神田「仙人 宮ちゃん・ふじくら」いつかのカラオケ酒場にて
酒場で飲ったあと、次はどこへ行くか。はしご酒というのが至極当然ではあるが、そのはしご酒が終ったあとはどこへ行くだろうか。シメのラーメン屋というのもあるが、もうひとつある。そう、言わずもがな〝カラオケ〟である。
カラオケは、脳みそのアルコール度数70%くらいに始めるのが丁度いい。だいぶいい気分で、貸せと言わんばかりにマイクを手に取り、イントロが流れると「イエェェイ!!」と無意味に絶叫する。サビに入れば天を仰いで熱唱。気が付けば周りも巻き込んで大熱唱──酔っ払いには、これがたまらない。
〝はじめからカラオケで飲ればいいんじゃないか?〟……違うんだなぁ、それだと最初からラーメン屋で飲ればいいのと一緒だ。シメだからこその意義がある。出来れば、酒場にカラオケがあることが理想的だ。スナックがそれに近いが、それよりもう少し大衆酒場寄りの雰囲気がいい。『カラオケ酒場』とでもいいましょうか。
お酒好きの読者でしたら、これに共感していただける方も多いのではないだろうか。もちろん、私もカラオケ酒場は大好物だ。しかしこのご時世、なかなか難しいところがありまして──あの時は気楽だったなぁ。
大馬鹿野郎のウイルスが流行る、半年以上前のこと。サラリーマンの街『神田』に、カラオケ酒場があるというので、友人ら四人で飲りに行くことにした。
マスク姿がまったく居ない。今だったら、四人で飲りに行くことすら憚れるというのに、この時を思い返すと自分のことながら羨ましい……。
『仙人 宮ちゃん』
神田駅のガード下にある老舗酒場。実は、この酒場にはもうひとつ『ふじくら』という名前がある。調べてみると、『宮ちゃん』と『ふじくら』の店主同士が組んで、ひとつの店として営業しているのだという。なんだか、戦後の横浜の〝市民酒場〟みたいだ。
「いらっしゃーい」
おぉっ、確かに店内は〝ふたつの店〟があった形跡があった。カウンター席、厨房、出入口すべて二つずつある。各カウンターにはマスターと女将さんがそれぞれ居て、その中央には例のカラオケマシンが鎮座していた。どちらの店ということもなく、酒場全体の雰囲気だって申し分ない。
『宮ちゃん』側のカウンターに座り、まずは酒である。最高のカラオケにするために、ここでしっかり脳みそをアルコールに浸さないといけない。
酎ハイで酒ゴングを鳴らしスタート。ジョッキは二つより三つ、三つより四つの方がいい和音になる。
このカウンターから見える景色も、またいいですねぇ……キュッと無駄のない調理空間、二段式カウンターの上段にはスーパーで買ってきたままの食材がポン。
こんな目の前で鰯のアピールをされたら、頼まないわけにはいかない。まずは、こいつをいただきましょう。
『鰯の丸干し』
ポリ……チュウ……ポリ……しょっぺくて、ンまい。これ、大好きなんだよ。
軽ぅく炙ってもらい、少し生感を残しつつ、それを吸うように食う。たまにワタのホロ苦いところが残っていて、そこがまたウンメェのだ。
『牛すじ煮込み』
牛すじとコンニャクの上に、ネギがひと摘みチョン。キリっとした色合いが、なかなかのイケメン煮込みである。味もシンプルながら滋味深く、食べ応えも抜群だ。
「ピューッ!! ピューッ!!」
「部長カッコイイよ!!」
おっ、はじまったなぁ。先に飲っていた六人組サラリーマンのテーブルにマイクが渡った。上座の部長は、マイクを握ると『レット・イット・ビー』を唄い出した。
こちらはまだ一人三杯目。よし、そろそろペースアップといきましょう。
「すいませーん! 酎ハイ4つおかわり、濃い目で!」
せっかくなので『ふじくら』の方でも料理を頼んでみよう。もう一つのカウンターに向かい、今度は女将さんに料理を頼んでみる。こちらも二段式カウンターで、上段に缶詰が並び、その中からひとつを選ばせてもらった。
『まぐろ味付けフレーク』
こんなのが一番酒のアテになるってものよ。缶詰は割り箸で食べるのが、なんかウマく感じるんだよねぇと、まずは香りをスンスン。
……いい匂い!
しっかりと甘じょっぱく沁みたツナは、缶詰の中でさらに熟成されて、なんとも言えない芳醇な香りを発する。ひと口食べると、もう箸が止まらない。そうなると、酎ハイだって止まらない。ほんと、うまく出来ているよ。
「味論さん、あたしもう唄うね!」
女友達が立ち上がり、腕を高らかに上げてカラオケ宣言をした。先ほどのサラリーマンズの若手が『人にやさしく』を歌い終えたところで、彼女は貸せと言わんばかりにマイクを手に取り、イントロが流れると「イエェェイ!!」と無意味に絶叫する。セオリー通りにして、選曲は一体……
欧陽菲菲の『ラヴ・イズ・オーヴァー』
渋すぎるっ!!
「次、アタシいきまーす!!」
「槇原入れてー!」
「サ・ザ・ン!! サ・ザ・ン!!」
「エレカシ入れたのだーれー!?」
満席になった客席からは、曲が終わるたびに拍手喝采。全員が歌手となり、踊り出す者、エアギターを弾く者、抱き合う者……それぞれのパフォーマンスが最高潮に達していた。カラオケ酒場はこうなると、誰にも止めることは出来ない。そして、止める必要もないのだ。
気が付くと、目の前に頼んだ記憶がない料理だってある。いや、確実に誰かが頼んだのだろうが、酔っ払いの頭にそんなことはどうだっていいのだ。
「マスター、大変ですねぇ」
このドンチャン大騒ぎだ、目の前でそれを眺めていた『河野太郎』似のマスターに、察するように訊ねてみた。
「まぁ、よくあることだよ」
「でも、カラオケだって申告制だし、会計が分からなくなりません?」
するとマスターは、笑いながらこう返してきたのだ。
「ははは、なんとかなるよ」
〝なんとかなる〟
マスターはさらりと言ったが、一瞬、酒が抜けるほど感銘を受けたのだ。実はこの酒場がある場所は、高架下の耐震面から立ち退きを勧告されている。長く店を続けることだけでも大変なのに、こんな厄介な問題も間近に控えておきながら続けていられるのは、このさりげない〝ひと言〟にすべてが含まれているように思えた。
この〝なんとかなる精神〟は、ぜひとも見習わないといけない──私は、18歳で田舎から上京する時に漲っていた〝なんとかなる精神〟を思い返していた。そこに軽快なイントロが流れ、マイクが渡されると、ついに私の出番となった。
曲は、吉幾三で『俺ら東京さ行ぐだ』
──あのカラオケ酒場から数年後に、まさかこんな世界になるとは思いもしなかった。あれから店へは行っていないので、どうなっているかは分からないけれども、立ち退きに加え、大馬鹿野郎のウイルスのせいで、もっと大事になっていることは察するに余り有る……。
♬飲み行け無ェ! 唄え無ェ!
ウイルス毎日ぐーるぐる
俺らこんな世界いやだ。
あの時、マスターが言っていた〝なんとかなる〟で、なんとかならないかと、家で酒を飲みながら、次に訪れる日を思い描いている。
仙人 宮ちゃん・ふじくら(せんにん みやちゃん・ふじくら)
住所: | 東京都千代田区鍛冶町2-14-8 |
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営業時間: | 17:00~24:00 |
定休日: | 日曜日 |