仙台「源氏」私、人生で最高の酒場に出会いました
酒場めぐりの愉しみ方というのは、実際にその店に行って体験をすることで間違いない。ただ、もうひとつの愉しみ方があって、それが酒場のことを〝知る〟ということなのだ。
酒場の歴史が長くなればなるほど、そこでの出来事は価値を生み、そしてますます面白くなる。神田『みますや』が戦火の時に、地元の酒飲み達が「飲れる場所がなくなる!」といって、バケツリレーをして焼失を免れたことや、鶯谷『鍵屋』の建物が、有形文化財として『江戸東京たてもの園』に移築されているなんて、浪漫を感じずにはいられない。超絶ストイックに酒肴を追及している店主や、チャランポランだけど客に愛されるマスター。そんな〝酒場の内側〟の話だって、面白くて仕方がないじゃないか。
大抵こういう情報は、もはや古文書レベルの古い本を読んで知ることが多い。太田和彦、大竹聡、大川渉、なぎら健壱に中島らも。他にもたくさんの先人たちの文献を読み漁っているが、この中に何度も紹介される酒場があることに気づいた。それだけ有名な酒場だ、普通は東京や京都大阪などの歴史ある都会にあるのかと思いきや、それは意外にも東北にあったのだ。
日本三大横丁ともいわれる『文化横丁』、通称〝文横〟にはたくさんの老舗店が立ち並ぶ。私はその酒場に来るのが本当に楽しみで、はしごなどせず、完全な素面で挑んできた。名だたる酒場人が愛した酒場だ、なんならスーツにネクタイで来てもよかったくらいだ。
さぁて、そろそろその酒場が見えてくるはずだが……
あっ、あの看板か?
……って、ここじゃないよな?
いや、そのまさかだ! なんて、恐ろしく狭い通路なんだ……突き当りまで行くと、さらに左に折れて……
マジか……この奇妙な間口こそが『源氏』であった。旗竿地とかそんな話ではない、ただの建物と建物の隙間なのだ。一体どうしてこんなところに酒場が出来てしまったのか。
いくら入りにくい酒場に慣れているとはいえ、これは入りづらいぞ。縄暖簾の先は、まったく中が見えないようになっている。怖ぇな、いったん出直してみるか……いやいや、ここで負けたら諸先輩方に笑われる。よし、中へ入ってみよう。
ガラガラガラ……
「あの、すいませ……」
「いらっしゃいませ」
……!?
(……な、なんだここは!)
思わず、声を失った。渋い……とにかく、渋すぎる! いや、これくらいの渋さは経験しているかもしれないが、その空気、光、色、匂い……そこにあるものすべてから〝完成〟された気品が漂っているのだ。
凄い雰囲気だ……こんな大衆酒場、今まで訪れたことはない。そして、何か得体の知れない緊張感が一本、ピリッと張りつめている。その迫力に、ただただ立ち尽くしていると、白割烹着の女将さんが上品に言った。
「そちらへ、どうぞ」
コの字カウンターの、しかもド真ん中という好酒座に案内された。うれしいがこれは緊張する……おもむろに、カウンターへ手を置いた。
うわっ、すげぇ! 長い年月を酒で磨かれ、フシが浮き出ていやがる。このバラザラとした手触りがたまらん……おっと、浸ってはいられない。とにかく、ここへ沁み込ませる酒を頼まないと……!
『一杯目・浦霞』
宮城を代表する日本酒『浦霞』を常温で頂く。二段式カウンターの上段にストンと置かれたグラスを、ゆっくりと下段に置く。それから、顔をグイッと突っ込む。
ツイッ……ツイッ……ツイー……うれしいなぁ。いや、ただ飲んでいるだけだが、ここで酒が飲めたのがうれしくてたまらない。そして一杯目というのは、実は酒を頼むごとに料理が付いてくる仕組みで、この店で飲めるのは酒四杯までという〝四杯ルール〟があるのだ。この一杯目にも、まずは〝お通し〟として付いてきた。
『梅肉コンニャクとぬか漬け』
クーッ! この顔ぶれったらニクイですねぇ。東北色白美人の『コンニャク』は、クニンクニンとした歯触りに梅肉とシソの葉が爽やか。それと『ぬか漬け』……こいつはそんじょそこらのぬか漬けではない。鮮烈なぬかの風味、これは相当な年月を経たぬか床に違いない。これは、日本酒が合うねぇ。
『二杯目・國盛にごり酒』
お次は『國盛』のにごりをチョイス。パンチが効いているが飲みやすい。白濁にスンッと、酸味が丁度いい具合。
おっ、白色かぶり! 二杯目の相方は木綿の『冷奴』だ。ふむ、割とあっさりしたものが続くなと思いきや、この奴たるや、度肝を抜いた。箸を挿れると、ドッシリとした豆腐の感触。そのまま持ち上げてみると、ズシリと指に重い。
大きく口を開けてひと口……ふおっ、なんて楽しい味! 全然あっさりなんかではない、肉のようにコッテリとした豆腐に、薬味のカツオ節、海苔、みょうがたまらねぇじゃねぇか。ただの冷奴も、これだけ丁寧に飾りつけをすれば、こんなにも見事な料理になるのだ。
……今気づいたが、ここの酒場BGMは、限りなく〝無〟に近い。辛うじて聞こえるのは、空調の音のみ。まるで異空間感だ。店の中だけ、時間の流れがゆっくり流れている。ここでは、酒場の相対性理論が働いているに違いない。
そして三杯目を……と、途中まで手を挙げたが、私はここであることに気が付いた。
このまま頼み続けると〝飲り終わる〟のだ、そう、あと二杯でだ。
四杯ルール……このまま四杯目を飲んだら、夢にまで見たこの酒場を〝経験〟してしまうことになる。いや……いや、それは勿体ない! 若かりしの初体験を終えた後だって、こんな風には思わなかった。私の人生に、この酒場を何度も〝経験〟させてやりたい、そう思ったのだ。
私は酒を頼む手を下げた。よし、あえて料理を単品で頼むことにしよう。単品なら、この夢はまだ醒めないでいられる……!
「すいません、フキミソください!」
来た来た、『フキミソと海苔盛り合わせ』だ。フキノトウなんて、何年ぶりに食べるだろう。ツンと青っぽい爽やかさに、味噌のポッテリした塩気。子供のころは苦手だったが、大人の舌にはこんなウマいものはない。海苔のネットリした甘辛さ、この味も東京で探すのは容易ではないだろう。
うーむ、こんなのを舐めたら清酒が欲しくなるな……やはり、もう一杯いくか? いや、ここはストイックに飲れ! 残り少ないにごり酒……砂漠の水の如き、大事に飲んでいこう。
確か三杯目を頼んだら、刺身が付いてくるはず。ここもあえての『カツオ刺』を頼んだ。しかしこれは、なんて美しいカツオ刺なんだろう……まるで紅い宝石のようだ。
まさに職人技といえる銀皮造りが、キラキラと目を楽しませてくれる。箸で持っても、まったくヨレないカド。口の中に入れると、その鋭利だったカドがトロリと舌に溶け、あとはカツオの新鮮な香りが脳に直撃する……うんめぇなぁ、惚れ惚れするウマさだ。絶対に、今まで食べてきたカツオ刺で一番ウマいはず。
フキミソをチビチビ、カツオをチビチビ……だけど、不思議と時間が経つのが早い。にごり酒の最後の一滴を飲み干したところで、今夜この酒場の夢が叶った。諸先輩方、私も仲間に入れてください。今のところ〝人生で最高の酒場〟に出会ったと言い切ろう。
完成された空間に四杯ルール。超が付く老舗酒場には、何となく押しつけがましく感じるところもあるが、ここではそれも違和感がない。若輩者には気軽とはいえないが、でもこうやって好きに飲らせてくれる余裕もある。
心底、こんな酒場が近くにあったらよかったのに……と、それこそ二杯目で止めたのが、勿体なかった気がしないでもないが、私は今、次に来た時は三杯目で止めることを固く誓っている。
源氏(げんじ)
住所: | 宮城県仙台市青葉区一番町2-4-8 |
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TEL: | 022-222-8485 |
営業時間: | 17:00~23:00 |
定休日: | 日曜・祝日、月曜 |