江戸っ子は〇〇がアテだった!数百年前の飲り方に魅せられて
『居酒屋の誕生』(飯野良一)という、学生の教科書みたいな本を読んだのだが、これが本当に教科書そのものだった。
時は江戸時代、我慢できなくなった呑兵衛が酒屋の一角で飲るようになったのが酒場の始まりで、それから年代ごとに様々な酒場が現れる。時には政治までを動かし、さらには飢饉でも酒を飲んでいたという史実まであるから驚く。それらを当時の日記や浮世絵で紹介するのだが、特に興味をソソったのが当時の〝アテ〟である。酒はほぼ清酒やどぶ酒だが、アテに関しては焼、茹、揚、煮などバラエティ豊かだった。江戸時代は〝小氷期〟といわれかなり寒かった時代らしく、酒場にやってくる凍えた客が、温かい湯豆腐と芋の煮っころがしを食べる描写がよく出てきて、それがまたすごくウマそうなのだ。
あとはとにかく、江戸っ子は〝タコ〟をよく食べる。店先にはタコの干物を釣るし、一般庶民はもちろんタコを食い、武士が奉公人を連れて飲るときもタコだ。タコタコタコ、こいつら本当にタコばっかり食べてるなと、読んでて何度思ったことか。ただ、私にもその〝タコ食い〟の遺伝子はしっかりと受け継がれており、読み進めれば進むほどに「タコで飲りてぇ……」となるのだ。
タコのアテといったら刺身とタコブツ、あとは……あれ? 他に何かあったかなぁ……実は普段、そんなにタコを食べない私だが、ある夜に新宿の酒場を目の前にしていた。
「いい……やっぱり、いい」
惚れ惚れと熟視するのは『池林房』だった。銀座あたりにあるブリックバーのような佇まいのこちらは、太田和彦先輩の著『居酒屋百名山』でも紹介されていて、夜な夜な著名な文化人も集うという老舗酒場である。前から行きたいと何度もアタックをしていたが、人気店でなかなか入れなかったのだ。
今夜も外に客の喧騒が漏れているが、どうやらいけそうな気配。インチキ文化人の私は、見えないネクタイを締め直して中へと入った。
「いらっしゃいませー!」
おおっ……!! 思っていた以上の喧騒と、思っていた以上の内観のうつくしさ。半地下の空間に、東屋のような建物が二つ並び、そこからアンティーク調のランプがいくつも店内を照らしている。
外なのか中なかの分からないこの感じ……面白い! そして、もっと面白いのがカウンターだ。
東屋の中にウネウネと、まるでタコの足のように張り巡らされたカウンター。驚くことに、その内側でも外側でも座ることのできるのだ。酒場のカウンターには色々な〝字〟があるが、ここのカウンターだけはなんと表現すればいいか分からない。しいていうなら〝タコ字〟とでもいおうか。そのタコ字の一本に酒座を決め、まずは酒をいきたい。
おほっ、今夜の『ホッピー』も良いタンサンの弾け具合ですねぇ。キィンキィンに冷えたグラスを持って、喉に流し込む。
グビッ……シュワッ……グビビッ……、くぅぅぅぅうめッピー!! 暑い日が続くときには、やはり爽やかなのど越しのホッピー様々だ。さて、アテは何がいいか……そうそう、最近の私はタコが食いたいんだった。メニューを開いてタコの文字と……よし、まずはこのタコからいきやすかい。
出たっ、王道の『生タコ刺』よ! こいつを食わずしてタコで飲るとは言えまい……セクシーともいえる肉感、箸先で持ち上げるとズシリと重し。噛んでは押し返し、押し返しては噛む弾力からは、タコの豊かな旨味が溢れる。山ほどワサビを乗せて食らうのがイキってもんよ。
普段は頼むタコ料理なんてこれぐらいだが……
そうかそうか、『生タコの天ぷら』があったか。これも天ぷらっ子の江戸っ子が食していたらしく、そう思ったらなんだか愛おしく見えてくる。カリカリの衣を塩にチョン、熱々を頬張ればポクポクとした香ばしい風味がたまんねぇ、とーんときたぜ。
不思議なもんで、当時の江戸っ子が憑依したのか、段々とべらんめえ口調になってきた。いいねェ、タコってやつァ。何でもない食材のひとつだとばかり思っていたけど、色んな意味で噛めば噛むほど〝味〟があるってもんよ。
まぁでも、タコ料理はこれぐらいにして、湯豆腐や芋の煮っころがしでも……
これは失礼した、『生タコポン酢』ってのもありんす。タコ刺と変わらないなんて大間違いで、分厚く切りつけられた身を、玉ねぎと長ネギのスライスで挟んじゃうという、まったくの別物。そこへジャブリとポン酢を漬からせて、ツヤツヤとウマそうでならない。
小波切りされた身はサクサクとした食感で、ネギ衆とポン酢をよく絡ませてシビレるぜ、べらぼうめ!
すばらしきタコ料理たちよ。もう思い残すことは……
まだ『生タコのカルパッチョ』があるじゃないか、すっとこどっこい! 生タコポン酢と変わらないなんて大間違いで、レモン果汁とオリーブオイルのタッグが、ポン酢のそれとは大きく異なる。
爽快レモンが鼻孔を抜け、ふくよかなオリーブオイルに黒胡椒が舌に効く。こんな洒落たもん、江戸の呑兵衛たちにも食わせてやりたかったが、それは野暮ってェもんよ。
ヨーロッパの一部では〝悪魔の魚〟なんて嫌われたり、「このタコ!」なんて悪口にされたりするようなものを、何百年も前からメインのアテにしていたなんて、なんだか江戸っ子の呑兵衛らしいセンスを感じなくもない。
令和の世、こちらは病や戦なんぞでちょいとバタついてはいるけれど……てやんでい! タコでも食いながら、落ち着いて酔っぱらえってんだ──少しだけ江戸時代の呑兵衛になれた気がして、また〝タコ飲み〟の画策を練るのであった。
そうだ、次は浪速っ子になって、灘の酒とたこ焼きで飲りまひょかー。
池林房(ちりんぼう)
住所: | 東京都新宿区新宿3-8-7 |
---|---|
TEL: | 03-3350-6945 |
営業時間: | [月~木]17:00~03:00[金]17:00~05:00[土]16:30~05:00[日・祝]16:30~03:00 |
定休日: | 月 |