〝渋過ぎて〟の方じゃない!入りづらさ断トツ1位の酒場の扉を開いたら… 歌舞伎町「地下ん屋」
〝日本一の歓楽街〟──私の東京生活は、ここから始まったと言える。
美容学校に進学のため、秋田から上京してきたのが約二十年前。学校が『歌舞伎町』にあったのが運か不運か、初々しい東京の生活は驚きに次ぐ驚きの毎日だった。学校の前の公園が夜になると立ちんぼ、しかもオ〇マちゃん用の会場となり、明らかにカタギではない方々の往来も多かった。朝、学校に着いたら〝防犯システム〟が作動して校内に入れず、そのまま校外学習になったことは一度や二度ではない。街中も相当汚れていて、道端にはここでは書けない物もよく落ちていた。右も左も分からない田舎者の私は〝これぞ都会だべ!〟と、その後の東京生活を〝度胸〟で乗り切ることが出来た。
そんな学生時代は、割と親しみを持っていた歌舞伎町なのだが、少し大人になってからはそのイメージは崩壊する。何度となく、この街の酒場に騙されたのだ。二千円ポッキリだったはずが、なぜか五千円取られたのはまだ良い方。三千円で料理五品と飲み放題付きだと何度も確認して入った店が全くのデタラメで、残飯みたいなお通しから始まり、最後は固くなったざる蕎麦で終了。飲み放題だって、頼んでから三十分待っても来なかった。そして会計は、謎のサービス料まで取られそうになる始末。単に無知だったというのもあるが、こんなのばかりだった。
というわけで、今でこそ日本中の酒場へ訪れているが、この歌舞伎町にだけは行くまいと固く誓っているのだ。行きたい人が行けばいいし、愉しめる人だけが愉しめばいい。私にとって、もはや関係のない街になっていた。
先日、酒飲み仲間の夫婦から飲みの誘いがあった。何やら話を訊くと、私に〝是非とも行ってみて欲しい〟と言うのだ。この夫婦とは何度も飲りに行っているが〝是非とも〟というのは初めてだった。それなら是非とも行ってみたいと、酒場のある場所を訊いてみると──歌舞伎町。「えっ、それはちょっと……」と思わず口に出してしまったが、とにかく、行ってみれば分かるというので重い腰を上げて彼らとその酒場へ行くことにした。
歌舞伎町一番街を突っ切って、さらにホテル街へと入っていく。ここら辺など、学生時代に何度往復したことか。うーむ、こんなところに酒場があった記憶はないが……
「着いたよ」
「えっ、どこ?」
目の前には、どこにでもありそうな雑居ビル。どう考えても、酒場の気配などない。しかし夫婦は、なんの迷いもなくその雑居ビルの中へと入って行った。怪しいなぁ、看板ひとつさえ無いぞ……ひょっとして、私はこの夫婦に騙されているんじゃないか? 付いて行った先で夫婦と三人で〝プレイ〟を強要されて、その動画を高く売りつけられるとか……とにかく、付いて来いというので後を追うしかなかった。
地下への階段を降りて、薄暗い通路をさらに進むと、そこは行き止まり……いや、違う!!
奥にはアコーディオンカーテンだろうか、そのど真ん中に赤スプレーで〝➔〟と描かれた、なんとも異様な光景があった。怪しい……怪し過ぎる!
その➔の指す先には、これまた赤スプレーで〝入口〟と、おどろおどろしく描かれた小さな扉がある。これって、どう見ても〝お化け屋敷〟じゃないか? そして、ここに来てやっと店名が『地下ん屋』だと解った。〝ちかんや〟って……この店構えで、さらに入りづらくなるネーミングだ。今まで多くの酒場の外観を見てきたが、これは断トツ1位で入りづらい。酒場に入るだけなのに、なぜこんなにドキドキしなければならないのか……恐る恐るその扉を開けてみると……
「いらっしゃいませー!」
広いっ!! そして明るいっ!! お化け屋敷なんてとんでもない、高い天井に明るい照明、軽快なBGMと共に、かなり若い店員さんらがハツラツと店内を回っている。いいですねぇ……いや、こんな雰囲気の酒場が好きなんだよ、私は。
「俺達も最初入る時は、かなり勇気出したよ~」
「ただ入ったら、全然雰囲気が良くて」
酒場慣れした夫婦も、初めは手こずったようだ。ただ、私はこの街の酒場で何度も騙されている。雰囲気が良いからといって、もう騙されはしない。空いているテーブルへと酒座を決めて、とりあえず酒で様子を伺ってみよう。
おっ、分かってらっしゃる!『ホッピー』を頼むと、焼酎をジョッキにではなく別ボトルの〝サンテンセット〟でやってきたのだが、このボトルのデザインがイイ。元が何で使っていたものかは分からないが、ステンレス製の蓋がなんとも可愛らしい。
トットットットッ(ホッピーと焼酎が混ざる音)……グビッ……グビビッ……、カ──ブキチョ──うんめぇぇぇぇッ!! 焼酎もちゃんとしていて、酒に関しては問題なさそうだ。ただし! これで料理がデタラメだったら意味がない。なんたって私はこの街の酒場で何度も騙……とりあえず頼もう。
まずは『自家製ツナサラダ』からだ。〝自家製〟のツナサラダとは珍しいので頼んでみたが、これが大当たり。しっかりとマグロをオイルで煮詰めるところから作っているので、新鮮かつ肉々しい食い応え。
粒コショウがまたよく効いてて、酒飲みの好みの逸品だ。これは、ひょっとして……
ツナサラダで「もしや」と思い『さんまのうま煮』を頼むと、やはりこれもビンゴだった。今まで〝さんまのうま煮〟を頼んで、何度〝缶詰の取って出し〟が出てきたことか。こちらのはさんまを丸ごと一本、しっかりと甘タレで煮込んだホンモノだ。
下処理もしっかりとされているので見た目もよし、ホロホロする柔らかさ、タレは身の中までしっとりと沁みている。〝〇〇煮〟系では、トップクラスのウマさだ。
ちょっと待て……ここの場所って、あの歌舞伎町だよな? 初めてかもしれない、歌舞伎町の料理で本当に〝おいしい〟と思ったのは。
「刺身盛り合わせお待たせしましたー」
「えっ!」
予想外の豪華な『刺身盛り合わせ』に、思わず絶句した。明らかに〝新鮮ですよ、私たち〟と言わんばかりの刺身たち。トロにハマチ、タコにヒラメ、あとは……あっ!
ウニもあるじゃないか!……さらに、
大好物のクジラまで! これは〝ちゃんとした〟刺身盛り合わせじゃないか!
トロはバターの様に濃厚な旨味がたまらず、もったいなくて中々吞み込めない。炙りさんま刺は香ばしいのに爽やかで、青魚の魅力を最大限まで引き出している。クジラは当たりはずれが顕著だが、こいつは間違いなく当たりだ。タコなんてプリシコの歯ざわりが、とても〝歌舞伎町モノ〟とは思えないし、ウニなんてそこら辺の安い寿司屋のものを遥かに凌駕する鮮度だ。そういえば昔、歌舞伎町の酒場で頼んだ刺身の三点盛りが、サーモンとイカと玉子だったことがあったな……そんな歌舞伎町で、こんな立派な刺身が食べられるとは……
この店で特に気に入ったのが、この『白子湯豆腐』のように魅力的なネーミングの料理が多いことだ。さらに、出てきたものはネーミングの想像より三割増しのビジュアルとウマさなのだ。白子と豆腐だけかと思いきや、大量のワカメがうれしい。ツルリン・トロリン・コッテリンの三連コンボの白子、それを追随する絹豆腐の喉越し。
痛風よろしく、白子と豆腐の夢のコラボが鍋の中で実現している。口直しになる旨味を吸ったワカメが、ニクらしいほど丁度いい存在だ。
おいおい……マジでどうなってる? 今いるのは、私が忌み嫌っていたあの歌舞伎町の酒場はずだ。さっきまで、店構えにすら怪しさを抱いていたくらいなのだ。なのに……なんて、最高の料理なんだ。
「是非とも勧めたい理由が分かったでしょ?」
「あぁ……ありがてぇ、ありがてぇ」
感動ばかりで周りが見えていなかったが、店内はほぼ満席になっている。この雰囲気と料理、あの店構えでも客は入るわけだ。前のテーブルでは、女性三人を連れたホストがキャーキャー言われてご満悦の表情。横のテーブルには〝同伴〟らしき若い女の子と中年男性の逢瀬。後ろの円卓は、アイドル風女子ひとりに対して男10人グループ。おそらく、何かのオフ会だろう、男たちは互いに気炎を吐いている。
薄暗い地下の、都内屈指の入りづらい店構え。客層もやはり歌舞伎町っぽいけれど、ここはその街に棲む人々の〝オアシス〟的な存在であることは、皆の表情を見れば解る。
実は〝いい酒場の街〟なんじゃないのか……?
いや、きっと元々そうなのだ。そもそも日本一、いや〝アジア最大の歓楽街〟と言われる場所じゃないか。今更ながら、そんなところが身近にあったことに感謝しかない。
また、他で騙されるかもしれない。それでも、これからはもっと歌舞伎町で飲ろうと固く誓い直すのだ。
地下ん屋(ちかんや)
住所: | 東京都新宿区歌舞伎町2-39-8 |
---|---|
TEL: | 03-6205-6883 |
営業時間: | 18:00~06:00 |
定休日: | 無 |