高円寺在住歴15年、日本のインドを知り過ぎた呑兵衛の行方/野方「大衆酒場 フジヤ」
会計が……高い!──最近、帰り際の大衆酒場で思うのがコレだ。
でしょ? そう思うでしょ? 普段から酒場情報を集めているのだが、ほんの10年前の記事でも今では考えられない価格が並んでいる。もちろん物価が上がったことは理解しているのだが、大衆酒場といえば安さこそ身上だったはずだが、今やちょっと飲んだだけで財布が悲鳴を上げる。社会経済の摂理と言われればそれまでだが、それにしても高すぎる。
が……だからこそ、気づくのだ。酒場の価値は、値段じゃない。値札を見て一喜一憂するくらいなら、酒場に行く意味がない。大事なのは、あの酒場という〝異次元〟に身を浸すことだ。

高円寺に15年住んでいる……と、自己紹介でいうのだが、実際にはもっと西武新宿線の野方駅寄りの高円寺に住んでいる。この高円寺も〝日本のインド〟と言われてるくらい物価が安く、どこの酒場も気軽に飲れたが、例のごとく最近はそうでもなくなってきた。

ただでさえ、高円寺の酒場はクセが強く、良く言えば個性、悪く言えば酒と同じで〝濃すぎる〟というもの。強烈に昭和の残り香をまとった店もあれば、サブカル臭が鼻をつく店も多い。そんな空気を愛せる呑兵衛には天国だが、さらにここへ強気の値段設定がついてくるとなると、足が向かない人も出てくるだろう。

そんな時は、野方へ行くべし。高円寺から歩いて20分、物価も人の多さも控えめで、雰囲気もだいぶ和らぐ。肩肘張らず、酒と肴に集中できるというもの。なにより、街の規模に対しての酒場軒数が多いのも魅力的だ。

野方寄りの高円寺の我が家から歩いて十数分。野方駅南口の線路わきにあるのが……

出たっ!『大衆酒場 フジヤ』だ!元々は隣の『沼袋』で営業していた酒場が、この野方へ移転してきたという。まだ10年経っていないらしいが、それにしても素晴らしい〝色褪せ具合〟を醸し出しているじゃないかい。

小料理屋風の間口に、可愛らしく並んだ提灯。その陰には短めの暖簾さん。招き猫が並ぶショーケースの前には、信楽焼の看板タヌキがお出迎え。こういう店先の演出に弱いんですよ、酒場好きはね。

店に入ると、奥には壁沿いに並んだ珍しいカウンター席。そこへ座るのだが、目の前が完全に壁というのは初めてかもしれない。

ただ、この〝閉じた視界〟が妙に落ち着く。背中に店内のざわめき、目の前は壁とこれからやってくる酒と料理。ちょっと、面白いぞ。

壁を背景に置かれた『ホッピー 白』は、意外にも酒場モデルのように凛々しく見える。スリムジョッキにトクトクと割り入れる。

ごくんっ……ごくんっ……ごくんっ……、いいですねえ、ジョッキに唇がピタリと防水加工になったところを、喉の奥までホッピーを流し込む幸せ。そのまま、窒息したっていい。

「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ~」
入ってきた客を導く声の主は、三角巾を巻いたバイト風の女の子。こんなちょっと茶髪で、青春盛りのお運びさんが酒場にいると微笑ましくなる。物価は高いけれど、決して時給は低くありませんようにと願いつつ、料理をお願いします。

まずは『うずらの醤油漬け』から。スーパーじゃ見向きもしないうずらの卵。それが酒場に並ぶと、なぜか頼んでしまう不思議。白い小鉢に並んだ、艶々のうずら。表面に散らされた白ごまが、地味にいい仕事をしている。

ひと口で完結する濃厚な旨み。ホッピーの一杯目に合わせると、「ああ、私は今、うずらの醤油漬けがある酒場にいるんだ」と、やたら納得する。

つづいてやってきた『自家製ローストビーフ』。コイツは言う、「オレを写真に撮ってインスタに上げろ!」。

しっとりした肉質に、わさび醤油をちょんと乗せて頬張る。〝自家製〟ってワードは、ズルくてウレしいから大好きだ。そんな自家製ならではの赤身の美しさに、ただただ感心するのみ。

ふと見上げると、天井に妖怪『がしゃどくろ』がこちらを睨んでいる。戦や飢饉で飢え死にした者たちの怨念が集まって生まれた巨大骸骨、飢えと渇きの象徴だ。なぜ、そんなオドロオドロしいがしゃどくろがこんなところにいるのか……? きっと、この酒場に集う客もまた、飢えた魂だからなのだろう。

昼間の仕事で心が干からび、夜になると渇きを癒すために酒場へ這い寄る。がしゃどくろが満たされぬ飢えを抱えて彷徨うなら、我ら呑兵衛は酒と肴でそれを満たす……そんながしゃどくろセンパイが、代わりに注文してくれた料理がやってきた。

分厚い黒い鍋でグツグツいわせる『フジヤ名物 ピリ辛牛スジ煮込み』である。まるで地獄池……いや、極楽湯かもしれない。豆腐、大根、こんにゃく、そして牛スジが沸々と煮立っている。

ピリ辛の刺激と牛スジのとろける食感。カッカッと喉と食道が灼熱になる。これを前にして「ナカのお代わりください」と言わない人なんているのだろうか。寒い夜なら、熟年不倫の逢瀬のごとく、熱くカラダが燃え上がるだろう。
どれもこれも、おいしくて、お値段はお手頃。いろんなトコロがちょうどいい。逆に、これ以上を求めるのは野暮になる。
まさしく、酒場は値段じゃない。高い安いを気にするくらいなら、家で缶チューハイを空ければいい。
それでも、缶チューハイじゃ満たせない渇きがある。壁前カウンターでホッピーを傾け、三角巾の女の子を微笑みながら煮込みを頬張る──その異世界感こそが、酒場の値打ちだ。

財布の中が寂しくても、私はまだまだ暖簾をくぐる。物価高など、がしゃどくろに喰わせておけばいいのだ。
大衆酒場 フジヤ(たいしゅうさかば ふじや)
| 住所: | 東京都中野区野方5-32-4 |
|---|---|
| TEL: | 03-6755-1587 |
| 営業時間: | 17:00 - 23:00 |
| 定休日: | 火 |


