飯田橋「三州屋」おかえり、小さな大衆酒場の日常
今年ばっかりは〝やっと〟と言うべきか、それとも〝もう〟と言うべきか……災禍の年が、もうすぐ終わろうとしている。2020年もさることながら、今年はそれ以上に大変な年で、特に酒場を含む飲食店へのダメージは甚大であった。私自身も、酒場に入ってはみるものの〝酒が出せない〟という返答に、何度となく落胆をしたのだ。
それでも、秋になるとようやく落ち着きを取り戻し、なんとか、それを維持しているという日々に心から感謝をしつつ、また新たな気持ちで酒場めぐりを始めているのだが──
「ひとり? あー、いま満席ッスねぇ」
……くぅ、
「すいません、予約で一杯なんですよー」
きぃぃぃぃ!! 全ッ然、入れない!!
やっと〝新コロ地獄〟が落ち着いて酒場めぐりが出来るとなれば、今度は〝満席地獄〟が始まっていたのだ。
酒場の前まで行くと、戸を開ける前からガヤガヤと聞こえてくる。戸を少し引いてみると〝ワッ!!〟という喧騒に押し戻されそうになる。近くにいる店員さんに人数を伝えるものの「満席です」と苦笑い。これはこれでうれしいことなのだが、連続すると流石に堪える。
まぁ、酒場を欲していたのは皆いっしょだもの、仕方がない。
「あ、えーっと、ちょっと、あの……すいません、もう予約で一杯です!」
とある夜、神楽坂の古民家酒場で有名な『酒ト壽』に、飛び込みでひとり訪れたが、もう入った瞬間に「こりゃダメだな」と気が付いた。店員のお兄さんは、電話子機を片手にもう天手古舞の様子。また来ますとだけ言って、店を後にした。
その後も、二軒三軒と満席が続き、気が付けば飯田橋まで来ていた。歩き疲れて途方に暮れていると、普通に歩いていたら気が付かなそうな路地に、酒場の灯りが見えた。
その大衆酒場を絵にかいたような出で立ちは『三州屋』だった。三州屋といえば、この災禍にバタバタと店を閉め、残るは銀座と六本木、あとこの飯田橋くらいだけだったはず。本店をはじめ、他の店舗には何度となく訪れ、お気に入りの酒場だったがここははじめてだ。
暖簾の隙間から中の様子を伺ってみるが……うん、すごい喧騒だ。ここも駄目かと、今夜はもう帰ろうと踵を返したが、何となく気になって暖簾を割ってみたのだ。
「はーい、いらっしゃい!」
「あの……ひとり、なんですけど」
「ひとり? えーっとね、じゃあカウンター席どうぞ」
ほらな、やっぱり駄目だった。今夜はもう大人しく帰ろ……って、えっ?
「いいんですか!?」
「いいですよー。カウンターの一番端ね」
いやっほーい! やっと……四軒目にしてやっと座れた。どっと力が抜けて、なだれ込むように席に座った。酒場の神様、本当にありがとうございます。
こぢんまりとした店内は、ほぼ満席状態。4、5人のグループから夫婦、若いカップル客でミッチリと埋まっている。鉄火肌の女将さんと、リーゼント頭のマスターの二人が威勢よく店を回している。なんか、懐かしいなこの感じ。今夜はこの酒場だけで楽しむことに決めたぞ。
決めたら吉日、もう飲るしかない。寒い中、歩き回って体も冷え冷えだ。ここはガツンと熱燗からスタート。
ツイッ……ツイッ……ツ、アッッッッツ、アチチチッ!! アルコールが吹っ飛ぶんじゃないかくらいの熱さだが、今夜の寒さにはこれくらいがいい。辛口だから喉と食道と胃袋にズドンとくる。うむ、こんな熱燗には〝お供〟がいるよな。よし、頼もう。「あの、すいませ……」
「女将さん、こっちお勘定ねー」
「はいはい、ちょっと待ってね!」
「すいませーん、三名ですけど入れます?」
「三名さんね、片付けるからちょっと待ってて!」
……もはや戦場、ちょっと頼みづらい。客が出ては入り、入っては出ての繰り返しだ。これは先にまとめて頼んでいた方がよさそうだ。
結局、どこにでもあるフツーの『塩辛』が一番ウマかったりする。巷じゃ〝減塩〟なる塩辛があるが、塩辛は塩が辛くなくちゃね。強めに箸ですくって、口の中で馴染ませる。そこへに辛口日本酒を流し込んでマッタリと味わう。そうすりゃ、誰でもゴキゲンよ。
ちょいと値が張るなと思いきや、この『鯵たたき』の大盛りよ。ザクッザクッザクッ、とたたき切られた鯵を器にドカリ、ネギをパパッとの愛しきビジュアル。
ウマいに決まっている。新鮮なプリシコの身は、噛めばプツンと小気味よく歯に跳ね、するっとのど越し爽快。これと、白米と味噌汁、あとは漬物のセットを『松屋』か『すき家』なんかで出したら売れるだろう。
「ナス、今日はおしまいだからね!」
「はいよ」
「厚揚げもね!」
「はいよ!」
忙しいなんてもんじゃない。女将さんとマスターのかけ声も、殺気立っている。こりゃ、私の頼んだ料理も通ってないかもな……と思いきや。間もなくして、しっかりと目の前に届けられるから流石である。
あなたはいつだって美人だねぇ『メダイ西京焼き』ちゃん。角の欠けた四角皿に、まだ焼き音が聞こえてきそうなテリテリの仕上がり。ちょこんと、さつま揚げの切り身が乗っているのがニクイ。
箸の先でプツリと身を割ると、切れ目から甘辛い味噌の香りがプワリ。思わず顔から喰らいつく。麹の風味が鼻に過り、味噌の香ばしさがじゅわりと口中に広がる。ウマい、西京焼きってウマい。
「いいから、早く食べちゃいな!」
女将さんの声にドキリ。え、私のこと……? ではなく、どうやらマスターへ〝賄い〟を早く食べるように催促していたようだ。ただ、そのマスターの姿が見えないようだが……あっ
カウンターの内側に、しゃがみ込んで賄いを食べるマスター。チラチラと立派なリーゼントが小刻みに揺れているのが、どうにも可笑しい。酒場は酒や料理だけではなく、こんなのが面白いのだ。
「いいじゃん、もう一杯くらい」
「いや無理! 明日は早番なんだって」
男女四人組の、他愛もない会話。
「だーから、オマエはダメなんだって」
「はい、すんませんっ!」
小上がりでは、某大手出版社に勤める先輩後輩グループのお説教大会が始まっている。
「あはは!」
「あはは、じゃないよ、まったく」
そして、笑って何かをごまかすマスターと、あきれ顔の女将さん。あきれ顔の中にも、どこか微笑みが混じっているようにも見えた。
うるさいなぁ……なんて、うるさい酒場なんだろう。
最近、こんなにうるさい酒場ってなかった。
だから、なんてうるさくて、なんてうれしいのだろう。
「ごちそうさま、また来まーす」
「どうも、ありがとうね!」
今度は喧騒から、また暖簾を割って店を後にした。
今夜は何軒もフラれたけれど、きっとどこの酒場もこんな風に騒がしいのだろうなと思ったら、図らずも「おかえり」という心の声と共に、晴れ晴れとした気持ちになったのである。
この戻りつつある〝うるさい〟が、どうか来年も……いや、ずっと続いてくれますように。
三州屋 飯田橋店(さんしゅうや いいだばしてん)
住所: | 東京都新宿区下宮比町1−7 |
---|---|
TEL: | 03-3267-2465 |
営業時間: | 11:30~14:00×16:30~22:30 |
定休日: | 日曜日・祝日 |