あの世界大戦と同い年!日本橋「ふくべ」の最後ではじまりの日
酒場人にとって、とても忌み嫌う言葉がある。それが〝改装〟だ。
言葉の意味としては決して悪い意味ではないし、世間一般からすれば〝良いこと〟の方が多いだろう。しかし、酒場人……そう、古き良き酒場を愛する酒場人からすれば、この言葉は〝驚異〟であることに間違はいない。
あの客の肩で擦れ色褪せた壁、煤汚れた天井、酒で磨かれたカウンターにそこへ並ぶ使い込まれた酒器たち……これらのほとんどが改装の二文字によって消えてしまうのだ。〝飲食店だしきれいになる方がいいじゃん?〟という人もいるかもしれないが、我ら酒場人にとっては、思い出の場所が無くなってしまうことと等しい。
「日本橋の〝ふくべ〟が、改装すんねんて!」
酒場ナビメンバーのイカが、LINEに泣きながら送って来たのは今年に入ってからだ。日本橋『ふくべ』といえば、昭和十四年創業の超老舗店。昭和十四年といえば、『第二次世界大戦』が勃発した年だ。あの世界大戦と同時に始めた酒場って……おそらく、何年かはまともに営業は出来なかったにしろ、あの年代に酒を出していたと想像すると胸が熱くなる。
これは、行きたい……いや、行かねばならない。居ても立っても居られなくなり、こちらも今年で創業48年になる老舗人間のイカと共に、東京・日本橋へと向かったのだ。
旅行に行く際、乗り換え口としてはよく使っていた『東京駅』。降りたことは殆どなかったが、とにかく絵に描いたような摩天楼だ。
まるで空がない……いや、よくこんなところで80年以上も酒場を続けていられたものだ。というか、ほんとにそんな酒場があるのかと思ってきたところで、東京の真ん中に似合わない、イカの関西弁が怒鳴った。
「出たっ、ふくべや!」
灰色のモルタルは割ときれいで、思っていたよりシュッとしていた外観。神田『みますや』のような看板建築を想像していたが……これだったら改装しなくてもいいだろうよ! と思いつつも、そう単純な話ではないのでしょうねぇ。イカと共に長い縄暖簾を割り、戸を引いた。
ガラガラガラ──
……!!
ドンッ
と、音が鳴ったような衝撃を受けた……なんですか、この渋さは! まずは店に入ると茶色が飛び込んでくる。壁、天井、カウンターどれもこれも茶色、茶色……ずっと茶色っ!
入って右には、ここも茶色の空間。テーブルが四脚と、巨大な菊正宗の額縁、それと全国の酒樽が壁に並んでいる。
いいなぁ……というか、本当にこんな素敵な場所を改装してしまうのかよ……にわかには信じたくないまま、カウンターに座る。
ここからの景色もすばらしい。一升瓶に年代物の酒燗器。どこを見ても酒酒酒……ずっと見ていられる絶景だ。
あのイカでさえ、無言でこの景色に魅了されていた。よし、ここは酒だ、日本酒からいこうぜ相棒。『菊正宗』の熱燗をマスターに頼むと、手早く背後の酒棚から一升瓶を手に取る。
おぉっ……これが噂に聞く、カドの丸くなった升か! その丸升に酒を注ぎ、そのまま漏斗の先を徳利に突っ込むと、丸升をひっくり返す。そこから手早く酒燗器に挿れた。流れるような美しい技、オリンピックのフィギュアスケートでも見ているかのようだ。
マスターは何度か掌と手首で温度を確かめると、我々の目の前にストトンと徳利を置いた。
ツイッ、ツイッ、ツイー……このイカの恍惚顔を見ていただければ解る通り、最高の〝ツイー……〟である。おそらくは何十年も変わらず、このお燗の出し方なのだろうと思うと……なんだろ、アレだ、これが〝陶酔〟ってヤツだ。この最高のロケーションなら、たとえオレンジジュースの熱燗でも酔える気がする。
おそらく、この景色とは今夜で最後だ。目に入ったアテは全部頼むことにしよう。
こういう老舗で頼む『しめ鯖』は、どこか緊張する。なんかだかマスターに「お前如き、ウチのしめ鯖が解るのかい」と、鼻で笑われている気がする。それほど、しめ鯖とは酒場の個性を反映する料理なのだ。
ここのは……むぅ、色、型、ツヤ、どれをとっても申し分ない。そのままひと口……ハハッ、やっぱりうめぇやい! 鮮度とそれに合った酢の〆具合、これがプロの業といいワケか。
もしも、焼き魚の辞典があったとしよう。間違いなく、これが背表紙になることになるだろう。そんな模範的な『アジ干物』は、パリッとした歯触りの後から、熟成されたアジの旨味がブワリ。
これもお燗と同じで、長年培ってきたからこそ出せる〝焼き技〟なのだろう。
『蟹ほぐし身』ってアテを頼んでいる我ら、ちょっと格好がいいでしょう? つんもりと皿に盛られた紅白の華やかビジュアル。そのままつまむと、あらま、ほんのりと酢が効いていらっしゃる。カニ身と相性が抜群にいい。
最近スーパーで買った〝ほぼカニ〟シリーズは、あまりの出来の良さに驚いたが、やはり〝ガチガニ〟には勝てない。
「くさや、下さい」
「あ、こっちもね」
奥の客二人が、揃ってくさやを頼む。間もなくしてあの強烈な匂いに包まれた。クサイのを涼しい顔で食べる、これが江戸っ子の粋だ。クサイが大嫌いな関西人のイカも、ここでは小粋な東男の面持ち。よし、そろそろシメと参りましょう。
最近は酒場でご飯ものを食べることはなくなったが、ここの『玉子がけごはん』だけは食べておきたかったのだ。イカがズブリと大胆に黄身を箸で割り、それから白米と……
チャッ、チャッ、チャッ……!! 一気にエグり回す! そしたら、世界一行儀悪く……
ガツッ、ガツッ、ガツッ!! これで文句ナシよ。似合うなぁ、昭和の建物で食らう中年と玉子がけごはん……似合うなぁ。よし、これでシメました! と、言いたいところだが……!
アンコールのシメ! 『おにぎり(山形晩菊漬物)』は、いっておかなきゃ駄目でしょう。だってね、改装ついでにメニューまで変わって、もしかしたら無くなってしまうかもしれない。ほっかほかの割れ目からは、十種類もの野菜を漬け込んだ具だくさんのタネ。小気味いいパリポリの食感は、アンコールのシメとして間違いはなかった。
いやぁ、食った食った! それに、久しぶりにおいしい日本酒も堪能できた。飲り始めたら名残惜しくて仕方がなかったが、長い時間ここに座っていると、不思議と新しくなるのもいいような気がしてきた。
よく考えれば、店を閉店られるよりは遥かにマシだ。そもそも今はこんなに渋いが、開業当時はピカピカだったはずじゃないか。そう思うと、これからはじまる新たな門出を、同じ時代に体験できるのも決して悪くはないことだ。
〝ここ、改装したのっていつだっけ? 2022年? あぁ、あの変な病が流行ってた時だっけ〟──あと何年後かには、新しいふくべで今と同じように酔っ払って、そんな会話をしているのかもしれない。
どんな改装になるのかは分からないけれど、結局、そこに居る人々は変わらない。じゃあ、逆に楽しみに待っていようと思う。
再開予定は、今年の12月。
しかし、楽しい最後の夜だった。
ふくべ(ふくべ)
住所: | 東京都中央区八重洲1-4-5 |
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TEL: | 03-3271-6065 |
営業時間: | 16:00~22:00 |
定休日: | 土曜、日曜、祝日 |