案内標識に導かれし酒場者たち/沼津「漁師のおかず 海老や」
もちろん、酒と料理を楽しむ──それこそが〝酒場の醍醐味〟であることは言うまでもない。だが、実はその手前に、もうひとつとびきりの楽しみが潜んでいるのをご存じだろうか。
そう、〝酒場探し〟である。一瞬「ん?」となるかもしれない。だがこれが、やってみると驚くほど面白い。まるで、まだ誰も踏み入れていない野良酒場を追うハンター的な気分になるのだ。
酒場の記事を書きはじめた頃は、雑誌だネットだテレビだと、とにかく情報をかき集めては訪れまくる、いわば〝資料先行型〟の巡り方をしていた。しかし、続けていくうちに情報は飽和し、どの街に何があるかもだんだん把握してしまう。

そこで最近は、もっと〝自然体〟で酒場を探すモードへ切り替えている。これが実にいい。
たとえば街を歩きながら、交差点の青い案内標識にふと目をやる。新宿、六本木、八王子……名の知れた街に混ざって、聞いたこともない地名が突然現れることがある。その引っかかりをメモして、のちに行ってみるのだ。案外、こんな偶然が名酒場の出会いにつながったりする。

グーグルマップも使わない手はない。訪れた場所にチェックマークをつけ、しばらくして地図を縮小してみる。するとチェックとチェックの間にぽっかり〝空白地帯〟が生まれる。この未知のエリアに手を伸ばす瞬間のワクワクといったらない。もはやドラクエと一緒で、イベントをクリアしてから次の町へ行くときのアレとまったく変わらないのだ。
とにかく、目に飛び込んできたものに従ってみるようにしている。少し前のことだが、バスに乗っていたとき、何気なく視界に入った広告の地名にスッと惹かれ、「行くしかない」と即決。
そして、辿りついたのが、静岡県の沼津である。
沼津といえば、10年近く前に酒場ナビメンバーのイカと訪れたことがあったが、新幹線の乗車時間までの時間つぶし程度でほとんど知らない。あと、知り合いの車で駿河湾の船釣りにも行ったことがあったが、針にひと掠りもせず終わった思い出もある。

今回は、そんなぼんやりした思い出を払しょくしに訪れる……ワケがあるはずもなく、もちろん未知なる酒場探しのため一択だ。沼津といえば海鮮、海鮮といえば沼津と、今ふと思ったが……いやはや、それが事実であることを証明してくれた酒場に出会うことができたのだ。

出たっ、「漁師のおかず 海老や」だ! まず目に飛び込んでくるのは、まるで港町の玄関のような三角屋根の看板だ。〝赤い 海老や〟の文字が、不思議と腹を鳴らす。横に鎮座した年代物の青い自販機がまた渋く、建物のレンガ色と調和し、昭和の匂いをしっとりとふりまいている。店の左右には他店の看板がずらりと並ぶが、この一角だけ時間の流れが停滞している。

いいですねえ……自然と視線は深い藍色の暖簾へ吸い寄せられる。白い文字が、日焼けしてなお力強い。擦れた布地には、長年の海風の記憶がしみ込んでいるかのようで、横で灯る提灯が温かな光を添え、引き戸の木目が店の歴史をこれでもかと語る。さて……心の準備が整ったところで、そっと暖簾をくぐりましょう。
「いらっしゃいませ~」

フアッ……いいですねえ! ふわりと立ちのぼる湯気と醤油の香りが鼻をくすぐる。港町の食堂特有の、どこか湿り気を帯びた温度と、壁に貼られた色褪せたポスターたちがつくる雑多な風景。それらが一気に視界へ流れ込み、まるで漁船の中へ放り込まれたような錯覚を覚える。

驚くほどの満席ぶりで、座敷もカウンターも埋まっている(写真はしばらくしてから)。だが、まるで〝思し召し〟のように小上がりの一卓がぽつりと空いており、運命的にそこへ腰を下ろすことができたのだ。
嗚呼、酒場の神様仏様。この導きにまずは祝杯を。

瓶ビールの無骨な佇まいに、珍しい三角グラスがカップルのよう。黄金色の液体が沸々と揺れ、まるで漁船の道しるべの灯台のように輝いている。

ゴクッ……ゴクッ……ゴクッ……、あ・あ・あ・あ・あ──うんまああああい! もう色々とキマり過ぎて怖いくらいだ。すでにここへずっといる気満々だ。そうなると、有り余る料理が必要となる。
あ、先に言っておくが、今回は海鮮しか食べる気はございません。

お通しの『しらすおろし』が、そんじょそこらのしらすとはもうワケが違う。とれたての香りがふわりと広がり、大根おろしのマロリィな水気がしらすの塩気をそっと包む。じんわりと風味豊かな海の気配が身体にしみ込んでいく。至福の酒場時間が、ここからはじまるのだ。

この『アジなめろう』を見た瞬間、千葉が本場という話が疑わしくなった。包丁で叩かれたアジはニットリとなめらかで、味噌のコク深い甘みが舌に心地よく残る。薬味の香りがぶわっと立ち、しばしの余韻が続く。

うわっ……私のマグロ(大トロ)』、輝きすぎ……? 今まで大トロだと思っていたものが冗談に思えるほど、濃密な脂がとろけるように広がる。

口の中で舌が勝手に捻じれて交差する、ディープキッシングな悦楽。まさしく、上質な刺身。それ以上でも、それ以下でもない逸品。

ホッピーがあることに思わずラッキー。日本国土のホッピー分布は頭に入っているつもりだが、最近は予測不能な飛び地が増えてきている。グーグルマップの空白地帯以外にも、そろそろ〝ホッピー分布図〟を作成しなくてはならないようだ。

実は、まあまあ苦手だったはずの『あんこうきも煮』が、まさかの逆転劇を見せる。芳醇な甘タレがすべてを包み込み、ひと口でトゥロトゥロと崩れていく。

濃厚でありながら飽きのこない旨さで、タレを小指につければ、それが小指の極上あんきもと変わるような強烈な味わい。

まだまだ続く。賑やかに運ばれてきた『はまぐり酒蒸し 中(サイズ)』は、まずサイズ感で圧倒してくる。中サイズでこれなら大サイズはどうなるのか。「じゅわー」と旨みがほとばしり、貝特有のおいしい香りが湯気に気化する。これぞシンプルにして、ごちそうの極み。

なんだこの『特大カキフライ』……ヒグマの膵臓くらいデカいぞ! 衣はサクサク、中身はじゅわっとクリーミーで、極うまが溢れ出す。

同行者は大のカキ嫌いだったが、あっさり克服してしまうほどの旨さ。
お通しから刺し、焼き、揚げ、煮る……宣言通り、最後まですべてが海鮮。いや、そうするしかなかったし、それが正解だったのだ。
酒場の案内標識の矢印が示した沼津で、こんなにも胸を打つ酒場に出会うとは思いもしなかった。地図の空白地帯を埋めるつもりが、逆にこちらの心の穴を埋められてしまったといえばキザになるか。

〝酒場探し〟とはつまるところ、偶然ゆえの必然に出会いにいく行為なのかもしれない。次の案内標識は、一体どんな酒場を示してくれるのだろうか。
漁師のおかず海老や(りょうしのおかずえびや)
| 住所: | 静岡県沼津市高島町15-9 |
|---|---|
| TEL: | 055-924-3655 |
| 営業時間: | 17:00 - 22:00 |
| 定休日: | 日曜日 |


