〝ただの〟ではないうどんをアテに飲れる〝ただの家〟/青梅「草庵」
「ちょっと待ってよ……ただの家じゃん!」
と、今まで何度となく叫んできた。どういうことかというと、入った酒場があまりにも一般家庭の内装に近く、シブいを通り越して〝ただの家〟の状態にあることだ。
例えば押上にある『もつ焼き まるい』は、一階はカウンターがあって酒場らしいのだが二階へ上がると驚愕する。畳にちゃぶ台と箪笥の上にはテレビ、額縁に入れた賞状が並ぶ小壁だけを見てここが店舗だと思う人間はまずいまい。
鎌倉にある『津久井』は、まず外観がどう考えても普通の一般家屋だ。店の間口だって完全に〝玄関〟で、靴を脱いで上がると奥には〝田舎の婆ちゃんち〟の部屋がある。思わず「お婆ちゃん、100円ちょーだい」と声が出そうになる。お好み焼き用の鉄板が埋め込まれたテーブルがあるので、辛うじて店舗感があるくらいだ。
神楽坂の「カド」は、正直笑ってしまった。古民家をリノベーションしたのだが〝リノベ感〟をほとんど感じることはなく「そのまんまじゃん!」と声を出すほど〝ただの有形文化財〟なのだ。目隠しをされて突然ここで目隠しを外されたら、誰もがタイムスリップしたと勘違いするだろう。
なんにしても、私はこういう酒場が大好きで、今後一切こんなところだけで飲るでもいいと思っているほどだ。そして私は、これらをまとめて〝家系酒場〟と呼んでいる。因みに、かつて巣鴨にあった『庚申酒場』という激シブ酒場は、トイレを借りると店の奥にある女将の〝住まい〟であるポットン便所を貸してくれるが、あれはもはや〝家〟だった。
その〝家系酒場〟を探し求めて日々飲みに歩いているのだが、最近私の中での〝ただの家〟ランキングが大幅に更新された店に出会った。それは、東京多摩地区にある『青梅』にあった。
前々から青梅には私の大好きなレトロな建物が多く在ると訊いており、そのうち行ってみたいなと思っていたのだ。
山をガッツリ切り開いた場所に駅があり、北口には学校が陣取り南口にはデデンと大きな劇画の看板。全体的に昭和チックなモルタル建築が並ぶが、よくみると構想マンションもチラホラ。あとで地元の方から訊いたのだが、都心からの移住者がかなりいるらしい。
目的の店の場所は、前もって調べておいてある。歩いて30分はかかる見込み。のんびりと行こうじゃないか。
歩き始めて10分ほどして多摩川に掛かる『鮎美橋』を渡るのだが、川からかなり高い場所にあるので高所恐怖症は気を付けた方がいい。真下の河原では、BBQを楽しむファミリーが結構いる。いいですねぇ。
橋を渡り、釜の淵公園に出ると『旧宮崎家住宅』を見学。そこからさらに、崖の階段を上りさらにアップダウンの道程を歩くこと20分。おそらくこの辺りのはずではあるが……
う〜ん、グーグルマップではここを指しているのだが……
あれ? ただの家しかないんだが。
いやいや、絶対におかしいぞ。もしかして、もう廃業してしまったとか。
……ん? 提灯?
あっ!〝手打ちうどん〟!?
ちょっと待ってよ……
ただの家じゃん!
うそだろ、こんなの分かるはずないじゃん……
どう考えても〝ただの家〟こそが目的の『草庵』であった。初見はまず発見が難しい佇まい。今まで何度となく叫んできた「ただの家じゃん!」が薄っぺらく感じるほどの迫力だ。
ここから入るのか? 藍色の暖簾が揺れているが……うーむ、洗濯物を干してるようにも見えなくない。とにかく営業中ではあるっぽいので、中へ入ってみよう。おお、これはかなり入りづらいぞ。
カラコロカラコロ……(戸のガラスを揺らす引き戸の音)
「あのぅ、すいません……」
うわっ、ちょっともう、ただの玄関じゃないか! 小さな土間と上がり框、田舎の家の玄関そのものである。完全に他人様の家に尋ねる感覚だ。奥の方から「いらっしゃいませ」という声が聞こえたので、靴を脱いで中へ入ってみる。
うわっ、ただの家……ただの家じゃないか! 襖を取っ払って十畳ほどの縦長になった部屋は、どう考えたってただの家でしかない。大正箪笥や木枠のガラス戸、小壁には風景画や写真の額縁、畳に並べられたテーブルは、これから家族親戚を待っているようだ。
すげぇ……マジでこんなところが現代にも残ってるのかよ。ウットリと立ち尽くしていると、女将さんがやってきた。
「いらっしゃいませ。お茶はそちらにあるのでどうぞ」
振り向いてみると、
うっ……シブ過ぎるなぁ! 大きな壺の上にお盆と裏返した湯呑。真鍮製の急須がなんとも素敵だ。ただ、このテンションはお茶ではない。
「すいません。お酒、飲んでもいいですか?」
「お酒ですか?」
この佇まいだ。もしかすると酒を置いてないのかもしれない。
「ビールでしたら、あちらの冷蔵庫にありますのご自由にお取りください」
あちらの冷蔵庫……?
冷蔵庫ぉぉぉぉ!! イイッ、すごくイイッ! 畳の上にASAHIの業務用冷蔵庫なんて、酒場広しといえここくらいじゃないか? しかも大瓶だけではなく缶まである!
やはりこの雰囲気では缶ビールがいい。ASAHIの冷蔵庫から取り出したSAPPOROの黒ラベル、それをさらにASAHIのグラスに注ぐという乱痴気感よ。
ぐびっ……家っ……ぐびっ……、イェ〜イ飲みサイコォォォォ……いや、家ではなかった! しかし、何度も勘違いしそうだ。
家ではなく〝うどん屋〟なのでうどんを頼むと、まず先に小皿が3つ届いた。ちょっと待ってよ、ビュッフェで自分で選んできたんじゃないかってくらい、好きなものばかりじゃないか。
まずは大好物の『ほうれん草の胡麻和え』から。特にこの茎の部分が好きで、いい具合にシナっている。ゴマの量も的確で、まったくほうれん草を邪魔しない。
続いては『煮物』だ。写真を見ていただいてお分かりの通り、テーブルの柄との一体感が半端ではない。この写真だけLINEに送られてきたら、「あれ、お前実家に帰ってんの?」と返信してしまうだろう。全部が暖色という田舎色。厚揚げもコンニャクも、じんわりと味が沁みて缶ビールにぴったりだ。
この金色に輝く『サツマイモの甘露煮』なんか、私の婆ちゃんが作ったものと同じ過ぎて、一回女将さんの顔を確認したほどだ。ほんのりとレモン風味がして、これがなんともサツマイモと合うのだ。デザートとしても、女子にはウケそうだ。
うわっ、ただの家!
おほっ、こっちも!
いちいち、ただの家心をくすぐる光景が飛び込んでくる。私はレトロ建築が酒場と同じくらい好きなのだが、ホンモノのレトロと造られたレトロはすぐに分かる。ここのものは、もちろんホンモノ。装飾品ひとつひとつから〝魂〟のようなものすら感じて、いい意味でゾクゾクしてくる。
そして、その魂の宿る場所の『天ぷら つけうどん』がやってきた。
まず言わせてほしい、うどんの量が凄い! 普通盛りでお願いしたはずだが、これはどう考えても2玉分はある。それと、木製の角皿がまたいいですねぇ。この店だからこそ、特に映える。
もうひとつ言わせてほしい、コシが凄い! ズルッ!と勢いよく啜り上げると、喉奥に流れ込むような喉越し、そしてコシ。ツルッという感じよりかは、もっと〝ごんぶと〟といった力強さがたまらない。
『かき揚げ天ぷら』も揚げたてサクサク、ふうわり軽い。口に入れると、パシャッと紙風船が弾けるような食感で、エビや野菜の風味もバッチリだ。テーブルにある塩を軽く振ってサクリ、直後に缶ビールをグビリ……これだけの為に、ここへ来てもいいくらいだ。
〝ただの家〟で食べるうどんの方は〝ただの〟ではなかったのだ。
食べ終わったけど、帰りたくないなぁ。あ、ここって〝ただの家〟だし、泊まらせてもらおう……というワケにはいかないか。でも、ご覧なさいよ……テーブルを片付けてここに布団を敷いたって、何ひとつ違和感ない。そのまま「電気消すよ〜」って、誰かの声が聞こえても、全く不思議にならないのだ。
小皿やうどんは確かにおいしいに違いないのだが、やはりこの場で頂くということが大きい。あんまり〝この店は絶対行った方がいい〟と言わない主義だが、とにかく〝家系酒場〟で飲りたいという方は絶対行った方がいい、とだけは絶対に言っておきたい。
ここを新しい基準として、これからも〝ただの家〟を探していこう……って、ちょっとハードルを上げ過ぎかしら。
草庵(そうあん)
住所: | 東京都青梅市長渕8-11 |
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TEL: | 0428-22-1670 |
営業時間: | 12:00~20:00 |
定休日: | 月曜日 |