鶴橋「いか焼 牧野」完熟女との『ロストいか焼き』体験談
──午前9時。
こんな時間に私とイカが、大阪府・西成の『あいりん労働福祉センター』にいるのにはある理由があった。
“食堂があるらしい”
そのウワサを聞きつけ、大衆食堂飲みが大好きな私とイカはネットで情報を調べてみたものの、情報が乏しくその存在がイマイチわからないままセンターへと訪れていたのだ。
果たして、日雇い労働者が集まるだけのこのセンターに食堂など……。
「あっ!あれは何や!?」
コンクリートむき出しの広いセンターに、イカの大声が反響する。
イカの叫ぶ方をみると、そこには小屋のようなものがあった。
……なんだここは。
その小さな建物の前にはテーブルが並べられており、そこには箸や調味料が置かれている。
「え!?これが食堂!?」
小さな建物にはメニューが張られ、中では店員らしき人物が調理をしていたので、ここで食事を提供しているのは間違いない。
……しかし。
周りにはフラフラとゾンビ歩きをしていたり、コンクリートの地べたに横になっている特殊先輩が大勢いる。さすがにその中での食事は気が引ける。
「おっちゃん、豚汁とイワシ煮くれへん」
そんなことはお構いなしにイカが注文する。
仕方がない、”大衆酒場飲み”を成立させる為に、私は近くのコンビニで酒を買ってくるのだった。
****
『豚汁』と『イワシ煮』
周りに気を使い、軽めの”酒ゴング“をした後に置いてあった割り箸を割る。
「え!?めっちゃ軽っ!!」
どういう訳か、ここの割り箸は異常に”軽い”のだ。
“場所が場所だけに”もあるが、割り箸の”密度”までコストダウンしなければいけないこの食堂での食事とは一体……。
うまいっ!
驚くことなかれ、これがまた美味しいのだ。
豚汁は『難波屋』と同じように、薄口でモヤシなどの野菜が多め。ここの割り箸とは違い、味噌をケチっているという感じではなく、”この場所”でこの言葉を使うのはどうかと思うが、実に『上品』な味わいなのである。
そして、『イワシ煮』なのだが、手作りなのか缶詰を温めただけなのかは分からないが、コイツがとにかくうまい。少し骨の歯応えを残しつつ、甘辛く、そしてほんのりと温かいこの味は、プライドを捨てて今まで食べてきた『イワシ煮』の中で一番美味しかったと思わず言ってしまいそうだった。
殺伐としたセンターの冷たい空気に、この僅かな”温もり”がより一層、際立っていた。
センターを後にし、イカが”大阪のコリアンタウン”に行こうと言い出したので、私達は『鶴橋』へと向かった。
鶴橋は、東京のコリアンタウン『大久保』とは少し違い、さらに『市場』と合わさったような街が形成されている。
迷路の様に入り組んだ道を抜けると、細いアーケード街に出た。
「あ!”いか焼き”やん!」
しばらくアーケード街を散策していると”いか焼き”と書いた看板を、ややこしいことにイカが発見した。
「ひさしぶりやなぁ、食っていかへん?」
“いか焼き”って、あの海にいる”いか”を丸焼きにしたやつか?
そういえば私も久しく食べていなかった。小腹も減ったことだしビールと一緒につまむことにしよう。
「いらっしゃーい」
暖簾引きをして出迎えてくれたのは小柄な女将。数席しかない小さい店内の奥の席へと案内された。
「どれにしよかー」
「どれって……”いか焼き”なんて種類ないでしょ?」
「あるわい!メニューみてみ」
“キムチねぎ入り”
“チーズベーコン入り”
“玉子ダブル”
ん?
“いか”の腹の中に玉子やキムチを入れて焼くのか?
「へー、変わった”いか焼き”だな。 じゃあ、玉子ダブルで」
「すんまへーん、玉子ダブルとビールちょうだい」
「はいよー」
さすが”くいだおれの町”だ。”いかの丸焼き”ひとつにも色々な工夫をするのだな。私など縁日の屋台なんかで”甘タレ”がかかってる”いか焼き”しか食べたことがないなあ、などと思いつつビールを飲みながら焼き上がるのを待った。
****
「はーい、おまたせー」
『いか焼き玉子ダブル』
えっ!? 玉子焼き……!?
出されたものは明らかに玉子焼きだった。
「これ、なに?」
「は?まさかお前、”いか焼き”しらんのん?」
「”いか焼き”って……”いかの丸焼き”でしょ?」
「お兄ちゃん、ちゃうでー」
私達を割って女将が説明してくれると、私の思っている”いか焼き”とはまったくの別物だということが分かった。
ここで言う”いか焼き”とは、小さく切った”いか”を小麦粉の生地で挟み、専用の機械で焼いた所謂”粉もの”のことであった。秋田県出身の私は今の今まで見たこともない食べ物だ。
ふんわり生地をサックリと噛むと、ソースと中の卵がとろりと口に広がり、それと相まって”いか”の歯応えがたまらずビールが進む。
「兄ちゃん”いか焼き”初めてなん?」
「ええ、そうなんです」
「そうなん?じゃあアタシが兄ちゃんの”いか焼き”のはじめて奪ってもうたなぁ!」
“下ネタ”にも聞こえる女将の発言に苦笑しつつも『お好み焼き』よりもシンプル、『玉子焼き』より洗練されたこの”いか焼き”という大阪の庶民的な美味しさに暫く舌鼓する。
「いや~ん! ハイカラやんかいさ~!」
“ハ イ カ ラ や ん か い さ ?”
女将がイカのいつも履いている”左右色違い靴”を見て発した言葉だったが、訛り過ぎて関西出身のイカでさえ一瞬、困惑した顔をしていた。
おそらく”ハイカラだね”という意味だと思うが、ここからハイカラ女将の『ザ・関西のおばちゃんトーク』が始まる。
「アタシはもう80歳やねんで」
「え!?80歳!?見えない!!」
「せやねん、この店も40年間やってんねん」
元々この店は喫茶店だったらしく、女将は40年前に存在した”喫茶店の専門学校”というものを卒業後、当初は喫茶店として開業しらたしい。気づけば喫茶店ではなく、”いか焼き”専門の店として80歳になる現在まで続けているという老舗の店になったのだ。
「それだけやってると有名人もいっぱい来るでしょ?」
「来るで。その色紙の数みてみいや」
壁の一角には、この店を題材にした漫画家や芸能人のサイン色紙で埋められていた。
「ほんでな、この前来た取材で……。」
何でも話してくれる女将が、この店に来た”ある取材”の話をしてくれたのだが、『訳あり』の為詳しく書くことが出来ないのが残念である。
言える事としては、上記の写真に飾られている”珍しいサイン色紙”についてなのだが……その珍しさ分かる読者がいたら相当な”○○○オタ”である。
「女将はん、この年代物の”いか焼き機”写真撮らせてや」
「ええで」
「女将はん、このおもろい”アイスの置物”写真撮らせてや」
「ええで」
「女将はん、この……」
「なんや自分ら! 税務署の連中ちゃうやろな!?」
私達を”マルサ”と勘違いした女将。この”税務署の連中”という発想力が妙に感心した。
「ほな女将はん、”初いか焼き記念”でコイツと一緒に写真撮ろうや」
「しゃーないな」
“初いか焼き記念”……? まあ、確かにそうなのだが、イカが私と女将のツーショット撮影を提案。
「じゃあ撮るで……女将はんもっとくっつきーや」
「しゃーないな」
「はいチーズ」
(うっ!?)
とても80歳とは思えない腕力で、私の腰を自分に寄せた女将。
そう言えばあの時もこんなだったな。
男としての”はじめて”を奪ってくれたあのお姉さん、 元気にしてっぺがなー。
いか焼 牧野(まきの)
住所: | 大阪府大阪市生野区鶴橋2-8-19 |
---|---|
TEL: | 06-6712-6574 |
営業時間: | 10:30~16:00 |
定休日: | 日曜・祝日 |