川崎「丸大ホール」5年目の酒場ぐらい大目にシンクロニシティ
まずは、こちらの写真をご覧いただきたい。
酒場ナビメンバー『イカ』という人物が写っているのが分かるだろう。いいえ、右ではなく、左の男の方である。右はこの酒場の女将さんのひとりで、私が2015年11月18日に撮ったものだ。酒場ナビは2016年7月7日に開設したので、酒場ナビを始める8か月ほど前の〝素人時代〟の写真ということになる。今でこそ酒場の女将さんとツーショットは当たり前の行為だが、当時の私は店に拘って飲みに行くなど皆無。ましてや渋い酒場の魅力などまったく解らなかった。もちろん、酒場の女将さんにもだ。
この写真を撮る少し前、イカから久しぶりに飲ろうと連絡があり、指定された川崎駅の酒場へと向かっていた。
「えっ、ここかよ……」
その酒場の店構えは妙に特徴的で、かなり入りづらかった。イカは既に中で待っているようなので、仕方なく中へ入ってみることにした。
「おーい、ここやー」
オジサンだらけで独特の雰囲気。これは……〝大衆酒場〟というやつだ。その中のテーブルでイカがスポーツ新聞を読みながら手を上げていた。違和感がまるでないのが不気味だ。そのまま踵を返そうかと思ったが、意を決して席に付いてみる。イカは酎ハイを飲んでいたので私も同じくソレを貰い、ソレで乾杯をした。
「すんまへーん、ハムエッグとカツ煮下さい」
店内の騒ぎに負けないイカの濁声が響く。ハムエッグって……そんなもんで酒を飲むのか……? 訝しんで待っていると、あっという間に目の前に出された。私がハムエッグに箸を入れようとすると、
「ちょい待ちや。写真撮るわ」
「……ハァ?」
意味が解らなかった。
男のくせに、料理の、しかもハムエッグの写真なんかを撮ってどうするつもりなのか。イカはさらに、箸で黄身を割っているところも丹念に撮影している。カツ煮についてなど、「ワイが食てるところ撮ってんかー」と言うのだ。「それ、何の意味があるの?」と訊いてみたが、彼はカツ煮を咥えたところで身体を止め、早く撮れと催促するばかり。何枚かそれを撮ってやっと食べることが出来たのだが、彼はさらに首を傾げることを言い放った。
「すんまへん女将さん、僕と一緒に写真撮ってもらえまっか?」
意味が解らなかった。
従業員のおばさんと一緒に写真を撮るとういう意味が、私にはまったく解らなかった。拒否をする甲斐などなく、シャッターを押せというので我武者羅に押した。私は恥ずかしくて、顔が真っ赤になっていた──それが冒頭の一枚なのだ。
しばらく会わなかったうちに、訳のわからない謎の宗教に……『ハムエッグ教』にでも入団したのだ、私はそう思うことにした──。
それから8か月後に酒場ナビを始め、さらに4年の月日が経った、ある日の昼下がり。私は知人と2人で、いつかの酒場へと訪れていた。
『丸大ホール』
ここがまさしく、在りし日にイカと訪れた酒場である。川崎ではよく飲んでいたのだが、タイミングが悪く今の今まで入ることが出来なかった。
5年ぶりか……いやしかし、なんて美しい店構えなのだろうか。店の外に対して主張しまくるメニュー看板、藍色に白字で〝大衆酒場・大衆食堂〟とビシッと書かれた中心には、〝丸〟に〝大〟という紅いエンブレムが印象的だ。
美しいねえ……最高じゃないか。その壮麗な光景に息を飲み込むと、今度は酒も飲み込みたくなり暖簾を潜った。
うわぁ……そうそう、この景色だ。懐かしいを飛び越えて感動すら覚える。おそらくテーブル配置はまったく変わってないだろう。コンクリ剥き出しの床、恭しく並んだメニュー札たちもお変わりない。しばし立ち尽くしていると、一緒に入った知人から思わぬ〝吉報〟が告げられた。
「味論さん、混んでるから奥の席へどうぞって」
「うそっ!? マジで!!」
なんと、奥の小上がりで飲れるというのだ。なにが嬉しいって、高さのある小上がりからならこの全光景をずっと拝んでいられるのだ。なんてラッキーな日なんだ。すぐさま靴を脱ぎ棄てて小上がりへと上がる。
少し喧騒から離れた特等席。カウンターも勿論良いのだが、老舗酒場の小上がりはやはりうれしい。テーブルもいい感じじゃないですか。畳に生える良い木目調がピタリとマッチ。
(──あの)
ほほう、角も面もしっかりと酒で磨かれていて……
「あの! 味論さん!」
「……え?」
強めの声で我に返ると、知人が訝しんだ顔をして私を見ている。
「どうしたの?」
「それ……」
知人の指さす方を辿ると、そこには私がテーブルの角を撫でている状態があった。興奮して、ちょっと撫で過ぎていたか……。因みにこの知人は、酒は好きだが酒場自体に拘りは持っていない。もちろん、酒場のテーブルにもだ。だから、ちょっと変に思われたのかもしれない。
「ああ、悪い悪い。じゃあ酒頼もうか」
「はい。じゃあ、生ビールで」
ぼんやりとその場を胡麻化して、まずは酒を頼むことにした。
『酎ハイ』
おーっと、これはレアなショットだぞ! スマホのカメラが唸る。渋く磨かれたテーブルによく冷えたジョッキの酎ハイ。その背景は昼下がりの誰もいない小上がり──、なんて贅沢な……
「何、してるんですか……?」
「……え?」
知人は乾杯を待っているのだろう、酎ハイの写真を錯乱気味に撮る私を見ながら、頼んだ生ビールのジョッキを持ち上げている状態だ。
「あ、ごめん! はい、乾杯~」
「乾杯……」
いかんな、テンションが上がり過ぎているか? だいぶ変な目で見らている気もするが……あれ? この感じ。どこかで……まぁ、いいか。
「よし、料理も頼もっか」
「そうですね」
『ハムエッグ』
で、でたっ!! あー、もう! 絵に描いたような完璧なハムエッグじゃないか。外側がちょっと焦げている感じがタマランですよ。
「おいしそうですね。じゃ、いただきま……」
「ちょっと! その前に、箸で黄身を割ってもらえるかな?」
「はぁ、黄身をですか……?」
知人は私の言う通りに箸で黄身をつつき、私は黄身が顔に付くんじゃないかという距離で何度もスマホのシャッターを押す。ちょっとトロミ感が弱かったが、知人は素人だし仕方があるまい。
「……あの、味論さん。こんなの撮ってどうするんですか?」
「ははは。俺、ハムエッグ教の信者だからさ」
「ハ、ハムエッグ教……?」
「え? あの……冗談ね!」
思わず口走った謎の宗教団体。自分で言って〝そんなもんあるかよ〟思いつつも、なぜか懐かしい気持ちになり、もう一枚パシャリ。ナンマイダ~
『カツ煮』
イ・イ・デ・ス・ネ──っ!と、思わず小さく拍手。あー、ここのカツ煮ってこんなにボリュームあったんだっけ、うれしいねえ。ビジュアル面だけでも卵と出汁のコントラスティングが絶妙カツ、繊細な美品だ。よし、ノッてきたぞ……!
「あのさ、俺がこのカツ煮を食べてるところ撮ってくれない?」
「ハァ!? 味論さんが食べてるところですか?」
「そうだよ」
「それ、何の意味があるんですか?」
〝何の意味があるのか?〟……どっかで訊いた言葉だ。しかし、君はなんて呆れた顔をしているんだ。いやいや、そこまで変なこと言ったか……? とにかく、食べているところの写真は『カツ煮教』のドグマに陥った者として絶対に必要だ。これだけは、何としてもお願いしよう。
「……はい、撮りますよ」
「適当にたくさん撮ってねー」
完全に無表情の知人は、言われるがままシャッターを押し、私はそれに合わせて表情をキメる。これだってなんてことのない作業だが、流石に微妙な空気であることを感じられずにはいられない。
うーむ、せっかく知人と久しぶりの酒場だ。一度スマホを置き、落ち着いて飲るとしましょう……
****
「ハムエッグって、安くてつまみにいいですね」
「だろ? カツ煮も柔らかくてウマいぞ」
よかった……。どうにか、知人との雰囲気も元に戻ったみたいだ。
分かっている、酒場はこうやってウマい酒と料理で飲ることが一番なのだ。特にこの食堂系の酒場は、懐かしい〝おふくろの味〟が堪能できる貴重な店だ。そんな料理を優しそうな女将さんが運んで持ってきてくれるものだから……女将さん……あれ? 客も引いて、ちょっと手が空いてそうだな。ムムっ、これはチャンス到来──
「ごめんね、最後にもう一つお願いしていいかな?」
「いいですよ、なんですか?」
「俺と女将さんのツーショット写真、撮ってもらえる?」
「わかりまし……ハァッ!?」
それだけ収められれば、もう満足だ。そうだな、酎ハイのお代わりして、その時にちょっとお願いして知人に撮……
「嫌です」
「えっ」
〝断固拒否〟と書かれた、まっすぐな眼差しを送ってくる知人。待てよ、私も以前こんな眼差しを誰かに送った記憶が……
「撮る意味が解りません。今度、他の誰かにお願いしてください」
そう言って、残りのビールをグイッと飲み上げる知人には寸分の隙もない。まいったなぁ。案外、普通の人には理解が出来ないことなのかもしれない。
大体〝他の誰〟かって、いったい誰だよ。そんな奴、そもそも居ないんじゃな……
あ゙────っ!!!!
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丸大ホール(まるだいほーる)
住所: | 神奈川県川崎市川崎区駅前本町14-5 |
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TEL: | 044-222-7024 |
営業時間: | 8:30~22:00 |
定休日: | 土 |