大将…いいえ、女将さんの背中は語る 三軒茶屋「味とめ」
世田谷の『三軒茶屋』は、私が住んでいるところから割と遠いのだが、二十年も前からなぜか所縁がある。住んだこそないのものの、三茶に住んでいる友人宅に集まって飲ることが多く、過去には週3、4で集まることもあった。
三茶の酒場での思い出はというと、とある酒場で初めて〝スズメの焼鳥〟を食べたのがそうで、それ以来スズメの焼鳥は大嫌いになった。
そうそう、生まれて初めてキャバクラに行ったのも三茶の店で、三人付いて全員がモンスターだったという苦い思い出もあるし、ここでは決して書くことができない下世話な話もこの三茶には多くある。あとは『三角地帯』にある路地裏の魅力に気が付けたのはよかった。その後、私の〝昭和酒場好き〟のきっかけになったことは間違いない。
三茶で待ち合わせとなると、決まって『すずらん通』の入口にあるマクドナルド前。それからまずは、すずらん通の酒場を〝ナメて〟から、三角地帯なりに繰り出すというのが通例である。今夜も同行者と共に、すずらん通にある一軒の酒場を〝ナメる〟から始まるのである。
おほっ、ここですよ、ここ。三茶の酒場といったら『味とめ』ですよ。昔の店は〝きたなシュラン〟にも出ていたほどボロかったが、今ではだいぶキレイになった。酒場は建て替えなどでキレイになると魅力が半減してしまうが、ここの魅力はそんなところでないのだ。暖簾を引けば、それが解る。
「はい、いらっしゃ~い!」
優しいしゃがれ声と共に、明るい店内が広がる。その声の主こそ、ここの魅力のひとつである女将〝教子さん〟だ。店の小上がりに上がるちょうど真ん中に、デンッ構えるド派手な黄色のシャツ姿が印象的。トレードマークのバンダナに、今夜も酒の料理の下ごしらえに勤しんでいる。
「お兄ちゃんたち、そこの奥の席ね」
同行者と共に、小上がりの奥の席へと指示に従う。ここからは、女将さんの丸い背中がよく見える。よし、それを拝みながら飲りましょうか。
キンミヤの『酎ハイ』越しに、女将さんの黄色いシャツ映える。まるで、レモンがグラスに突き刺さってるかのようだ。
グンビリッ……グンビリッ……グンビリリッ──、おふぅ、うんめぇ。やはりキンミヤは円やかで飲みやすい。いいスタートだ、では料理にいきますか。
「すいませーん」
「はいよ」
「おひたし下さい」
「おひたしね。はい、おひたしひとつ!」
女将さんは背中を向いたまま、私の注文を受け、それを若手の店員さんたちに伝える。この後の注文もすべてこんな感じだが、その感じがなぜだかか和む。
早急に届いた『秋田のおひたし』の三点盛り。我が故郷、秋田のおひたしときたら頼まない手はない。菊、セリ、アスパラ菜、どれもなじみ深い野菜ばかりだ。
特にうれしいのが、女将さんの背中そっくりの菊。東京では中々お目に掛かれないが、秋田の食卓(少なくとも我が家)では、当たり前に食卓に並び、母親に言われて花を千切って水に浸す手伝いも何度もやらされた。手伝いはしていたものの、子供の頃はほとんど食べず、花特有の香気とほろ苦さが本当においしいと思えるようになったのは、だいぶ大人になってからだ。いやぁ、懐かしウマい。
三点ついでに『刺身三点盛り』を頂く。いやね、正直言うと世田谷でおいしい刺身を食べるとなると、結構な値段を出さなければならないが、ここのは安くておいしい。
〝カド〟の立ったマグロの赤身は、しっとり舌ざわりにキリっと新鮮な旨味。タイはネットリとした味わいで、ブリの濃厚な脂は、罪的なウマさだ。日替わりおまかせだが、これならいくらでもおまかせしたい。
「これ、サービスです」
実は今回、同行者の中に小学生がいて、店からのサービスとして『フライドポテト』をいただいたのだ。酒場はどうしても大人が主体になってしまうが、今どきこんな優しいサービスがあるとうれしくなる。
カチャン、カチャン……ぼっ
カセットコンロが置かれ火が点ると、ザワザワ、ワクワクとした雰囲気に包まれる。この〝鍋が始まる……!〟という瞬間がたまらん。
そこへデデンと、山盛りの具材が乗った大皿が登場。今夜は『セリ鍋』でございます。豚肉、シメジ、油揚げに長ネギ……そして、主役のセリを投入。グツリグツリ、ゆっくりと各食材の旨味が混然一体となり、湯気に旨香りとなって上っていく。ぐぁあ──っ、早く食いたいっ!
「お兄ちゃん、鍋そろそろいいよー」
しばらくして、やはり背中のままで言う女将さん。背中に目と鼻が付いているかの如く、的確な頃合いだ。ご指示通り、いただきましょう!
鍋底から豚肉を引っ張り出して、フーッフーッフーッ……ぐぅぅぅぅんまいっ! 大量の野菜の旨味が染み込んで、咀嚼毎においしいの大洪水だ。逆も然り、野菜にも肉の旨味がしっかりと移っており、特にこの鍋の主役であるセリは傑作だ。
土味が残る根のバリバリとした食い応えがたまらない。そこから汁気を吸った茎が、いくらでも食べられる。気づいたのだが……菊のおひたしといい、セリ鍋といい、ここの料理は東北のものが多い気がする。
「このお店、東北と何か所縁があるんですか?」
「ええ、〇×△□……なんだよ」
女将さんに訊ねると背中のまま答えたくれたが、周りの喧騒でちょっと聞き取れなかった。だがここで訊き返すのは野暮というもの。私が相槌をしていると、今度は小さなフルーツのサービスまでくれた。
度々のサービスにお礼を伝えると、女将さんが言った。
「あそこに、掛け軸があるでしょう?」
女将さんが指さす方を見ると、確かに掛け軸があり何かの文字が記されている。
「なんて書いてあるんです?」
すると女将さんは、笑いながら読み上げた。
「人を愛し 心を愛す 食処」
なるほど……いや、まさしくこの酒場にピタリな言葉だ。店が古かろうが新しくなろうが、客をはじめ〝人を愛でる気持ち〟さえあれば、これほどサービス精神が旺盛な酒場になるというものだ。
その掛け軸を書家に描いてもらうのに〝二万円も払った〟と力む女将さんは、テレビの取材が来ると必ずその掛け軸を強めに撮影してもらうとのこと。
それを冗談っぽく語る女将さんは、やはり背中のままだったけれど、愛情に満ちた表情はその背中からあり余るほど感じられたのだ。
三軒茶屋、何だかんだで、これからもよろしくお願いします。
味とめ(あじとめ)
住所: | 東京都世田谷区太子堂4-23-7 |
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TEL: | 03-3422-5845 |
営業時間: | 16:00~00:00 |
定休日: | 不定休 |