田沢湖「仙岩峠の茶屋」崖の上のパパとボク、時々、オデン
私の地元、秋田県秋田市から岩手県盛岡市の丁度中間地点に『田沢湖』という湖ある。この湖の特徴は〝日本一深い湖〟であることだ。
その他にも、スキーファンなら知っているかもしれないが、この田沢湖は『たざわ湖スキー場』とういうスキー場も有名で、私も幼い頃はよくスキー好きの父親に連れられ来た思い出がある。
忘れもしない、私が5歳の正月。初めてこの『たざわ湖スキー場』に連れて行かれた時に事件が起こった。私は滑り方などまったく分からないまま一緒にリフトへ乗せられ、上級者コースへ連れて行かれた。何を思ったか、父親はスキーなどまったくやったことのない私を、その上級者コースへと押し出したのだ。
目の前には急斜面、奥には崖も見え、子供心に戦慄したのを憶えている。
「あっ……あ、あ──!!」
ゆっくりと前へ進み、次第にスピードが増す。もちろん、止まり方などわからない。
後ろから父親の声で、
「前には倒れるなやー!、後ろさ倒れ……」
と聞こえた瞬間、グキッと前に倒れて込んでしまった。
「うわ──んッ!! 痛────い!!」
父親は泣きじゃくる私を抱え、病院へ行くために車を飛ばした。泣き止まない私を見かねて、父親は近くのおもちゃ屋へ寄り、『Zガンダム』のプラモデルを私に買い与えた。
「もう一回、クリスマスプレゼントやるがらな」
単純な私はすぐに泣き止み、上機嫌で『Zガンダム』をかかえ病院へ行くと、『右足骨折』だということが判明した。
それ以来、私はZガンダム……ではなく、〝スキー恐怖症〟である。
──時も季節も変わり、8月の一番暑い日のこと。
秋田の実家に帰っていた私は、父親の車に乗り2人で岩手県盛岡市へ向かっていた。盛岡でどうしても行きたい酒場があったのだ。
「もうすぐ仙岩峠の茶屋があるや」
例の『田沢湖』が過ぎたくらいに父親が言った。これも幼い頃の記憶の中にあったのだが、『仙岩峠の茶屋』という有名な『おでん屋』がある。いや……正確には『おでん屋』ではなく『食堂』のカテゴリーだと思うのだが、とにかく〝おでんがおいしい〟ということで『おでん屋』のイメージが強い。
「通り道にあるから寄ってみっがー?」
確か、すごい場所に建っていたような気がするが……かれこれ30年以上前のことなのでよく覚えていない。当時、家族旅行へ行った帰りなんかで何度か寄っていたのを思い出すくらいだ。
夏山の深緑をかき分け、しばらく走っていると山間の何も無い場所に突如、ひとつの古い建物が見えた。
「よーし、着いだやー」
「えーっ!? ここ!?」
『仙岩峠の茶屋』
おそらく地上100メートル以上はあるであろう、その食堂は完全に崖の上にあったのだ。
あ、あっぶね~っ!!
一体どういう経緯でこんなところにこんな食堂を建てたのかはわからないが、にわかに私の幼い記憶が蘇ってきた。
「……そういや、こんな崖に建ってたような……」
「おめぇ、なんも覚えでねんだがー?」
外から見てはっきりと分かるように、崖から〝迫り出して〟その食堂はあるのだ。造りからみるに、これはあえてそうしているのだろうが……
(大丈夫か? 落っこちねーかな……)
子供の頃には思わなかった〝恐怖心〟が過る。そんなことはお構いなしの父親は、さっさと中へと入っていった。
『オメーも、早ぐハイレー』
入口にいた謎の秋田熊にも急かされ、私もおずおずと中へ入った。
うーむ、中はいたって普通の食堂のようだ……
私は床の強度を足で確認していると、店の奥のほうから父親の声が聞こえた。
「おーい、こっちだー」
「えっ!? そこ!?」
先に入っていた父親が座っていた席は、まさに先ほど外から見て〝迫り出して〟いた場所であった。
この店の中では、明らかな〝上級者〟用の席である。
……そういえばこの男、5歳の私を上級者用のスキーコースへ押し出したという実績を持っている……またよからぬ事が起こらなければよいが……
ヒュゥゥウゥゥゥゥ──……
窓は全開な上、古い格子が頼りなく設置されているのみ。崖下の鉄橋には秋田新幹線『こまち』が走っているのが見えた。高所は割と平気な方だが、これはなかなかの迫力。緊張のせいか、カラカラになった口を潤すため、私だけビールを注文することにした。
「ン──ま──い──!!(ン──ま──い──ン……)」
『やまびこ』をしながら酒が飲める食堂は、ここぐらいではないだろうか。だいぶここの高さに慣れてくると、いよいよ懐かしき名物おでんを注文した。
『おでん』
玉子、大根、昆布、こんにゃく、竹輪、さつま揚げの『おでん6英雄』がたったの500円。しかも、一つ一つのネタがでかい! 当時から「出汁の染み具合がすごい」と言われていたのを思い出し、まずは大根をかじると──なるほど、東京、大阪にはない独特の東北うま出汁がじゅんわ~りと口に広がった。テュルテュルと歯ざわりが小気味よいこんにゃく、竹輪とさつま揚げの『練り物隊』の出汁含有率も大根に負けてはなく独特の甘味を醸し出し、東北昆布の磯味濃い目を堪能した後は、ポッコリ玉子をデザート感覚で締める……思わず「うめっけなぁ~」と秋田弁が出てしまった。確かにこれは、何十年も続く〝名物おでん〟である。
「ラーメンも、うめぇや~」
『醤油ラーメン』
父親おすすめのラーメンも届いた。さっそく写真に収める。
「オヤジよ、麺のリフトアップしてくれ」
「リフ……なんだ、それ?」
「箸で麺を持ち上げてくれ」
「……こうだか?」
「違う違う! ……もっと麺が見えるように……そうそう!」
「おめぇ……こんなことやって、何か意味あんのが?」
結婚もせず、酒場ばかり行っている40歳近い息子に、呆れた口調で問う父親。子供の頃から、やりたいことだけやって生きてきた私は、この言葉を何度投げられてきたかわからない。
そんな温厚篤実な父親ではあるが、中学生の頃に一度だけ本当に怒られたことがある──
当時、2歳年下の妹の存在がなぜか異常なまでに疎ましく思っており、それを父親に伝えた時のこと。
「……じゃあおめぇ、本当に妹いらねぇんだな?」
「ああ! いらねよ!」
父親は諭すように私へ訊いたが、私も第二次反抗期の真っ最中だ。
「……んだば、どっかさ妹捨ててくるや?」
「んだ! 早ぐ捨ててけ!」
「この馬”鹿”野郎ッ!!」
殴られはしなかったものの、初めて見る父親の怒りにひどく驚いたのを未だ記憶に残っている──
「はい、ティーズ。……撮ったや、確認してみれ」
「どれどれ……駄目だ、逆光だからもう一回撮って」
「やれやれ……」
私が23歳の時にも、忘れられない出来事がある。そしてその出来事があったのは、奇しくも酒場であった。
当時ビジュアル系バンドをやっていたのだが、年齢的にも経済面的にも限界と感じていた時に、父親がひとりで東京へ出張に来たことがあった。夜に酒でも飲もうかということになり、新宿の安酒場に入ったのだが、父親と2人で酒を飲むなどはじめて。その後も2人で酒を飲んだことがないので、今のところ最初で最後の父親との酒席だ。
まぁ、飲み始めてはみたものの……正直、お互い話すことなどない。
会話に詰まった私は、なんとなく、バンドの話をしたのだ。
「この前、○○さんって有名なドラマーに会ってさー」
「んだ、すごいねが」
父親的には〝そんなことより、早くまともに仕事をしろ〟と言わなければならない立場であるにも関わらず、なんなら、少し興味を持って私の話を聞いていた。それを見て私は、そろそろバンド活動を引退しようかという話もしてみた。
「なんでや? バンドやりたくなくなったのが?」
「いや、本当はもうちょっとやりたいんだけどね……」
その時、
父親はビールをひと口飲むと、未だ忘れられない言葉を言った。
「じゃあ、やればいいねが」
〝やりたいなら、やればいい〟
この、何の変哲もない言葉なのだが、当時の私はなんだかパァッと心が晴れた気がした。それは、子供の頃からやりたいことだけやって生きてきた私を許し続けてきたこの父親だからこそ、説得力があり、より心に響いたのだ。
それ以来、私も誰かに将来の夢、やりたいことの相談をされると同じように言っている。
そして自分へ、
〝40歳独身でも、酒場めぐりがやりたければ、やればいい〟
この言葉を大義名分として、明日も、来年も酒場へ行くのである──
「ほれ、撮れたや。これならいいべ?」
「……うん、良いじゃない」
そんな父親は、いま不倫をしているらしい。
仙岩峠の茶屋(せんがんとうげのちゃや)
住所: | 秋田県仙北市田沢湖生保内近藤沢13-1 |
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TEL: | 0187-43-1803 |
営業時間: | 8:45~17:30 |
定休日: | 水曜日 |