弘前「ます酒」津軽弁交響曲/東北人が改めて東北で飲る旅 青森編④
地方の旅はいい。何がいいって、なんといっても都会にはない地方特有の〝空間〟で酒を飲めることだ。短い滞在時間、その土地の気候に馴染みつつ、名産物をアテにそこで流れる水で作った酒を飲む。二、三日もいれば、故郷のような居心地の良さが生まれ、旅立ちの時はちょっぴりおセンチな気持ちになる。
ただひとつ、困ったことがある。地方は〝時間〟に曖昧であり、ある意味シビアなのだ。例えば、電車は一時間に一本、バスなど本数が少ない上に時間通りになかなか来ない。都会の感覚で旅の予定を立てようものなら、謎の待ち時間に悩まされるだ。
酒場に入るのも〝予約〟が必須なところが多い。都会のように混みあうから予約するのではなく、客が来ないと店自体を開けないからだ。そんなのは気にせず、気の向くまま酒場へ行こう……なんて、17時開店の口開けに向かおうものなら開いておらず、あきらめて別の酒場へ行った帰りには、しっかり開いている……なんてことも多いのだ。
青森県弘前市へ飲み旅行、最終日。酒場はもちろん、観光も楽しめた数日間だったが、もう帰らなくてはならない。何度も通った道に別れを惜しみながら、帰りの電車が待つ駅へ向かう。
ああ、楽しかった……いや、せっかくなのでもう一軒くらい飲りたい。スマホで調べると、16時開店の酒場があった。時刻は15時45分、ちょっと早いが向かってみよう。
お目当ての酒場『ます酒』の前まで行ってみるが、やはり暖簾は出ていない。出ていないどころか、出す雰囲気がない。あれ、定休日だったか? 今一度調べてみたが、そうではなさそうだ。
これが、地方酒場だ。前もって予約しておけばよかった……などと後悔しながら店を離れる。帰りの電車は弘前駅から17時39分発。時間はまだまだあるので、缶酎ハイを片手に駅前を散策する。途中で市場を見つけて場内のラーメン屋で麺をすするが、それでも時間はまだある。
酒呑みは酒に卑しい。時刻は16時30分、もう一度だけ、さっきの酒場を見に行ってみよう。それでダメなら、諦めて公園で時間を潰そう……
わっ! 営業ってる!?
割と最近建て替えたのであろう、二階建ての小さな建物には〝ます酒〟の電気看板がしっかりと輝く。土色の暖簾も美しく、店前に無造作に積まれた発泡スチロール。店先に発泡スチロールが積んでいる酒場は、名店が多いというのが私の持論。
発車時刻まで、一時間もあれば十分飲れる。これは酒場の神様からの思し召しとしか考えられない。何の迷いもなく、吸い込まれるように暖簾に潜った。
カラカラカラ……(引き戸を引く音)
うっほ、なんという絶景! 奥へと長い店内は、床と壁はレンガ調で揃い、テーブルが三台と奥には小上がり。壁のいたるところに額縁、カレンダーに告知ポスターが張られて賑やかな店内。カウンターには此見よがしにリザーブの酒瓶が並んでいるところを見れば、地元に愛されていると想像するのは容易い。
「すいませ〜ん……」
誰もいないように見えたが、入り口からすぐ横、カウンターの内側に女将さんが生のタコを捌いているのを見つけた。
「あの、ひとりいいですか……?」
「どぞ」
ここはぜひとも、カウンターに座りたい。カウンター内、外にみっちりと並んだ酒瓶に囲まれた所を酒座にする。とりあえずます酒……いや、まず酒だ。「すいません、瓶ビール下さい!」
背景を酒瓶にして、瓶ビールも嬉しそうだ。弘前とのお別れと、奇跡的に訪れることができたこの酒場に乾杯。
ぐびんっ……ぐびんっ……ぐびんっ……、ウメ──酒瓶に囲まれて飲む瓶ビール、ウメ──! この瓶を開ける頃にはきっと弘前と別れの時間だろう……寂しいなぁ。さて、料理にしようと思うが……おや?
これだけわちゃわちゃとモノに溢れている店内だというのに、メニューらしきもが見当たらない。これが高級料亭ならば、ビール一本飲んで退却だが、ここは大衆酒場。ドンと構えて、女将さんに訊いてみよう。
「あのー、お料理はどうすれば……」
「◎△$♪×¥●&%#?!」
……え?
なんだか、津軽弁の訛りが強くて聞き取れなかったが、聞き返すのも野暮だ。手振りを見る限り〝店の入り口にある料理の並んだショーケースから勝手に取って〟と、仰ったのだろう。
いざ、ショーケースを目の前にすると、これまた絶景。昭和のプラモ屋でよく見たガラスケースに、小鉢やら食材やらがキレイに並べれらている。これは迷うな……しばし悩み、ガラスケースからバンダイの旧ザクを……いや、料理をいくつか取り出した。
まずは見た目にも美しい『白きくらげ酢の物』から。白きくらげ、カニカマ、きゅうり、そして食用菊。
きくらげのコリコリとした触感にカニカマときゅうりの食感がよく、香味がたまらない菊がよく合う。
続いて『ニシン的なしょう油煮とニラ』だ。あえて〝ニシン的〟と言うのは、女将さんに「この魚なんですか?」と訊ねると「◎△$♪×¥●&%#?!」という回答があったからだ。食べてみるとニシン……ほぼ、間違いなくニシンなのだが〝的〟を付けておく。
味の方は〝的〟ではなく、間違いなくおいしい。特に淡白なニシンの味わいに、しっかりとしたしょうゆ味が溶け込み、さらにシンナリとしたニラが心地好い風味を与えている。
地元のオジサマが、何も言わずに店に入ってきた。そのままオジサマが座ったテーブルに、こちらも何も言わずにリザーブと思われる焼酎瓶を持ってくる女将さん。まるで、熟年夫婦のような無言のやり取りに、何だか温かみを感じる。
最初に魅せつけられていた『タコの刺身』もいただこう。女将さんが捌いたばかりのタコは、瑞々しく見るからに新鮮そのもの。箸で持ち上げるとネットリとした重み、そこをジュルンッとしゃぶる様に喰らい付く。ウマいッ!
ツルンとした舌ざわりとプツリと嚙み切れる柔らかい身から、タコの旨味が染み出す。実はボイルのタコはあまり食べないのだが、こんなおいしい生タコなら毎日だっていい。
「◎△$♪×¥●&%#?!」
「◎△$♪×¥●&%#?!」
テレビの相撲中継を観ながら、女将さんとオジサマが興奮気味に会話をしている、のだが……本当に、何をしゃべっているのかが解らないのだ。仮にも私の故郷は青森の隣、秋田だ。ここまで車や電車で二時間半もあれば行ける距離なのに、こんなにも言葉が違うものか……?
「うふふ、◎△$♪×¥●&%#?!」
「◎△$♪×¥●&%#?! あっはっは!」
辛うじて笑い声だけは解ったが、それを決して揶揄しているのではない。本当に……本当に何を言っているか解からないのだ。驚きとショックでいると、ジューシーな香りと共に『鳥肉とさがり』がやってきた。
デカい! BBQとは言い過ぎだが、とにかく焼鳥としてはデカ過ぎるのだ。正肉の表面が、丁度良く焦げたところから喰らい付く──うんまい! 噛むと同時に肉汁が洪水のごとく溢れ、じゅわじゅわと口中を満たしていく。
サガリとは腹壁の筋肉、いわゆるハラミで、これもまたウマい。正肉と内臓のちょうど中間あたりの食べ味で、淡泊でもあり肉の旨味もたっぷりと感じる。塩加減もさることながら、とにかく焼き方が素晴らしい。女将さん、焼鳥の焼き方選手権に出場したら、入賞イケるんじゃないだろうか。
「◎△$♪×¥●&%#?!」
「◎△$♪×¥●&%#?!」
さらに地元客数人が加わり、津軽弁客の大合唱が始まる。誰かひとりでも訛りが弱ければ、なんとなく解ると思うのだが……どれだけ耳をこらし、真剣に聴いても全く解らない。
それでも、唯一聞こえたのが、
「たけるふじ? 全然読めねなぁ」
テレビの大相撲を観ながら、同じ青森県出身の力士『尊富士』の読み方を、女将さんがオジサマに訊ねた時の会話だ。
……女将さん、十分、津軽弁の方が解らないですよ。
なんだか、楽しくなってきた。酔っ払ったからではない、この不思議な言葉に包まれている感じが楽しいのだ。
次はいつ聴くことができるのだろうか……そろそろ、時間だ。
「ごちそうさまでした」
「はい、あんがとね」
時刻は17時を回ったところ。最後はしっかりと女将さんの言葉を理解して、帰りの電車が待つ駅へと向かう。もう一本電車を遅らせて、もう一本飲んでいこうか……いや、次の電車は約二時間も先だ。〝時間〟に曖昧やシビアを通り越して〝時空〟を彷徨っているような──そんな、地方の旅が終わる。
ます酒(ますざけ)
住所: | 青森県弘前市駅前町13-2 |
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TEL: | 0172-32-5659 |
営業時間: | 16:00? - 23:00 |
定休日: | 日曜日 |