三鷹「婆娑羅」鼻歌シャンソンを聴きながら…
「どこだよ……ここ……」
東京にある三鷹駅は、中央総武線の中でも大きい駅で、そこではもちろん数多くの暖簾を眺めることができる。
その中でも、一度行ってみたいと思っていたのが『婆娑羅』という酒場であった。
『三鷹駅』
ひとり三鷹駅に下りた私は、早速『婆娑羅』の住所を調べて『グーグルマップ』を開いた。
フムフム、
《東京都武蔵野市中町1-3-1 桜井ビル》……っと。
私は、自分専用の〔行きたい酒場メモ〕なるものがあり、普段から行きたい酒場を見つける度に店名や住所もメモをしておくのだが、稀にとんでもない不遇に逢着する。
今回もそのメモから『婆娑羅』の住所を『グーグルマップ』に入力して、検索結果の〔マーク〕が付いた場所がここであった。
「ジャパンケア……って、どこだよ……ここ……」
私は、とにかくその《桜井ビル》の周りを見て回ってみたが、酒場らしき影は一切無い。
え!?
もしかして潰れた!?
おもむろに過ぎる〔悪い知らせ〕を想像しつつも、天下の『食ベログ』で閉店情報を確認したが、それらしいことは載っていない。
五分ほど《桜井ビル》を呆然と眺めた後、もう一度住所を確認して地図で調べてみると、今度はこの場所とはまったく正反対の場所にある《桜井ビル》を〔マーク〕が指したのだ。
……つまるところ、三鷹には《桜井ビル》は少なくとも二つ存在しており、検索のやり方かタイミングかの違いで、全く違う場所へ『グーグルマップ』に連れて行かれるのだ。
このどうでもよい茶番にひとり笑いながら、今度は本当に『婆娑羅』へと向かった。
『婆娑羅』
あまりの駅近だった為、さっきの茶番が本当に阿呆らしく思えたが、この橙色が混じった深い朱色の美しい看板を見てすべて忘れることにした。文字の書体もなんてカッコイイんだ。
縄暖簾を滑って引き戸を引くと、いい声のマスターが「いらっしゃい」と迎える。
店内は四角いコの字カウンターのみ。他に客は数名、私は男性二人組み客が座っている席のひとつ離した席に座った。
♪~ ♪~
♪~
店内では〔シャンソン〕が流れていた──。
『ホッピー白』を頼み、スマホに〔酒ゴング〕鳴らすと、今夜はひとりで〔自飲行為〕に励むのである。
料理は何を頼もうかと、黒板メニューを見ると大好物の『白子ポン酢』の文字が見えた。私は、神速に「白子ポン酢ください」と言うと男性店員が、
「あ!すみません、開店したばかりですけど、白子ポン酢は今日ないんですよ」
と、申し訳なさそうに言った。
そうか……いや、それはそうとこの男性店員、新日本プロレスの〔野人〕こと『中西学』にそっくり過ぎて、本当はここでアルバイトをしているんじゃないかと疑うほどであった。
そんなことを思っていると、横でマスターが『♪白~子ぉポぉ~ん酢ぅ~』と《白子ポン酢の歌》を歌いながら黒板に書いてある〝白子ポン酢〟の文字を消した。
私はそれを見ながら、黒板に書いてあった『イワシなめろう』を中西学に注文するのだった。
『イワシなめろう(550円)』
なめんまいっ!!
新鮮なイワシの身と、刻みたてのネギがベストマッチ。酒にももちろん合うが、これを白飯に乗せて掻っ込んでみるのも良さそうだ。
一気に〔酒呑みの口〕になった私は、続けて古来より酒と近縁関係である『塩から』を中西学に注文した。
『この店の塩から』
名前から察するに、自家製の塩から。市販の〝ネチャ〟っとした歯ざわりとは違い、新鮮でハリのある甘イカの身が、ワタのほろ苦さと調和する。
どうでもいい事だが、毎回、塩からを食べると『イカの気持ちになったらとんでもない調理方法だよな……』と思うも、しかしそれは彼らの運命なのだ。
「いらっしゃい」
常連客らしき人物が入ってきて、ボソっと何かをマスターに言った。すると、マスターが客の前にボトルをボトンと置き、おもむろに客へ酒を注いだ。
そしてまた、
シャンソンに合わせて鼻歌を奏でるマスター。
……なるほど、
ここ三鷹と言えば『ジブリの森美術館』がある場所──それはまるで『紅の豚』に登場する〔ジーナのお店〕に来たかの様に……
♪~パリの空の下 恋人が行く
♪~笑い声が 街に響く
きっと歌詞はこんな感じなのだろう……
知らねーけど。
****
「もつ焼きお待ちどうさまです」
「……あれ?こんなの頼んだっけ?」
中西学が、他の客のもつ焼きを取り違えて私の隣に座っている男性二人組客へ出した。
「あ、すんません、違いましたね。お下げします」
あらま、結構な本数。
本来渡すべき客にもこのやり取りが聞こえていたので、おいそれと本来の客へ出しづらい空気。中西学がもつ焼きを客から下げようとすると……
「いいよいいよ、そのまま食べてもらってー」
と、マスターは言い、新たにもつ焼きを焼き始めたのだ。
なんて〔清々しく〕、なんて〔潔い〕のだろうか。思わず私もニヤリとはにかむ。やはり、マニュアルがない酒場では、こういう場面と出会えるのがなんとも気持ちが良い。マスターに敬慕した私は、思わずもつ焼きをお願いした。
『もつ焼き(一本100円)』
醤油の一番濃いところの芳醇な香りが鼻腔を抜ける。私の基準で、もつ焼きはレバーとカシラを食べれば他の串の出来も想像できるが、その想像をつまみに、さらに酒が飲めるほどのおいしい仕上がりであった。
さらに、若い男性客が一人で入ってきた。
「もっと奥に座れ」
「はいっすんません!」
その若い男性客とマスターとはおそらく顔馴染みで、まるで親父と息子のようだった。
その親父は息子に言う。
「まだ仕事してないんだろ、そこで履歴書でも書いてけ」
まるで優しさとは裏腹な〔優しい言葉〕に、思わずフッと笑う。そんな気持ちのよいまま、私はシメの一品を〔野人〕に頼んだ。
『ネギそばハーフ(350円)』
これでハーフ!?と見紛うほどの量。ピーマン、パプリカなどの野菜が多めで、食べるだけで〔健康になった感〕を得ることが出来る。それでいて麺もモチモチ太麺で、ズズっと啜ると快感極まりない。
「まあ、困ったときは困ればいいじゃない、ははは」
「でも、オレ心臓に爆弾抱えてるんだぜ?」
〝それ困るってレベルじゃねぇぞっ!!〟
隣にいる男性二人組み客の会話に〔心の中〕で参加し、それに私はつっこんだ。きっと同じようなことをして楽しんでいる呑兵衛さんは、私以外にも沢山いるはずだ。
そして時に、胸が熱くなる会話も──
「ここにくるとホッとするよ」
「そうか……そうだな」
「そうさ、この婆娑羅があったから君がいる、君がいたから婆沙羅もある」
「ハッハッハ、聴かせるねぇ」
そう言って、男性二人は飲んでいた日本酒のコップで軽く〝チン〟と鳴らした。
それを聴かされた私も、二人の邪魔にならないよう、そっと、グラスの口縁を彼らに傾けるのだった。
──そんな私たちの会話を聴いてか聴かずか、
背中を向けたままのマスターは、もつ焼きを焼きながらシャンソンを鼻歌で奏でていた。
婆娑羅(ばさら)
住所: | 東京都武蔵野市中町1-3-1 |
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TEL: | 0422-54-1666 |
営業時間: | 16:30~23:00 [土] 16:30~22:00 |
定休日: | 日曜・祝日 |