門前仲町「ますらお」マニアック・オン・ザ・カウンター
子供の頃から度を越えた〝凝り性〟で、一度ハマりだすと有り金すべてをそれに注ぎ込んできた。エアガン、ラジコン、プラモデル、ギター、釣り……数えだしたらキリがないのだが、一貫していえるのは〝物体があるもの〟にしかハマることがなかったことだ。
逆に〝物体がないもの〟というのはハマることはなく、例えば酒場ナビのイカやカリスマジュンヤは『野球』が好きなのだが、このスポーツを観戦するということは、まさに〝物体がないもの〟ので、どうにも興味が持てない。似たもので『読書』もちょっと違うし、『音楽』は楽器を弾くはあっても、音楽鑑賞となると趣味としてどうも認めることができないのだ。なんというか……物体を自分の手元にコレクションが出来て、それを改造やメンテナンスが出来ないと、何かしっくりとこないのである。
ところが、三十代半を過ぎたころ、まさかその〝物体のないもの〟にハマることになる。
『アイドル』
これも観戦や鑑賞と同じで、物体がない趣味だと思っていたのだが……私は、とある秋葉原系女性アイドルグループに、どっぷりとハマってしまったのだ。きっかけは、愛読している青年雑誌のグラビアに、そこのメンバーのひとりが何度か掲載されており、気になって調べてみたところ、このアイドルグループにたどり着いたことからだ。
〝アイドルのファン……俺が? 馬鹿な!〟
……とは思いつつも、ユーチューブで曲を聴いてみれば──「お、いい曲じゃん」、メンバーのことを調べると──「ほうっ、他にこんな女の子がいるのか」……そうなってくると、持ち前の凝り性が始まる。気が付けば、ライブ日程を調べ、ライブチケットの予約をしていた。一番の思い出は、そのアイドルのはじめての日本武道館公演を観に行き、感動して大泣きしたことだ。その日のライブDVDを、たまに酒を飲みながら観ては思い出して、また泣く。アイドルという2.5次元的存在の〝物体がないもの〟を応援して、私は泣くのである。
ハマりだして数年。2018年に驚愕の情報を目にした。
〝推しメン(イチ推しメンバー)のひとりの、酒場めぐり番組が始まる──〟
予告CMを見た瞬間、卒倒しそうになった。まさか、推しメンの初冠番組が酒場めぐりだとは……。初回放送の日を調べ、その日を待ちわびた。当日は、正座をしながら片手に酎ハイを持ち、食い入るように画面を見入った。よかった……思っていた以上によかった。彼女の行ったこの酒場へ行ってみたくなった。場所は……門前仲町の酒場か。私は凝り性だ。そうなると、こうなります。
『門前仲町』
放送から数日ともしないうちに訪れていた。聖地巡礼というやつだ。しかも今回はアイドル起因というから、自分でも驚きだ。心のどこかで〝同じ酒場へ行ってなんの意味があるのか……?〟という葛藤と闘いながらも、その店へ向かう私の足取りは軽やかだった。
『ますらお』
出たっ!! 門前仲町を代表する立ち飲みの名店。日によっては並ばなければいけない人気店なのはリサーち済みだが、どうやら今日は大丈夫そうだ。立て看板の隣には無機質な階段フロアがあり、そこから店のある2階へと上る。
この階段も、推しメンが踏みしめたと思うと、俄然、テンションが上がる。
「いらっしゃいませ!」
ここか……そういえば、立ち飲みで2階とは珍しいな。明るく広めの店内には、L字カウンターと立ちテーブル席が数卓。おっ、番組で推しメンと話していた店員さんも居るぞ。
「そちらの席へどうぞー」
うわっ! 推しメンが取材した同じ席じゃないか! これは嬉しい……なんという運命! 急いで同じ位置で立ってみる。この景色……私は今、推しメンと同じ景色を見ているのだ。むむむ……
「……ご注文は?」
ハッと、女将さんの声ととも我に返り、酒を飲む前にして早くも夢見心地。まずは例の酒を注文した。
『ジンジャーサワー』
これですよ、これ。ファンとして、推しメンが飲んでいたものと同じものを飲みたくなるのが性。普段、ジンジャーサワーなど頼むことはないが、たまに飲んでみると悪くない。
彼女が使ったものと、同じグラスかもしれない……という淡い期待が、より一層サワーをおいしく感じさせる。
店内のあちこちには日替わり黒板メニューがあり、値段もピンキりでラインナップも魅力的なものばかり。ここでも、真っ先にアレを頼んだ。
『カツオ刺し』
これも推しメンが頼んでいたものと同じメニュー。そろそろ変質者な気分になってきたが、構うことはない。タップリ生姜を載せて口へ入れた……。ん?……あれ……えッ? これ、めちゃくちゃンまいぞ!?
なんだ、なんだ……と、舌を疑うほどウマいのだ。時期的なものもあるのだろうが、サクサクの歯ざわりの後にねっとりした舌ざわり。新鮮極まりないカツオの風味が、口全体へ鮮烈に広がる。実は、カツオやマグロのアレルギー持ちだったりする私だが、思わず全部食べてしまった。あ、これはもしや当たりの酒場では……そうなると、アイツを試してみない手はない。
『牛すじ煮込み』
ビジュアル100点! その酒場の煮込みが出された時、私は『器』も合わせて見るのだが、ここは素晴らしい。無数の青線が入った椀に、みりん醤油色の照りが眩しいモツ、それに長ネギではなく、青ネギがつんもりと載せるところが憎らしい。ブリンブリンのモツを箸で持ち上げ、そのまま口に入れる──ンまいッ!! こいつも文句なしにウマい!!
租借という抵抗を許さず、舌に載せるとスッと溶け、追いかけてくる牛のミルキーな風味が堪らない。都内最高レベルである浅草『正ちゃん』の煮込みと同水準……いや、うーん、難しいぞ、このジャッジは。
『鰯たたき』
心の中で煮込み論争をしていると、また新たな刺客。こいつもまた、エライ美人じゃないか。繊細に盛られたそのひと切れを、箸で持ち上げ優しく食べてみる。まただよ……何なんだよここは、これもめちゃくちゃウマいじゃないか!
シュルッ、シュルッという、啜るような口当たりがとにかく小気味好い。カツオの時とはまた違う、青魚独特の爽やかな味わいが、今思い出しただけでも唾を呑む。そうだ、鰯たたきといえば神田『大松』も特筆すべき逸品がある。あそこのは『梅しそ叩き』なるもので、鰯と梅しその渾然具合が得も言われぬ──、
『カウンター』
!?……おいおい、このカウンターの色味の渋さはなんだ……!! さっきから、酒や料理を〝何か〟が引き立てているとは思っていたが、その正体はこれだ。変に誇張せず、澄まし顔の美しい木目が映える。おそらく、ライティングまでもが計算されているんじゃないだろうか。
さらに、この高さ。カウンター好きとして一番の評価ポイントは高さなのだが、立った時に自然と肘がカウンターに載り、肘を支点にグラスを上げ下げが楽にできる。すべてにおいて、マキシマムに近いカウンターだ。
料理やカウンター共に、これほど仕上がった酒場が、2014年創業の若手だとは……。まてよ……2014年創業って他はどこだろうか? スマホを取り出し、自分専用の酒場データーベースで確認する。なるほど、阿佐ヶ谷から移転した西荻の『善知鳥』か……あっ、野方の『第三秋元屋』もなのか!……一度カウンターを見比べに行ってみるか……。こんなことを、ニヤニヤと調べながら飲っている時が一番たのしい。
カツオ刺しもウマかったなぁ。今年は、高知の酒場でカツオを食するのが目標である。何なら、推しメンちゃんと一緒に行きてぇなぁ……つーか、あの子結婚しちまったなぁ!!
ひとり一喜一憂、時に咆哮ながら、ジンジャーサワー4杯目が無くなったところで店を後にした。
「ここも、いい酒場だったなぁ……」
〝物体のないもの〟
私は今、その中のアイドルというものにハマっている。
ただ、気が付いたのだ。もうひとつ、〝物体がないもの〟にハマっていることに。
他でもない〝酒場めぐり〟である。
もはや、全身が抜け出せなくなっている。
ますらお(ますらお)
住所: | 東京都江東区富岡1-5-15 伊藤ビル 2F |
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TEL: | 03-5809-8256 |
営業時間: | 平日 17:00~23:00/土曜日 15:00〜23:00/日祭日 15:00〜21:00 |
定休日: | 不定休 |