東神奈川「武藤酒店」一見さんでは飲りづらい?『さっくり』恥ずかしいい気分
先日、横浜の反町と東神奈川の間にある『三国屋』という角打ちの記事を書いたのだけれども、これがまた『じっくり』と飲れるすばらしい酒場だった。店内の雰囲気、イスの座り心地、力を入れ過ぎない料理。どれをとっても丁度よく、いつまでも居れるいい酒場であった。
ゴキゲンで三国屋を出た後、さてどうするかとなる。いい酒場に出逢うと、大抵はそのままの気分で帰路につくのだが、この時もすでに4軒目だったので帰ろうかと思案していた。なんとなく歩きはじめ、店の裏にある『東横フラワー緑道』に差しかかった時だ。
(あれ? あのおばさん、まだいるぞ)
〝まだいる〟というのは、実は一時間ほど前、三国屋に入る時にたまたまこの緑道を通ったのだが、その時にこのおばさんと少しだけ会話をしていたのだ──。
〝こりゃ、渋い建物だなぁ~〟
突然現れた昭和のファサード商店建築。雨風に沁みたコンクリートも外壁、店先には瓦の屋根、錆びた鉄扉……看板には『武藤酒店』と書かれており、どうやら酒屋……いや、これは角打ちの店のようだ。間口は大きく開放されていて、中では何人かの人影があった。
「ここ、お酒飲めるよ。飲んでいく?」
興味津々と様子を伺っているところに、前出のおばさんが話しかけてきたのだ。店の前にある緑道の花に水を丹念にかけている……この角打ちの女将さんだろうか。入るのには少し〝度胸のいる〟店構えだったので、そこは一度丁寧にご遠慮して、その後に三国屋へ行くことになったのだ。
──そして三国屋の帰り。そのおばさんはまだ店先で花の手入れをしていた。やはりこの店の女将のようだ。そしてこちらを見た女将さんは、
「あ! やっぱり飲みに来たんだね!」
と、しゃがれ声と共に〝おいでおいで〟と手招きをする。まるで、大阪にある『飛田新地』の呼子さんのような勢い──これはもう入るしかない。私は呼子さんと共に店の中へと入ることにした。
「お客さんだよー」
「あらまぁ、ずいぶん若い子ねぇ」
店に入ると、パイプ椅子に座ったお年寄り……いや、紳士淑女の先輩らがゆるりと飲っていた。一瞬、病院の待合室のような雰囲気に尻込みしたものの、みなさまは温かく迎え入れてくれた。
しかし良い内観である。店内はコンクリ床四畳ほどの空間にこんがりと焼けた壁、業務用冷蔵庫に年代物の雑貨棚。そして、なんといっても『レジ』が凄かった。
なんと、これがレジなのだ。しかも、現役で使用しているというから驚きである。確か、横須賀の『一福』にも同じ物があったが、使用感でいったらあれ以上だ。大体、何が動力で動いているのかも想像がつかない。どこかに電源があるのか? まさか、ゼンマイ式ってことはないだろうが……。
「お酒はね、ここからへんから好きなの選んで」
「ありがとうございます!」
女将さんに説明されるがまま、冷蔵庫から『ハイリキ』を取り出してキャッシュオン、その場でプシュッ! 女将さんは独酌の先輩を端に退かしてテーブルを片付けてくれると、「ここで飲りなさいね!」と至れり尽くせり。有難いが、これはエライところに迷い込んでしまったのかもしれない。
冷蔵庫の横には缶詰や駄菓子の棚があり、選んでいると「カップラーメン食べるならお湯あるからね!」と女将さん。カップラーメンは止めておこうかな……。
「それ、犬にあげちゃダメよ!」
つまみを選んで女将さんに渡そうとすると、店先に向かって声を張っている。おそらく犬を散歩していた知り合いが、飼い犬にお菓子を与えようとしていたのを注意したのだ。その〝迫力〟にどうしていいか立ち尽くしていると、奥から出てきたマスターが代わりに会計をしてくれた。女将さんとは逆に、マスターは寡黙だ。
『サケの缶詰』
このサケ缶、ウマいんだよ。ちょっと値が張るのだが、角打ちに来るとついつい手が伸びてしまう人は多いはず。パキッとフタを開けて、そこに醤油をタラリ2周。ミニフォークを借りて、サクッと挿入。あまりかき混ぜてはイケない、ゴロッとしたサケ身の塊を素早く口に挿れる──ウマい! 淡泊な味わいだが、それに少々濃い目の醤油が合うんだな、これが。
『つぶ貝缶詰』
もう一つ缶詰といきましょうか。これも角打ちでは決して忘れてはいけない缶詰。貝は煮ると硬くなるだけなので刺身が一番なのだが、ここではあえてこの硬さを愉しむのである。パキッとフタを開けると、大粒ツヤツヤのツブ貝が7粒。やはりミニフォークで刺して持ち上げると、蕩りとした甘辛ダレが滴り落ちる。ゆっくりと口に挿れて、口の中のコリシコの快感に浸る。二噛み、三噛み……噛めば噛むほど口中に甘辛を纏ったツブ貝の旨味がジュワジュワと広がるのだ。角打ちで飲る缶詰だったら、こいつが一番好きかもしれない。
紳士淑女の先輩たちは、はじめこそ一見客にザワついていたが、基本的に皆静かに飲っていた。隣客とひと言ふた言話すと、そのうちスッと店を出て行く。すると次の客がスッと入って来て、またひと言ふた言客と話すとパイプ椅子で静かに飲る。……なんだか、この完成されたプロシージャが、大人っぽくて格好よく見えた。何年もの間、この待合室はこうして時を重ねてきたのだと想像すると、胸が熱くなる。
〝ちょっと、そこ席詰めて―〟
〝〇〇さんまたね。ありがとうね〟
〝あはは! そんなの大丈夫、大丈夫よ~〟
〝トイレ? 店の奥にあるから、靴脱いで上がってって〟
そして、この女将さんである。もはや〝職人技〟とも呼べる客捌きは、流石だと首肯せざるを得ない。
先ほどの三国屋が『じっくり』ならば、ここは『さっくり』だ。私も先輩らに倣い『さっくり』と帰ることにした。帰る前にトイレを借りようと女将さんに場所を教えてもらったのだが、これもレジと同じ……いや、レジ以上に凄かった。こればかりは、是非とも自分の目で確かめていただきたい。
トイレから戻り、最後に女将さんへお礼を言って店を出ることにした。
「女将さん、色々ありがとうございました!」
「いやいや……え、オカミサン? アタシが?」
「はい、女将さんですよね?」
「あはは、違う違う! アタシはこの近くの花屋だよ」
花屋だったんかい。
いや……
花屋だったんかいっ!!
こういうことって、たまにあるよね……。
『さっくり』……いや、『びっくり』と恥ずかしさのあまり、その場を急いで離れたのは言うまでもありません。
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武藤酒店(むとうさけてん)
住所: | 神奈川県横浜市神奈川区広台太田町8-4 |
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TEL: | 045-491-0573 |