中井「権八」天才バカマンガ家ドリームズカムトゥルー
あなたは、子供の頃の『夢』を覚えているだろうか。
子供ってものはやはりコドモなもので、当時は〝絶対にその夢が叶う〟というより〝間違いなくそれが叶う〟という前提で思考回路が働いている。例えば〝オトナになったら自動的に結婚して子供ができる〟というのにも似て、なぜか確信に満ち溢れているのだ。
私に関しては、もちろんそんな確信は何ひとつ戯言であり、結婚などしている訳もなく、当時の『夢』など叶っているわけもなく。
そんな私の『夢』は〝漫画家〟だったのだ。
小学校3年生、当時は漫画家になる以外〝考えられなかった〟のを今でも覚えている。同級生を無理やり誘っては漫画を描かせ、それをまとめた週刊誌もどきの様なものも作っていた。
その時に、影響を受けた……というよりは、インパクトがあり過ぎて未だに当時の印象が残っている漫画家が『赤塚不二夫』である。
平成生まれでも《おそ松さん(くん)》で聞いたことがあるとは思うが、その他に〝天才バカボン〟や〝もーれつア太郎〟などでも有名な、言わずと知れた『ギャグ漫画の王様』である。
といっても……凄く好きだった漫画家というわけでもない。
じゃあなぜ印象に残っているかというと、あの漫画の絵、雰囲気が、子供心へどこか強烈に〝恐ろしかった〟からだ。
独特なキャラクターに独特な設定、子供には到底理解できない表現や禁止用語、少年誌とは思えないほどグロテスクな回もあり、その衝撃は今なお私の中で鮮明に焼き付けられているのだ。
それはある意味、本当に凄い漫画を描く人だったのかもしれないと、今は思える。
そんな、作者が足繁く通っていた酒場が、東京中井駅にあると知ったのは最近ことだ。
『権八』
二十歳くらいの頃、この酒場がある『中井駅』にはエ〇漫画家の友人が住んでおり、よく遊びに行っていたものの、こんな店があるとはまったく知らなかった。
ギャグ漫画家にエ〇漫画家……うーむ、この町は漫画家を引き寄せるフェロモンか何かあるのかもしれない……と、〝ごんぱち〟と記された可愛らしい藍暖簾を可愛らしく《暖簾引き》をして中へと入った。
「いらっしゃいませ」
──ここが、あの赤塚不二夫が愛した酒場か……
♪ペペンペンペン──
店内には三味線のBGMが鳴る。
左手に小上がり、右手にはズラリと海鮮が並ぶカウンター。建物自体は古いが、細部までに磨かれた清潔感が既に良店であることを匂わす。
匂わすといえば、店の前から漂うこの香り。割烹、小料理屋で醸し出す例の食欲を誘う香りだ。
甘じょっぱいような、酒ったるいような……この独特の香りがたまらない。
早速、目の前にネタケースがあるカウンターへ酒座を決めたのだが……席は高級割烹などでよくある〝お盆を置いているタイプ〟であった為、貧乏症な私は一瞬ドキリとするがメニュー(値段)を見てひとまず安心──酒を注文する。
まずは酎ハイでチュー!っと……いや、シェー!っとゴクリ一発。──いざ、肴ざんす。
《アジフライ》
まるで『天才バカボン』に出てくる『デカパン』のパンツ柄のような皿に、ホエホエの……いや、ホカホカの湯気が立つ揚げたて衣がいい色だ。それをソースでカリリッとかじると、中からはホエホエのふっくらとしたアジの身が、やさしく舌を蕩かす。
《あじなめろう》
こりゃンまいッ!!
赤塚不二夫が好んで食べていたという一品。ネットリとしたアジと味噌の食感、ツンとした独特な味付けは、何回なめても飽きのない味で、薬味のミョウガを一緒に箸で包んで食べるのが最高。「都内でおいしいなめろうは?」と訊かれたら、思わずこの店と答えてしまうかもしれない、タイホするー!級のうまさだ。
《五色納豆》
これもまた赤塚不二夫がよく食べていたという料理。マグロ、ねぎ、沢庵、紫蘇葉、長いもの五色にポカッ!とウズラを落とし、これでもかニャロメ!と、ニャっぷりと粘りが出るまでかき回せば、五色が混然となった極彩色が現れる。味もいいとこどりで、ビール、酎ハイ、日本酒、ウイスキーどんニャ酒の肴にも合う一品。
♪ペペンペンペン──
──それはそうと、落ち着く酒場だなぁ……なんなら『雅』さえ感じさせる。
平日の開店とほぼ同時に入ったのもあって、他に客はいない。そんな静かに三味線だけが聞こえる板場に、板さんが黙々と料理の下ごしらえに勤しんでいるのを見ながら呑む酒のウマきこと。いっちょ前に酒を日本酒なんぞに変えて、雰囲気を嗜んでみるのだ。
ほろ酔いで板場の他に目をやると、さすが赤塚不二夫の愛した酒場というだけあって、有名作家や著名人の写真や色紙が数多く見つけられる。
『藤子不二雄Ⓐ』、『ちばてつや』、『北見けんいち』など、誰もが知るそうそうたるメンバーも訪れていたようで、よほど作家勢には居心地がよかった酒場だということを窺わせる。
さらに店の入り口には、こんな色紙もあった。
〝よい客が よい板前を つくる〟(赤塚不二夫)
なるほど……これは我ら呑み助にも身に沁みる一句だ。
その色紙に、もたれかかるように並ぶもう一枚の色紙があった。
〝よい読者が よい書物を つくる〟
おもいっきりパクってるやないかいっ!
「これは〝井上ひさし〟さんが、赤塚先生の色紙を真似してお書きになったんですよ」
横から笑って教えてくれる店主さん。おそらく、2人で酔っぱらって書き合ったものなのだろう。
さらに赤塚不二夫が実際に使っていたキープボトルや、皆で一緒に撮った写真を見せていただいた。
「これも非常に貴重なものなんですよ」
述懐する店主さんの表情は穏やかで、本当にいい思い出であったことが伝わる。
私の漫画家の夢はとうに無くなってしまったが、今後の呑み助作家らにも伝えてきたい名酒亭であることには間違いない。
ここで私も倣って一句。
〝よい酒場が 酔い酒場を つくる〟(味論)
深いッ!!
秋の宵に沁みる、すばらしい出来栄え。
あの頃の『夢』だって叶った気分だぜ……
まぁ、
『これでよいのだ』
ということで。
権八(ごんぱち)
住所: | 東京都新宿区中落合1-13-2 |
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TEL: | 03-3952-2898 |
営業時間: | 17:00〜24:00 |
定休日: | 木曜日 |