新丸子「三ちゃん食堂」酒場珍耳袋 第二話「あれ? 俺、何してんだろう……?」
ひとり酒場で飲やっていると、見るともなく目に入ってくる客の頼んだ酒肴。他人が食べているものとは、何故ああもウマそうに見えるのだろうか。
「おまたせしました」というマスターの声と共に、もうもうと湯気を上げたホルモン炒めを隣の青年が受け取り、カウンターを跨いだ対面に座る美女は、チュルリと大粒の生ガキを頬張る。あっ、ちょっと先輩、このタイミングで自家製ラッキョウなんて通ですねぇ。
酒場珍耳袋 第二話
〝あれ? 俺、何してんだろう……?〟
あの料理は、この料理はと蘊蓄を傾ける中で〝まぁ、勝手にそう思い込んでいただけなのだが……〟と、自分の思い違いに赤面したことはないだろうか。隣の芝生は青くみえるというもので、他人が何を頼んでどう飲っているかなんていうのは、そもそも考えることが野暮なのかもしれない。
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巨大台風で色々と注目された武蔵小杉、厳密には隣の『新丸子』に、素敵な大衆食堂があるというのは大衆食堂ファンの中では有名である。そのファンのひとりである私も、そろそろだなと思い付き、ある昼下がりにお参りへと訪れたのだ。
『三ちゃん食堂』
名前がね、いいですよ。おそらく、「オレのあだ名が三ちゃんでね、そのまま店名にしちゃった」みたいなことだろうか。建物自体はレンガ調のモダンな造りだが、〝三ちゃん食堂〟とマジックペンで書かれたような古看板、食堂といいながら〝中華料理〟と書かれた紅紫の暖簾とのコントラストがまた良し。老舗店なのに、入りづらさはまったく感じさせない。
間口の扉も変わっていて、真ん中から取っ手を左右に引くタイプだ。両手で左右に開放すると、〝いざ、参りましょう〟と、高揚とした気分的にさせる。
「いらっしゃいませー!」
うおっ……昼間っから飲ってるねぇ。だだっ広い食堂には、テーブルが十数台と小さなカウンター席。そこで老若男女がびっしりと座りそれぞれ飲っていた。
「そこのテーブルでお願いします」
十数人の合コンらしいグループと、ひとり昼酒の先輩の間に入れてもらった。どこにでもあるシンプルな丸イスに座ったが、すでにここは居心地がよろしいようだ。となると、酒だ。
『瓶ビール』
大衆食堂といったらまずは瓶ビール。小グラスでグビッツイーをして、喉を安定させてあげましょう。
グラスを片手に壁のメニュー札を眺めていて思ったのだが、食堂メニュー以外にも中華系ラインナップが目立つ。暖簾にもあったように元々ここは町中華で、客にアレれもコレもと頼まれてメニューが増えていったんだろうか……などと想像していると、
「煮込み、おまたせしましたー!」
元気なお運び女将の声と共に、後ろの先輩客に煮込みが置かれた。女将が通った跡は、ぽわぁんというウマそうな残り香が強烈に漂っていたので、さっそく私もその香りを辿って《ツマミ泥棒》することにした。
『煮込み』
う~ん、いいねぇ、よく沁みてそうだ。案の定、モツは芯まで茶色く沁みており、丁度いい歯ごたえからはジワジワと旨汁が口中を溢れさせる。ザクザクと切られた大量ネギもうれしい。〝ネギをケチらない〟が名酒場の条件のひとつだ。
「イヤっほ~~い!」
「ヤバ! 超おいしそー!」
となりの合コングループに歓声が起こった。目玉だけをそちらに向けて見てみると、テーブルの中心には謎の丸い天ぷらがある。ありゃなんだ……? 顔が真っ赤っ赤になった幹事の男子が、それを崇めるように場を盛り上げる。ひとりがそれをかじると「うんめー!」と言った。何の天ぷらなのか、やはり気になる。仕方がない、こうなれば手はひとつ……
「あ、店員さん。隣のアレ、こっちにもください」
『天ぷら』
見事に《ツマミ泥棒》を果たした天ぷらは、大ぶりなものがドンドンドンと3つもある。果たしてその正体はと、箸で衣をクパァリすると、なんと白子さんでしたか。私はあなたのことが大好きなんですよ。
しっかりと揚った白子は、モチモチでウマい。ポン酢は勿論ウマいが……いや、ここでは塩がおすすめかな。とにかく、これは大した逸品なのは間違いない。
合コングループの反対側にいる先輩は、ひとり静かに飲っている。目玉だけをそっちにやると、日本酒に……ん? あの小鉢は……『塩辛』か。ずいぶん長いこと飲っている様子だが、アテが塩辛だけとは。まぁ、これは泥棒しなくてよいだろう。
「アラ、そんなの頼んでたの?」
「あたしね、コレがすごく好きなのよ」
後ろのマダム4人組の席から、煙草焼けの声が聴こえてくる。いくら煙草焼けの声でも、その〝料理名〟はしっかりと私の耳には入ってきた。私が特に大好物のアレである。ここまでくれば、ひとつ泥棒するのも二つ泥棒するのも構いはしない。
『赤貝刺し』
出たっ──貝の女王、赤貝!! 私はこれに目がなく、メニューにあれば必ず注文する。コリコリシコシコの新鮮極まりない歯応えと、独特の風味がいつだって堪らない。
味もさる事ながら、赤貝はなんといってもこのフォルムだ。〝あの部分〟と遺伝子的に近いのではないかと思わせるそのフォルム。毎回、眺めてはムシャブリ食すのである。そして、ここの赤貝も漏れなく──ンまいッ!!
この酒場はいい、とてつもなく気に入った。
そりゃあ、人気店にもなるはずだ。毎日12時から営業して、メニューも豊富。それでいてどれもこれも美味しいときたら、この人気になりますでしょう。いやぁ、次は何を頼もうか、ワクワクするじゃ……
「塩辛、おかわり」
……えっ、塩辛のおかわり?
その声の元は……隣の先輩であった。日本酒と塩辛だけの先輩だ。塩辛をおかわりなんて聞いたことがない……いや待て、我が酒場の師・太田和彦先生は荻窪の『やきや』という立ち飲み屋で、はじめて食べた塩辛をあまりのウマさからおかわりしたという。……もしかすると、ここの塩辛も同じような〝絶品〟なのかもしれない。いや、ここの料理のクオリティからしたら、それは十分にあり得るぞ。
「はい、塩辛です」
「どうも」
先輩の元へ、おかわり塩辛が届く。目玉だけを動かしてのぞき見をするが……うーむ、普通の塩辛にしか見えない。だが、それが逆に怪しくもある。ここはいっちょう、泥棒をしたいところだが、なにせ先輩との距離が近すぎて些か泥棒しづらい。そんなことを思っていると、先輩がトイレだろうか席を立った。──今だ!
「すんません! こっちにも塩辛ください!」
『塩辛』
おぉ……なんだか、神々しいぞ。器だって他のより上等な気がする。なるほど、これが〝おかわりするほどウマい塩辛〟か……食すのが緊張してきた。戻ってきた先輩へ目玉だけを動かして見ると、またチビチビと飲りはじめている。おいしそうに食べるなぁ先輩。
ゴクリ──。では先輩、盗ませていただきます……!!
パクリ、モグモグ……
ん──……
うっ! こ、これは……
普通の、塩辛……?
何度も口に運んでみたが、どう味わっても、スーパーやコンビニにある〝普通〟の塩辛なのだ。いや、おいしいのだけれども。今度は首ごと、先輩の方へ目をやる。赤茶色の顔で日本酒をキュッと飲み干し、ボロボロの財布から小銭を払い、さっさと店を出て行った。
あれ? この塩辛っていくらなんだ?……200円?
あれ? よく見たら、器も普通じゃん?
あれ? もしかして〝貧乏飲み〟してただけなんじゃね?
なぁ~んだ──って、
〝あれ? 俺、何してんだろう……?〟
酒場珍耳袋 第二話 完
三ちゃん食堂(さんちゃんしょくどう)
住所: | 神奈川県川崎市中原区新丸子町733 |
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TEL: | 044-722-2863 |
営業時間: | 12:00~21:00 |
定休日: | 水曜日 |