奈良「酒処 蔵」おとなの修学旅行 愛蔵編
東北地方の高校の修学旅行は、大抵が〝京都・奈良・大阪・神戸〟で、秋田出身の私も、高校の修学旅行には、はじめての関西旅を体験した。とにかく、お土産屋の客引きが関西弁で怖かったのと、食べ物がどれも薄味(関西出汁)過ぎたことを覚えている。とはいっても、秋田からすればどこも大都会で、口を半開きでずっと上を見ながら歩いていた。奈良の大仏さま、奈良公園も田舎者にとっては真新しく、「ハァ、こんなやづ、秋田さは無ぇなぁ」などと、子供ながらに感動したものだ。
そんな奈良県で、ひとつ「そうだったの?」という話がある。
〝奈良は、昔から何もしなくても観光客が集まる〟
奈良は観光地である京都と大阪の通り道にあるため、黙っていても京都と大阪の往来時に金を落とす、だからあんまり頑張らない──ということらしい。
いや、奈良県民の方。私が言ったわけじゃないんですよ。誰に聞いた話なのだが、うーん、誰だったかなぁ、たしか、関西人ではあったのは間違いないが……。
今から数年前。それこそ、高校生以来の奈良に訪れていた。東大寺の大仏さま、奈良公園や五重塔も懐かしいなぁ……といいたいところだが、もはや二十年以上前の話。ほとんど初めて来たくらいの印象だ。そんな二十年前には、絶対に体験し得なかった盛り場へと今回は行くのである。
『酒処 蔵』
まるで、映画のセット! もちろん、蔵を改装して造られた酒場なのだろう、そのまんま蔵造の建物の入り口は、障子張りの引き戸が何ともタマラン。その障子の向こうから、うっすらと灯る明かりもまたいい。早く引きた──い!
ズ……ザザッ、ザザーッ
──古都を感じずにはいられない、引き戸のいい音色。
「いらっしゃいませ」
あんらぁぁぁぁ! めちゃくちゃステキッ! まっ茶色に煤けた壁の一部は、客が通るたびに擦れて剥げ落ち、長めのコの字カウンターは二段式の、これまた酒に沁みたいい色だ。
おーっと、おでん槽もあるじゃないの! そこら中に漂う関西風の甘い出汁の色っぽい香りに、鼻孔がヒクヒクする。
「空いている席にどうぞ」
ここ! このおでん槽の前に決まっているでしょうが。さっそく、このオーシャンビュー……いや、オーデンビューを望むカウンターに酒座を決めた。
シックリと尻を包み込む座り心地と、間近に見る壁模様にウットリと浸かる前に、まずは喉へ掛け湯をしましょう。
『633』
こんな渋いカウンターには日本酒を添えたいところだが、633がまたカウンターにマッチングするのだ。クーッと3分の2を飲み干したら、カウンターにグラスをカンッと合図。お料理、お頂戴しましょう。
『白天』
おでんをコッテリといきたいが、ここはあっさりと。そして〝白天〟とはなんぞや。ひと口、ハモハモと含めば、なるほど。魚のすり身に、キクラゲが忍ばせてある。
ムチっとしたすり身の歯ざわりに、キクラゲのコリコリがマリアージュな逸品。なんてったって、あの高校時代には解らなかった、関西出汁のウマさがジャブジャブにシュンでるのがウレシイ。
『穴子白煮』
こんな渋い空間に居れば、どうしても食したくなる肴が穴子。いっちょ前に白煮なんかにしたりして。汁気たっぷり、見るからに身が引き締まった大振りのブリッ子だ。ほくほくの身は、口へ挿れるとフワリと広がり、これまた関西風の出汁味というか、決して関東にはない上品な味わいがすばらしいじゃないか。
となると、相棒をアイツに変えたくなる。
トゥクトゥクトゥク……
日本酒先輩の登場よ。コップに反響する音が耳にヨシ。銘柄は、奈良豊澤酒造『貴仙寿』だ。上段カウンターに受け皿トン、その上にコップをカチョン。よく冷えたところを、若い店員さんが慣れた遠投フォームで注いでくれる。
ツイ──……はぁぁぁん、ウマし! ちょいと主張強めで、これぞ日本酒らしい味だ。飲みやすく、かつ、深みも愉しめる、純米酒のこれくらいが、丁度どんな料理にもあっていい。あぁ……もひとつオマケに、生モンも欲しいね。
『白子』
ひ、ゃあ……なんて美しいのかしら! うっすらピンクの肌、そこへネギと紅葉おろしが艶やかさよ。
箸でズシリとその重みを感じながら、ひと口──トロォっとして……もう一回、トロォっとして舌に沁み込んでいく。そして後に残るのは、濃い目のミルキィな白子の甘味がなんとも最高。下手に海の町で食べるのより、遥かにウマい。
これも誰かから聞いたな。〝海なし県〟は、海まで遠いからこそ生魚への愛が強く、だから寿司もウマいんだとか。
おや、対岸で年配のご夫婦が飲ってらっしゃる。何年もここへ、通い詰めているのだろう。その後も何度かその様子をチラ見していたが、お互いにただの一言も会話をすることなく、それぞれが飲っていたのだ。
すごい、飲り方だ。何も話さないけれど、それでもここへ訪れる……なんか、似たような話があったな。
〝何もしなくても、観光客が集まる〟
そんなわけがない、あのご夫婦がそうじゃなか。そこへ愛情があるから、その場所に足繫く通うから、それが歴史になる。この奈良という〝歴史の街〟だって、ただの通り道にある街ではないのだ──
「ガーハッハッ!!」
「奈良にも、ええ酒場あるやんけっ!」
私の隣席に居る、酒場ナビのイカが高笑いした。
あぁ……こいつだ。〝何もしなくても客が集まる〟なんて言っていたのは。そう、イカは神戸出身。思いっきり、関西人だ。今夜みたいに関西酒場の遠征時は、イカの家族が住む実家を宿にさせてもらっていたが、きっとその時に訊いたのだ。何も知らない東北人に、なんてことを教えやがって──
いや待て、違う!
……思い出した。
「ははは。味論くん、奈良ってんはなぁ……」
こいつの、父ちゃんと母ちゃんから聞いたんだ。
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酒処 蔵(さけどころくら)
住所: | 奈良県奈良市光明院町16 |
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営業時間: | [月~金] 17:00~22:00 [土日祝] 17:00~22:00 |
定休日: | 不定休 |