やるか、やられるか…港町に這う業(ごう)をごうちそうさま/沼津「やきとり酒場」
「や」る。
この、短くも不遜な響きを持つ二文字には、人間の〝業〟における意味が凝縮されていると言っても過言ではない。
我々呑兵衛にとっての、あの「一杯やる」
自分の意志を伝える「やってやる」
何かを与える「くれてやる」
そして……確か中学生くらいの時に覚えて、闇雲に連発していた、あの「ヤる」。こんなの、完璧に使いこなせるのは外国人には無理だろう。人間の業というべきか……いや、日本人らしい曖昧かつ奥の深いこの言葉が、漠然と好きなのだ。
そんな「や」るを求めに、静岡県沼津へ訪れていた。一体何を「やる」ことになるのか。はたまた、逆に「やられる」ことになるのか……目的地はもちろん、酒場である。私はとある酒場の前に立ち止まった。

やった、『やきとり酒場』だ! 赤提灯が揺れるその佇まい、そして看板に躍る力強い文字。〝やきとり酒場〟……まるで〝焼き鳥以外はご遠慮ください〟と言わんばかりの潔さ。だが、この手の店が隠し持つ魅力を私は知っている。

満を持して「やってやろう」と、その暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ~!」

おおっ、いいですねえ! そこには、期待通りの空間が広がっていた。長細い店の奥までズドンと伸びたカウンターには常連でびっしり埋まり、それを通路を挟んで並走する小上がりではマッタリとした雰囲気がいい。壁一面に貼られた短冊メニューが、呑兵衛たちの欲望をビンッビンッと刺激してやまない。

この雑多でぬくい雰囲気……酒を頼む前にも関わらず、既に求めていた〝心地よい〟酒場の姿だ。
カウンター席に着くなり、目に飛び込んできた『ホッピー』を注文する。と、同時に 「氷、いりますか? いりませんか?」 のコール。おそらく〝氷無し〟にしたところで、いわゆる〝三冷ホッピー〟が出てくることはなさそうで、単純に氷を入れるか入れないかの違いなのだろう。

ちょっと、珍しい……というか、のちに訪れる隣町の三島市でも何軒か飲ったのだが、そちらではホッピーを見かけなかった。たまたまなのかもしれないが、たった数キロ離れただけで酒文化が変わるのかと驚いた。
さて料理だが、ここは店名に倣って〝焼き鳥のみ〟つまり、鶏肉をいただくのがスジだろうが……否。ここは逆に〝焼き鳥以外〟で「やってやろう」と思ったのだ。

『トマトベーコン巻き』を 見つけると、抗えずに注文してしまう。ほどよく焦げ目がついたベーコンの隙間から、鮮やかな赤いトマトが、まるで怒り狂った王蟲の目のように覗いている。

カリリッと焼かれたベーコンの脂が、ジューシーなトマトの酸味を抱きしめる。その瞬間、口内ではコク旨なCHEMISTRYが起きるのだ。

続いては『マグロ(中トロ・赤身)』だ。 同じ一つの身体から切り出されながら、全く異なる魅力を見せる二つの部位。

艶やかな赤身と、脂が乗ってピンク色に輝く中トロのコントラストが美しい。これはもう、別の食べ物と言っていいだろう。赤身の新鮮さと、中トロのとろけるような、ふてぶてしいまでの肉感。旨いっ、なんたる濃厚な旨味のグラデーション!

「焼き鳥タレ、おまたせしました」
隣の席へ届けられた焼き鳥の盛り合わせが、私の鼻先で香ばしい誘惑を放ちやがる。先輩たちがその熱い一串を喉へ抜き差しする光景に、私の決意は決壊寸前だ。 やはり、頼んでみようか…… いや、あえての我慢だ。ええ、意味などない。店名に〝やきとり〟を掲げるこの店で、あえてモブメニューと心中する悦び、これぞストイック酒場ライターの醍醐味なのだ。

むむっ?『ニラベーコン』ですと……? ありそうでなかった、この組み合わせ。束になったニラが、しっかりと香ばしい焦げ目のついたベーコンに巻かれている。

ベーコンの香りの中に、ニラの野趣あふれる風味が潜む。シンプルなようで確かな計算が交差する……いや、これはモブというよりはメインといってもいい逸材だ。

これまた、ありそうでなかった『サツマイモとカニクリームのコロッケ』。黄金色に揚がった完璧なフォルムで、粗めのパン粉が食欲をそそる。

箸を入れれば、揚げたてサクサクの衣の中から、とろりとした白いクリームが溢れ出す。中は驚くほどクリィミィだ。サツマイモのほくほくとした牧歌的な甘みが、カニクリームの小野小町のような美しいコクを包み込む。
「やってやる」と息巻いて暖簾をくぐり、鶏肉という王道をあえて外す縛りに挑んだはずが、最後はこのモブメニューらに、情けなくも膝を屈してしまった。 つまるところ、私は「やられて」いたのだ。
中学生の頃、闇雲に連発していたあの「ヤる」なんて浅はかな夢は、もういい。 今夜は、焼き鳥以外で「飲れた」のだ。
それで十分じゃないかと思いつつも、やっぱり一本くらいは、「やって」おきたかったなあ。
やきとり酒場(やきとりさかば)
| 住所: | 静岡県沼津市大手町3-5-4 |
|---|---|
| TEL: | 055-963-5113 |


