三鷹「いしはら食堂」常連客になりたいけどなれない酒飲み男
「あんた、三鷹に住んでたんだっぺよぉ」
地元の秋田に住むママが言うには、私は三歳の時に東京の『三鷹』という街に住んでいた──らしい。
もちろん、当時の記憶などまったく無いが、何より驚いたのは、それから三十数年経った最近にその事実を教えられたことだ。
そういえば、三鷹は今住んでいるところから割と近いのに、ママが言う三歳のころ以降、行った記憶がない。
うーん……よし!!
と、何かに呼ばれるかの如く、ある日私は〝幼き頃の思い出の町〟へ足を踏み入れてみることにした。
『三鷹駅』
心のどこかでは、上京後に一度くらいは来たかも……と思っていたものの、駅を降りてみて〝本当にここは初めて〟だと改めて確信した。
そんなものだから〝懐郷〟などという感情は皆無であり、いつもの様に、新しい町での新しい酒場探しをはじめた。
『いしはら食堂』
駅から数分歩くと、例えるなら給食室の前の様な、あの『食堂』独特の匂いが漂ってきた。
白地の電気看板に、渋くて蒼い文字で〝しながき〟が書いてあった。単品の値段なのだろうが、どれもこれも昭和にタイムスリップしたかの様な数字が並ぶ。
私はすぐに気に入り、これまた美しい蒼暖簾を潜って中へと入った。
「!!……いらっしゃいませ」
ぼんやりテレビでも観ていたのだろうか、店主であろう男性がカウンターに座っていたが、直ぐに厨房へ戻っていった。
私は、その店主が座っていた同じカウンター席へ座り、まずは瓶ビールを頼んだ。
客はひとり。手酌でビールを注ぎ、初の三鷹に乾杯する。
そして、食堂ならではの豊富な料理を品定めする。酒を飲みながら品定めをするのも楽しいのだが、あまり悠長にしているのも店に悪いので、めぼしい品をとっとと選び、料理が出るまでの時をこのビールで繋ぐ。
待っている間、ふと右横を見ると、店員と客が楽しそうに談笑していた。
どこの酒場でもあるこんな光景を見て毎回想う──、
『うらやましい』
そう、
店員を気軽に話し相手にできる客がうらやましいのだ。
そんなこと、何度も通って〝常連客〟にでもなれば、ごく自然と起こることだと分かっているが、基本的に人見知りである私は、仮に店員から世間話などをかけられたとしても「あ、はい……」くらいで会話が終わる。
会話は好きなのだが、なんとなく気恥ずかしいというか──なんなら、店員に声をかけられて顔など覚えられるもんなら、その店には気まずくなって行かなくなるのもしばしば。これは酒場に限らず、コンビニや服屋の店員などに対しても同じである。
そんなわけで、毎回〝うらやましい〟と言う割には〝矛盾〟しているといことに逢着してしまい、まぁいいかと思ったくらいに大体いつも頼んだ料理が届くのだ。
『レバニラ(220円)』
もやしが多めのあっさり味。町中華の甘くて濃いタレの味付けもウマいのだが、食堂でよく出くわすこのタイプのレバニラも家庭的で好きだ。私のように濃い醤油味が好きなら分かると思うが、こういうレバニラには醤油を多めにかけてライスと一緒に食べるのがたまらないのだ。
『かきフライ(330円)』
出たっ!!レモンじゃなく『オレンジ』の付け合せ!!
オレンジになるとグッと〝食堂感〟になる不思議──給食やお子様ランチなどの思い出からなる何かの因果でもあるのか、これもレバニラの醤油と同様、子供だったらママに叱られるくらいにソースをたっぷりとかける。カリッと鳴った後に口に広がる磯ミルク味が、何度経験しても良い意味で慣れず、何度でもウマい。
──いい〝食堂時間〟が流れている。
昼下がりで、客も少ないし、いっその事ここで昼寝でもできたらなぁと思っていると、ひとりの男性客が入ってきた。
その男性客は、私の左側に座った瞬間、
「カレーと豚汁」
とだけ呟き、バサっと新聞を広げた。
彼もまた、私のうらやむ常連客という人物なのであろうか、私にははじめにお茶を出されたが、何も言わずに店員がスっとお冷を出し、それを新聞に目をやりながらゴクリとゆっくり飲む。もはや長年連れ添った老夫婦のようだ。
そして、これもこの客が来るのを知っていて、既に作っていたんじゃないかと思えるほどの速さで『カレー』と『豚汁』が出された。
ガツッムシャガツッガツッ──!!
料理が届いた瞬間、何かに取り憑かれかの様にカレーを掻っ込む男性客。
ズズーッジュズーズズッ──!!
ゴクウリッ……なんて旨そうに豚汁を啜るのだろうか……。
この食いっぷりときたら、まるでドラゴンボールの悟空のように豪快かつ爽快アドベンチャーで、私も思わず店員に「オラも豚汁が食いてぇぞ!!」と言わしめる程。
『豚汁(180円)』
んまいっ!!
直ぐに出された豚汁は、豚モツがメイン。特に気に入ったのが、この強めの鰹ダシ──、
「ごちそうさん。会計」
「えーと、540円です」
──えっ!?
もう食い終わったの!?
私が心の中で感想を言っている最中に、隣の男性客はもうカレーと豚汁を食べ終わり、店員に代金を渡していた。
滞在時間はおよそ十数分、この唐突に始まった〝いしはら早食い大会〟に驚嘆しながら『これがこの店で食べ慣れた〝常連客〟の貫禄というものなのか……!!』と思っていたのだが、
「鶴竜が休場ですって」
と、『鶴竜』という相撲力士が休場するという話を、おもむろに店員が帰り際の隣人客に言った。
「──もう引退だろうな」
「はは、そこまではわからないですけどね」
店員がそう微笑ったあと、軽く手を挙げ、そのまま店を立ち去る男性客。
寡黙すぎるこの男性客に、実は常連でも何でもないんじゃないか?と、一瞬思ってもいたが、まったくの思い違いであった。
そう、
常連客とはこんな些細なやり取りでも、その店の〝風景〟のひとつとなることができるのだ。
つまりそれが、
『うらやましい』
私の会計中にも、かなり高齢の女性がひとりで入ってきて、厨房の店主に「あらぁどうも~」と言い合う〝風景〟を横目に店を出た。
駅へ戻る路傍で、いつものように、
〝常連客ってやっぱりいいよなぁ、今の店また来ようか……〟
と思いつつも、
結局、人見知りな私は、どこぞの常連客にはまだまだなれる気がしない。
いしはら食堂(いしはらしょくどう)
住所: | 東京都三鷹市下連雀3-6-27 |
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TEL: | 0422-47-6714 |
営業時間: | 6:00~20:00[日~金] |
定休日: | 土曜日 |