秋田「秋田乃瀧」私はもう秋田人ではない?ちょっぴり罪悪感な地元の夜
誰しもが〝タイミングを逃す〟ということに、しばし直面する。
電車の乗り換えやエレベーターに乗るタイミングなど些細なものから、「あ~、あの時に買ってれば……」や「えっ、彼氏できたの……?」などと、取り返しのつかないタイミングを逃すことだってある。案外このタイミングってやつは、人生の付きまとう重要なポイントに成り得るのだ。そう、私の最大のタイミングを逃したことといえば……結婚のタイミングだやかましいわ。
前回の記事では、久しぶりに地元秋田へと帰郷した際、キャバクラの女の子に〝エセ秋田人〟と言われ、すっかりと落ち込んでしまった私。けれども、老舗酒場『からす森』にて、やはり自分が秋田人である気持ちには変わらないという自信に至ったのだ。
その後、さらなる自信を得るため秋田酒場を目指して歓楽街の『川反』へと繰り出したのだが……ここで、予想だにしていない、まさしく〝タイミングを逃す〟を経験することになるのだ。
時刻は夜の七時。秋田随一の歓楽街といっても、正月早々、さらには雪が積もった川反の人出は少ない。『すずらん通り』の門を潜り抜け、雪道をキュッキュッと音を鳴らして進むと……
ありました、『秋田乃瀧』である。かねてより行きたいと思っていたが、こちらも行くタイミングを逃していた。むかーしから変わらないのだろう、温かみのあるデザインの看板に灯篭風の灯りが雪景色により映える。二階はモルタル、一階は羽目板の外壁のコントラストがいい。そして左右に入口が二つ。入口が二つある酒場で、今まで失敗した記憶なし。よし……左から、いや、右から入ってみよう。
「いらっしゃませ~」
これはいい、思ってたよりずっといい景色だ! 痛快なほど奥へ長い店内は、左にカウンターと厨房、一番奥には小上がりがある。むむっ、解ったぞ。おそらく店の真ん中にある厨房を囲むようにカウンターがあって、それで入口が二つあるのだろう。生麦の『大番』タイプといえば解りやすい。
「空いてるカウンター、どごでもいですよ」
カウンターの内側には、二人の秋田美人の女将さんが居る。私はそのカウンターの奥を酒座に決めた。肌さわりのいい木製カウンターにウットリ。早くここへ酒瓶を乗せたい……まずは冷えた麦汁からいきますか。
グラスに注いでみると……うふふ、楕円形のグラスにこんもりとした泡が可愛いくてウマそうだ。
ごくりっ……もんこっ……もんこっ……、きぃぃぃぃもっこり泡がうんめぇな! 先ほど行っていた『からす森』で酒は結構飲ったが、不思議なもんで酒場が変われば酒欲がリセットされちゃうんですよね。
耳を傾けると、この渋い酒場には似つかわしくない有線が流れている。今風のアイドルの曲だろうか、女将さんのひとりが曲に合わせて仕込みをしているのが可愛い。ここに来たかった一番の理由が〝ある料理〟を食べてみたかったからだ。ノリノリのところを申し訳ないが、女将さんにその料理をお願いした。
出たっ、『エロ納豆』!〝エロ〟ってどういうことだよ……こいつが気になってしょうがなかったのだ。大きめの丼にブツ切りの刺身、ネギ、カイワレ大根、黄身、そして秋田名物〝畑のキャビア〟と言われる『とんぶり』が豪快に盛られている。
これに添えられた味噌と混ぜる。ぐっちゃんぐっちゃん、混ぜている匂いが既においしい。
仕上がったやつに食らいつく……うんめぇぇぇぇ!〝シャキッ〟もあるし〝トロッ〟もある食感のオンパレード。加えて人間が本能的に「ウマい」と感じるすべての旨味が凝縮されている。この味噌がね、ほんのりと苦くて全体を上手にまとめ上げているのだ。ただ、なぜこれが〝エロ〟なのか……おいしいの欲望が全部混ざっているからか?
女将さんに訊いてみようとしたのだが……〝エロ〟ってちょっと訊きにくい。そもそも〝エロ〟の意味が全然違うかもしれない。ちょっと違う方向から探ってみよう。
「これ、味噌がめちゃくちゃおいしいですね」
「〝バクダン〟ていって、秋田の味噌使っでたんだす」
バクダン、聞いたことがあるな。しかも、我が秋田の味噌だったのか。エロとは関係ないようだが、よく見ると『盛岡冷麺』とか『盛岡じゃじゃ麺』みたいな彩りをしている。
「お兄さん、どっがら来たの?」
「東京です」
そうそう、今回の正月休みを使って、明日は岩手の盛岡に行く予定だ。楽しみだなぁ。絶対にじゃじゃ麺は食って……
「あら、東京の人?」
「はい、でも出身は盛岡ですけど……」
──ん?盛岡? 私、いま出身が〝盛岡〟って言ったよな……? 酔っ払っていたというより、思わず明日行こうと思っていた〝盛岡〟を間違って出身と言ってしまったのである。
いや、違うんですよ女将さん。ほんとは私、秋田出身で……
「盛岡ね~。へば、秋田さ何しに来だの?」
「いや、秋田……その、このお店に飲みに来たくて!」
そう、この馬鹿はここから〝タイミングを逃す〟に陥ってしまうのである。
「まーたまだぁ! わざわざウチさ来だってぇ?」
「ええ……そう、なんですよ」
それは間違ってはいないが、根本的なところが大間違いである。今になっても〝何故〟としか言いようがないが、このままズルズルとタイミング逃し続けるのである。
「そういえば、さっき居たお客さんも東京がら来だって言っでだな」
「えっ、そうなんですか? あの……」
今だ! このタイミングで、東京在住の秋田出身者だと撤回しろ!
「……その東京の方は、何を食べていましたか?」
「えっどね、ギバサ食べでっだな」
「ギバサ、ですか?」
「んだ、秋田名物。お兄さんも食べるが?」
もちろん知っています。『ギバサ』なんて、ウチの婆さんが毎日ご飯にかけて食べていた思い出の料理だ。ギバサは海藻の一種なのだが、某・蒟蒻メーカーが親の仇ほどのパッケージに注意書きを書くのと同じくらい注意して食べなければならない。とにかく、粘りが凄いのだ。納豆の様によくかき混ぜたあと、軽い箸なら突き立つほど粘りが強い。決して一気に搔っ込んではならない。
味付けはポンズが一般的だが、こちらのものはやや酸味が強く、生姜も効いてて酒のアテに丁度いい。こいつをチビチビと口の中で千切るようにして食べる。うん、紛れもない我が秋田の味だ。
「ギバサって、盛岡さもあるっけが?」
「いやぁ……どうだったでしょうね」
こういうタイミングを逃した時に、一番不味いのが〝ボロ〟が出ないかである。盛岡は隣県といっても、親戚がいるわけでもなく意外に知らない。ここは盛岡に触れないように濁しながら、この店へ訪れた〝本当の目当て〟の料理を頂くことにしよう。
やったー!『くじらかやき鍋』のお出ましだい! 秋田の鍋といえば『きりたんぽ鍋』が有名だが……はっきり言っておこう。私はきりたんぽ鍋より遥かにこの鍋の方が好きだし、これこそが秋田代表の鍋だと思っている。一人前にしてはかなり大きい鉄鍋に、ナス、豆腐、水菜、じゅんさいが白味噌スープにグツラグツラと浮かんでいる。そして、なぜこれが〝くじら〟と言うのかというと……
その名の通り〝クジラ〟が入っているからなのだ。東京でもクジラの刺身などはよく見かけるが、クジラの〝皮つきの脂肪〟を細切りにして煮込む料理など、他にないだろう。しかも、こも珍品が秋田のスーパーに平然と売っているくらい身近な存在だ。
「くじらかやぎてのは、クジラの脂の部分を……」
「……なるほど、クジラかぁ」
「んで〝じゅんさい〟も、秋田名物でね……」
「……へー、めかぶみたいですね」
もちろん知っています……ぜんぶ知っています! 料理のことを丁寧に教えてくれる優しい女将さんに申し訳ないが……それを食べに来たのです。とにかく、ナスとの相性が抜群にいい。こんな脂の塊なんて、そのままだと絶対においしくないし、食いたいとも思わなかっただろう。それを〝ナスと合わせてれば、おいしいのでは?〟という先人の発想に感謝だ。ミルクの様な脂の旨味を吸ったナス、コリシコの脂の食感、さり気ない〝じゅんさい〟のツルリとした舌ざわり……すべて調和された最高の鍋なのだ。
「あいしか、そいだば参ったべせ」
「んだがらや~、あど止めなるは」
懐かしい郷土の味と、目の前では女将さん同士の懐かしい方言。たまらんなぁ、この時間。嬉しくて、どうしてもニヤついた顔になるのを、女将さんが気づいて笑った。
「はっはっは、訛ってで何言っでるか分からねべ?」
「いや、はい……」
いいえ知っています! だって私の地元は秋田なんですもの。「んだ」「すったげ」「なげれ」「こえ」……めちゃくちゃ使いたくてしょうがない。まぁ、自業自得だ。
「いづ盛岡さ帰るんだす?」
「えっと……明日、帰ります(飲みに行きます)」
「んだすが、気づけで帰ってくださいね」
「はい……ごちそうさまでした!」
さっきは〝エセ秋田人〟で、今度は〝エセ岩手人〟となった私。秋田弁で言うところの〝はんかくせぇ〟ことをしてしまった、そんなちょっぴり罪悪感な夜であった。
次の日、雪と強風の悪天候で新幹線が止まる可能性があり、盛岡へ行くタイミングも逃すことになった。やはり、女将さんに嘘をついていた罰が当たったのだろう。
この場を借りて、秋田乃瀧の女将さんたち……ごめんなさい。私、東京に住んではいますが、生粋の秋田人でした。でも、秋田料理は嘘偽りなく、本当に懐かしくておいしかったです。
……って、このタイミングで謝るのは合っているのだろうか。
秋田乃瀧(あきたのたき)
住所: | 秋田県秋田市大町3-1-15 |
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TEL: | 018-824-1010 |
営業時間: | 17:00~23:00 |
定休日: | 日曜日 |