には味噌汁が隠れている。
極めつけが、このライスの量。お茶碗にしっかりと中盛りクラスの量。久しくこれくらいのライスを食べていない。いやしかし、この品数と量で千円切るとは、この物価高のご時世ではありがたいことだ。ちょっとだけ胃袋の予定が変わってしまったが、心していただこうではないか。
『ゴボウ煮物』はボリボリと小気味よい歯ざわりで、ほんのり温かく味もしっかりと沁みている。無造作に盛られた『マカロニサラダ』もマカロニにクニャリ感もよく、マヨネーズがしっかりと絡んでおいしい。ソースをかけてライスと一緒にカッ込むのも気持ちいい。
そしてメインの『天ぷら盛り合わせ』だ。エビ、キス、かき揚げ、ナスとしっかりと盛り合わせている。
エビはかなりの太さで、身がブリンブリンのグラビアアイドル系。キスは小ぶりながらも身がしっかりとしまっていて、かき揚げも根菜家の具がたっぷり。
ナスはブ厚くカットされて、ステーキのような食べ応え。
驚いたのが味噌汁だ。とにかく、箸を突き刺せば立つんじゃないかと思うほど具だくさん! 主には大根なのだが、シンプルな白みその味付けがどこか懐かしい。インバウンドの外国人観光客も、こういうところに来たらいい。これが日本のMISOスープだ。
同行者にももれなく定食でやってきた『八宝菜』もいただく。こちらも大皿にたっぷりの量。豚肉、玉ねぎ、白菜などのトロリとした餡が旨そうだ。
豚肉はジューシー、野菜はしんなりとしていて旨味たっぷりの餡がちょうどいい。気が付いたら、酒を忘れてライスがどんどん減る。なんだか、定食でもよかったのかもしれないが、これ以上は腹には収まらない。もっと他にも頼んでみたかったが、まあ、また今度……
「湯豆腐おまたせしましたー」
うわっ! そうだ、『湯豆腐』を忘れていた! まさか……これも定食か?という心配は外れ、こちらは単品でやってきた。定食だと思っていない時代に頼んだばかりに、腹パンでの湯豆腐だったが、これがまたイケる。しっかりと温まった小鍋を開けると、豆腐、白菜、春菊のこちらも量は多いがスタンダードなビジュアル。
濃い目のポン酢に浸してひと口……うまい! チュルリと出汁の効いたスープが沁みており、もはやデザート感覚だ。バナナ、頼んでおかなくてよかった。
「ありがとうございました~」
店を出る頃には、信じられないほどの満腹感だ。あー、高校男児の頃の胃袋が欲しい。もう、酒の一滴さえ入らないとおもいつつ、毎日通う仕事場の近くにあったら最高の食堂であることは間違いない。うん、逆にこれからは定食狙いで飲るってのもアリかもしれない。
何はともあれ、色々な意味で魅力が多いスキッド・ロウの食堂。光の方だろうが、影の方だろうが、こんな食堂はいつまでも在り続けてほしいと、はち切れそうな腹をパンと叩いて願うのだ。
にのみや食堂(にのみやしょくどう)
住所: | 神奈川県横浜市中区松影町4-133 |
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