神保町「北京亭」その酒場、茶色につき
「茶色が為す事は、茶色のみぞ知る。」
坂本龍馬(1836 – 1867)
──と、かの偉人は言ってなかったが、茶色というのは茶色にしかない尊い色……そう、それは酒場において顕著である。
良い酒場の近くに来るだけで、もう醤油タレの茶色い香りが漂ってくる。思わず茶色に染まった引き戸を引き中へ入ると、カウンターはペンキで塗られたのかの如く茶色い。そこに茶色ガラスの瓶ビールをゴトンと置かれてグビッと一杯。焼鳥やホルモン、煮込みにおでんという、お馴染みの茶色いアテが花を添える。それからの酒場時間は、茶色と共に深く、深く落ちていくのだ──
おそらく茶色とは、人間の心理で〝落ち着き〟を司る色なのだと確信して、様々なメディアで調べてみた。結果的にいうと〝安心感〟や〝温もり〟などと、まさしく私の思っていた通りだった。
さらに最近になって、酒場は酒場でも〝町中華〟には限りない茶色の可能性を秘めていると、改めて思い知った店が神保町にあった。
茶色仲間に「あそこは茶色いぞ」と教えられたのが、この『北京亭』だった。素晴らしい外観だが……レンガ調の外壁が茶色いだけで、黄色に赤字とド派手な看板が目立ち、さほど茶色感はないようだ。
となると、店先のショーケースはどうだ……? ん-、炭化して茶色になっているのかと思いきや、結構新しめのサンプルだ。フーム、これはやはり中へと入ってみなければ分からないな。半信半疑で、自動ドアのノブを押した。
「イラシャマセー」
……!?
うわッ! めちゃくちゃ茶色い! 天井や床は白いものの、それがテーブルやイス、そして壁の見事に染まった茶色を強烈に引き立てているのだ。
飴色というか琥珀色というか……こんなにツヤと深みのある茶色な内装は初めてかもしれない。うん、すごくいい……すごくいいよ、北京亭!
「ソチラドゾー」
興奮で目を爛々とさせている私に、片言の女将さんがカウンターへ案内してくれる。
ひゃぁ……カウンターの上段も凄まじき茶色。というか、美しすぎて齧り付きたくなるほどだ。いや、過去に一人くらいはいるかもしれない。
そして、その上段から差し出されたのが中瓶、我らが茶色酒である。茶色の背景が最高に似合っている。ではひと口。
チャクン……チャクン……チャクン──、ダイブ・トゥ・ブラウンッ! 自分と背後の茶色壁が、瓶ビールにも負けないほどお似合いだ。
「你吃米饭了吗?」
「我以后吃」
入ってすぐに気が付いたのだが、店の三人は基本的に中国語で話し、接客に必要な日本語だけを使っていた。店構えからして結構な老舗っぽいが、一体どんな経歴なのか気になるところ。それより、ガチ中国語の店の料理は、往々にしてウマい料理を出す。この茶色にして楽しみだ。
はい出ました、『餃子』である。いい茶色の焦げ目、してますねぇ。覚める前に、さっそくタレ作りだ。
これくらいか……いいや、もっと茶色のがいい。茶色を追加だ。
うん、ちょうどいい茶色に仕上がった。こいつにアツアツの餃子をジャブリと潜らせて……
んまいっ! パリッと皮が音を鳴らしたかと思うと、中から大量の肉汁が溢れ出てくる。小籠包でも、こんなに肉汁は出てこないかもしれない。
町中華で必ずといっていいほど頼むのが『麻婆豆腐』だ。こいつもまた茶色一色ですなぁ。トゥルントゥルンとした、いかにもウマそうな表面の照り、皿の際に炸裂する茶色のシブキが町中華らしくていい。
レンゲでズボリと突っ込み、すくい上げて湯気が上ったところをたまらずパクリ。うぅぅぅぅめぇ! コクがすげえ、旨味が奥から湧き上がってくる感じだ。これは家庭のフライパンでは出せない、高火力の中華鍋だから出せる味だ。……しかし、甘口な見た目とは裏腹に、とんでもなく辛い。こんなに辛い茶色は、今まで味わったことがない。
うわっ、眩しい!!
ヒーヒーする舌を出しながら、ふと横に目をやるとそこには真っ白な『ラード』が大量にあった。茶色トンネルから抜け出た目つぶしは強烈だ。そしてそこから、さらなる茶色トンネルへと入る。
「オマタシマシター」
オバケ茶色ぉぉぉぉ!! もはや、何が入っているのか分からないほど茶色に覆われた『黒酢豚』の登場だ。〝黒〟と言っても、よーく、目を凝らしていただきたい。
ほらね、とんでもなく茶色なのだ。テリッテリの茶色……どこかで見たことがあると思ったら、この店の壁やカウンターのそれと全く一緒だ。……もしや、具と一緒に練り込まれているんじゃないだろうか? 恐る恐る、それを口に運んでみる。
う──ん──めぇぇぇぇッ!! いやいや、壁でもカウンターでもなく、普通の酢豚ですよ。いや、普通ではない、めちゃめちゃウマい酢豚だ。黒酢の酸味が鼻の奥からツンとやってきたかと思うと、色々な風味が混ざった特有の滋味がブワッと広がる。それがどこかフルーティーで、言い方が正しいかは分からないが〝面白い味〟なのだ。これは、本当にウマいぞ。
おぉ……まただ、また茶色に魅了する自分がいる。これが〝青色〟だったらどうなんだろう、いや実は〝黒色〟でも結構イケるんじゃないかと考えてもみるが、青色のカウンターも、黒色の刺身もイマイチだ。やはり、酒場には茶色が一番お似合いなのだ。
ちなみにこの記事で〝茶色〟という文字を40回も登場させたことに、我ながら天晴と言いたい。こうなりゃ、次回は50回を目指して、新しい茶色酒場を訪ねようじゃないか。
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北京亭(ぺきんてい)
住所: | 東京都千代田区西神田2-1-11 |
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TEL: | 03-3261-4116 |
営業時間: | 11:00~15:00 17:00~21:00 |
定休日: | 月曜日の午後(17:00~21:00) |