神楽坂「カド」これぞリアル!戦後昭和の宅飲みを体験できる酒場
私は〝達成感〟というものが人一倍感じやすいのか、何事も一度それを体験しまうと満足してしまい、今後それと同じことをすることはほとんどない。ことに観光地に関しては、よほどのことがない限り行くことはない。楽しかった、つまらなかったがということではなく〝達成感〟に満たしたかどうかなのだ。
そんな達成感を感じやすい私でも、中には何度も訪れてしまう特別な場所がある。それが東京小金井公園内にある『江戸東京たてもの園』だ。
数年前にはじめて訪れたのだが、その〝リアル〟に衝撃を受けた。ここは過去に実際にあった歴史的に価値の高い建物をその土地で解体、そのままこの園内に移築して展示しているという壮大な野外博物館なのだ。
歴史のある町の観光地などへ行くと、当時の町並みを再現したスポットやアトラクションを見かけることはあるが、ここにある建物は〝再現〟ではなく〝リアル〟なのだ。重厚な柱やくすんだ照明ひとつひとつから歴史が滲み出ており、なんといってもそのリアルさゆえ、その当時の〝空気〟まで感じることができる。この空気があまりに生々しく、少し怖くなるほどだ。
鶯谷にある名店『鍵屋』も、江戸時代から続いた酒問屋を移築しており、ここへ訪れていつも思うのが「ここで、飲ってみたい……」である。そのもの建物の造りが、江戸時代と令和ではまったく違う。現存するディープな酒場のそれとは、歴史の経ち方のベクトルが異なるのだ。
もはや、夢物語──タイムマシンでタイムスリップするか、この江戸東京たてもの園内で飲らせてもらう以外、こんな建物で飲ることは不可能だ。
旧家、洋館、あるいは武家屋敷でもいい……どこかに〝風〟ではなく、〝リアル〟な日本建築で飲らせてくれる酒場はないものか。
──時は令和、神楽坂。
〝坂〟というだけあって坂ばかりの街で、一歩道を間違えると〝坂地獄〟が待っている。この日も坂を上ったり下がったりを繰り返していると、住宅街の中に変わった民家の灯りを発見した。
ここはもしや『カド』ではないか? 神楽坂には戦後まもなくに建てられた一軒家の酒場があるとは聞いていたが、こんなところにあったのか。
うーむ、ただ、私は『江戸東京たてもの園』で日本建築には目が肥えている。一見して古いが、中は新しくて機能的だったとうい店は何度も経験している。きっとここだって……まぁ、坂地獄にも疲れたので、ちょっと試してみるか。短めの暖簾を割って、中へと入った。
「いらっしゃいませー」
古民家らしい造りの玄関で靴を脱ぎ、中へ入ると──
へっ……!?
わっ……!?
なっ、なっ、なっ……なんだ、ここは!?
部屋と部屋の間にある襖を外して繋げた、約十畳の畳張りの部屋には、床の間、縁側があり、天井も現代建築とは思えないほどに低い。いくつぶら下がっているこの古い照明も、どこかで見たことがある──そう、あの『江戸東京たてもの園』にある建物と同じなのだったのだ……!!
昭和だ……私は今、戦後まもなくの昭和の民家にいる。完全に、私の欲していた〝リアル〟だ……口あんぐりと立ち尽くしていたが、若いお運びお姉さんの声で我に返る。空いている席はどこでもいいというので、床の間から一番下手の席に酒座を決めた。
なんて名前なのかは分らないが『日本昔ばなし』で出てくる宴シーンのアレ、畳の上へ直に置いた紅い小テーブルだってかわいい。もうね、興奮して喉がカラカラ。一旦、酒で落ち着こう。そして戦後昭和の、まさしく〝宅飲み〟のはじまりだ。
グイッ……カドッ……グイッ──、あ”あ”あ”あ”最っ高。それで、この目の前の絶景よ。
料理もここで頂けるとは、こりゃ楽しみでしょうがない。なになに、コース料理か単品料理を選べるのか。コース限定メニューも気になるが……ここは単品でいただこう。
『牛すじ煮込み』
無骨な小椀に、すじ肉とゴボウ、ネギだけのシンプルな煮込みがいい。お上品な味付けと柔らかなすじ肉が、とろんと舌に蕩ける。日本昔ばなしテーブルの、こんなに低い位置で煮込みを食べるのは初めてだ。でも、なんか落ち着くな。
こんな雰囲気で『マカロニサラダ』を食べるという背徳感! かつて、マカロニサラダが畳の上へ直に乗ったことはあっただろうか。これもあっさりとして、ちょうどいいウマさだ。「お母ちゃん、これなんて食べ物?」「これはね、米国のマカ……ナントカっていうもんだよ」などと、ひとり茶番劇で飲る楽しさよ。
んふぅ……そしてまたこの絶景、歴史が身近でゾクゾクしてくる。玄関の方から突然、テカテカパーマのモダンガールが出てきても驚かない自信がある。それだけ自然でリアルな空間なのだ。
よーし、ここで日本古来の酒、日本酒に切り替えよう。
ホタテフライ、こんなところで『ホタテフライ』だってさ! こいつもここでは、ハイカラで奇天烈な料理だ。サクッと耳触りのよい音と共に、衣の中からは熱々で分厚いホタテがポッコリ。
ウマいねぇ、甘いねぇ! 付け合わせのバターソースを絡めれば、もっとウマいねぇ。フフッ……当時の住人が、こんなのを食べたら何て言うんだろうねぇ。
きゃっ、出たっ! サバの『へしこ』だ! 実はこの『カド』、オーナー親族が福井県出身らしく、メニューのところどころに福井名物があり、何気に頼んだ日本酒も福井の銘酒『黒龍』だ。へしこは、サバ(青魚)を塩漬けにして数年間熟成させた福井の珍味。珍味好きの私でも、意外とこれを食べる機会がなかったが、こんな最高の場所で出会えるとは。では、ひと口。
うんめぇぇぇぇっ!! これは予想以上のウマさだ。ネットリとした歯触りからは、まさしく熟成されたサバの風味と辛み、じーんと、いつまでも舌に沁みる奥深い旨味は珍味中の絶品。これを黒龍で流し込んでやる贅沢さよ。
戦後昭和のイイトコの人たちは、こんな宅飲みをしてたのだろうか……これはある意味、貴重な体験をしているという気がしてきた。
シン……
としていることに気が付く。そのタイミングで、縁側から鹿威しの「コンッ」という音が聞こえてきそうだが、聞こえるのは独酌する音のみ。
へしこを含み、
黒龍で流し、
そして、目の前に広がる、リアルな光景を愉しむ。
他に誰もいないのもあって、本当に昭和の異次元へタイムスリップしたみたいだ。縁側の方から突然、軍服姿の日本兵が出てきても驚かない自信が……いや、それはさすがに怖いけれど、〝リアルな古い日本建築で飲りたい〟は、夢物語ではなかったのだ。
残ったへしこで、黒龍をチビチビで飲る。今が令和だと気づくのは、あと一時間以上経ってからのことであった。
カド(かど)
住所: | 東京都新宿区赤城元町1−32 |
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TEL: | 050-5869-2561 |
営業時間: | ※公式サイトを確認 |
定休日: | 不定休 |