武蔵小杉「割烹 こすぎ」割烹の割烹による割烹のための中華料理屋
酒場の屋号ひとつにしても、色々な『見出し』あるのだけれども、それはその酒場のイメージを大きく左右させる重要な存在なのだ。ここでいう見出しというのは、例えば『大衆酒場 〇〇』『酒処 〇〇』『立呑 〇〇』『小料理 〇〇』といったように、屋号の頭に付くあれのことである。
宵闇迫る街に、そんな看板ばかりが灯る横丁を見つければ、なんの躊躇もなく足を踏み入れ、気が付けば暖簾を引いていた……なんてことはよくあること。私は、見出しの中でも『割烹』というのが特にお気に入りだ。〝料亭〟なんて見出しになると格式が高くなってしまうが、割烹はもう少し大衆店寄り、だけど大衆店よりは品格がある。──こじんまりとした店の暖簾を引くと、中には酒で磨かれた重厚なカウンターと畳の小上がり。カウンターの中では、作務衣がビシッとキマった大将が料理の腕を振るい、その料理を白割烹着姿の女将さんが恭しく運んでくる……そんな割烹が大好きだ。
私の経験上ではあるが、この見出しがある酒場で失敗したことは一度もない。
『武蔵小杉』
事前に聞いていた酒友の話によると、この街にも割烹があるらしい。再開発の代名詞といえるこの街に、実はまともに訪れたことがなく、こうしてゆっくり酒場探しをするのは初めてだ。覆いかぶさってきそうな超高層マンション群を頭上に少し歩いてみたが、駅もビルも街中が新品だらけ。果たしてこんなところに割烹酒場などあるのだろうか。
お洒落な駅の南口を出ると、『センターロード小杉』という横丁が見えたのでそこへ立ち入った。ここには再開発の手が及んでいないようで、良さげな見出しの看板がいくつも並んでいる……。あっ、あれか?
『割烹 こすぎ』
出た……これが酒友が教えてくれた『割烹』だ。こんな再開発地区に、本当に『割烹』があったのだ。だがしかし……
このド派手な外観で、本当に割烹なのだろうか……? それらしい暖簾や看板が見当たらないが、これなら『大衆酒場 こすぎ』がいいところだ。場所は間違いないはず……訝しみながらも暖簾を割ってみた。
「イラシャマセー」
ナヌっ!? 外人さんだって……? 広くて明るい店内から迎えてくれたのは、白割烹着の女将さん……ではなく、赤いユニフォーム姿の若いアジア系女子店員。十数卓はあるテーブルは真っ赤なレザーシートで覆われ、蛍光灯が照らす雑多な店内は、割烹的要素など皆無だ。これは、あれだ──
中華料理屋! しかも本格的な!
思わず声に出しそうになるが、そもそも私が店を間違ったのかもしれない……いや、絶対にそうだ。だが店内を見渡してみると、壁に例の『見出し』が貼ってあった。
割烹、こすぎ……! 信じられないが、ここは紛れもない割烹だったのだ。
「コチラドゾー」
女将さん……いいえ、ユニフォームを着こなすお運び外国人女性が、おしぼりをテーブルに置いた。目がチカチカするほど真っ赤なテーブルクロス。一応、割烹らしいちゃんとしたおしぼりで顔を拭いた。
……わずかに、アジアンスパイシーな香りがする。割烹の匂いではない。ようし、ならばアジアンスパイシーに合わせる酒はこれだ。
『チューハイ』
先に出されたお通しは、ちくわ、こんにゃく、レンコンなどの純和風な煮物。ただ、チューハイ200円という破格ぶりが、やはりどこか中華料理屋のようだ。
「タベモノ、ナニシマスカー」
「えーっと、じゃあ……これください!」
『エビチリ』
割烹でエビチリ……。どうしてもここが〝中華料理屋である〟と脳が錯覚しているのか、思わずエビチリを頼んでしまった。チリソースとエビだけのシンプルタイプで、エビのブリンブリンな歯ごたえと、甘辛いチリソースがおいしい見事な仕上がり。さすが中華料理屋……いや、割烹だ。大将はどんな方なのか気になり、厨房を覗いてみると別のアジア系女子店員が包丁を振るっていた。よく見ると、3人いる店員は全員アジア系外国人女性だ。
「……何か、おすすめありますか?」
「さんまシオヤキ、オイシイ」
ほほう、『さんまの塩焼き』とはいいですねぇ。やはり割烹ならそんなのをゆっくり肴にしたいもの。さっそく、ユニホーム女将にお願いすることにした。
『さんま塩焼き』
おぉ、いいじゃないですか! こんがりと焼き上がったさんまに箸を入れてひと口……ンまい! 脂のノリ、塩加減もちょうどいい。そういえば値段はいくらなのかと、壁にあったメニューを見た。
えっ、250円……!? ちょっと待て、たしか今年はさんまの漁獲量がかなり少なく、高級魚扱いにされていたはずだが……いや、それ以上に気になるのが、
〝目黒のさんま〟
という、さんまの『見出し』だ。目黒って、あの目黒のことか……? これは確かめずにはいられない。ユニホーム女将に訊いてみた。
「目黒って……東京の目黒ですか?」
「ハイ」
「目黒の、さんま……?」
「オイシイ」
目黒に海はないよ!
おそらく、有名な『目黒のさんま祭り』とゴチャゴチャになっているのだろうが、それをハニカミ顔で答えるユニホーム女将には、何も言えるわけがない。しばらくは笑いを堪えながらその〝目黒のさんま〟をおいしく頬張り、こんな割烹というのも素敵だなと、店を後にしたのである。
『割烹 〇〇』
〝この見出しがある酒場で失敗したことは一度もない〟
ちょっとだけ『見出し違い』はあったけれども、私のこの理論はさらに更新されたのだと思う。
割烹 こすぎ(こすぎ)
住所: | 神奈川県川崎市中原区小杉町3-430-1 |
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TEL: | 044-722-3556 |
営業時間: | [月~木・祝・祝前日] 15:00~翌0:00 [金~日] 14:00~翌2:00 |
定休日: | 無休※正月休み |