四谷三丁目「福よし」山の手の中心で、大衆をさがす(1)
JR山手線の内側にある〝山の手〟で飲ることがあまりない。飲れないということもないが、どうしても敷居が高いというイメージが付いて離れないのである。西に青山、六本木、白金高輪と高級住宅街を構え、東に銀座や丸の内などのセレブストリートが立ちはだかる。千代田区の『番町』なんてところは、金持ち中の金持ちが住むと訊く。要するに、成金やおのぼりさんでもイケるレベルではなく、遺伝子レベルで継承された〝本物〟の金持ちが棲むこのエリアで飲るには、いささか躊躇するのである。
そもそも、そんなところに〝大衆〟と呼べる酒場はあるのだろうか。Googleマップを広げて、思い当たるような地名を探してみる。ここは……ないな、ここはどうだ……うーむ、じゃあここなら……。ダメだ、どこも背が高くてピカピカの建物ばかりだ。やはり、庶民は黙って外側の下町酒場で飲ってればいいのか。
……まてよ、そういえば山の手の〝中心〟はどこになるのだろうか。妙に気になり調べると、飯田橋や市ヶ谷あたりがそうだった。どデカイ防衛省があるくらいで、それこそ人が棲むというイメージがないが……おや? ここは──
〝四ツ谷〟
怪談でも有名な四ツ谷は、新宿の隣とあって割と近しい地名だ。三丁目には飲み屋街もあり、過去に何度か飲りに行った記憶もある。うーむ、ここなら大衆があるのかもしれない。まぁ、なかったらしょうがない、私は同行者と共に中央線へ乗り、大衆酒場探しへと向かった。
四ツ谷駅周辺は絶賛再開発中ではあるものの、『しんみち通り』など、大衆商店街は健在のようだ。そこから三丁目方面へ向かって散策する。
「あら、ステキじゃない」「まって、こちらもソソるわ」などと、酒場ウインドウショッピングが始まる。いくつかの酒場を品定めしつつ、辺りも暗くなった頃だった。思わず「わっ!」と声を出してしまうほどの店構えが、目の前に現れたのだ。
『福よし』
いいですねぇ……坂の途中に建つという立地、赤い看板は中心に向かってオレンジ色に褪せ、フクロウのイラストが描かれた藍色暖簾はいい渋味を放っている。
あるじゃないの、こってりな大衆が。そうそう、こういうのを山の手で求めていたのだ。早速中へ入ってみようと、暖簾に手をかけたのだが……
〝案外、中へ入ったらブランドスーツの商社マンや、外資系キャリアウーマンばかりがワインで飲っていたりして〟
ここは山の手、あり得なくなくない話だ……いや、それなら仕方がない。金持ちのふりをして、そそくさと飲ってから次の大衆探しに旅立てばよい。引き戸を引いた。
ガラガラガラ……
「はいよ、生おまちどう!」
「こっちに煮込みちょうだーい!」
「まったく、いやーね!」
「ガッハッハッ!」
サラリーマンや学生さん、御父さま方にお嬢さん方も入り混じり、ゴキゲンに飲っている姿が飛び込んできた。茶色に褪せた店内、酒沁みのカウンター、手書きのメニュー札、酎ハイと笑い声……そこには、私の慣れている〝ザ・大衆〟が、何食わぬ顔で在ったのだ。
「はい、お兄ちゃん達その席ね!」
店のママが、手際よく私と同行者をテーブル席に導く。こちらのママ、見た目や声の張りからして、かなりの〝ヤリ手〟とみた。大衆女将の匂いがプンプンする。
客も入れ代わり立ち代わりで、災禍とは思えないほどの活況だ。それに圧倒されていると、ママから酒を促される。
「なに飲むのー?」
「じゃあ、レモンサワーで!」
『レモンサワー』
ジョッキの白濁サワーにレモンがポン。茶色のステージ、背景とのコントラストがいい感じ。では、早速……
ングッ……ングッ……プハーッシュ!! 酸っぱい炭酸ガスで胃が膨れる。よぉし、アテを胃に入れる準備は出来たぜ。
『煮込み』
大衆酒場の代表料理といえばこれを外せないが、注目すべきはモツ肉の色だ。そんじょそこらの山の手モンに、この茶褐色を出せるわけがない。割りばしをパチリ、一つまみして口へと入れる。ウマい、かなりウマい。歯にまったく抵抗なくして、舌の上で蕩ける。同時に濃い目に沁み込んだ醤油味が、モツの風味を存分に引き立てる。仕上がっている煮込みとは、こいつのことだ。
『タン・カシラ・子袋刺し』
そのド迫力に、思わず箸を振りまわす。この肉々しさはどうだ、まるで洗練された肉体美のようだ。ケチらずコンモリと乗せたネギ山と、タップリのニンニク、カラシにも拍手を送りたい。まずはタンから、大事にゆっくり顎を動かしながら頬張る。サクッ……サクッ……新鮮なタンの食感、ネトッ……トロッ……カシラの濃厚な旨味、コリッ……シコッ……子袋はニンニクとネギ多めが大正解。うめぇ、うめぇ過ぎる。こいつは〝うめぇ〟の全部が乗った夢の皿だ。
「いやー、アンタたち男前だねぇ♪」
先ほどから求愛をしてくるママは隣の席、おそらく間引きで空けたテーブルが定位置だった。隣にいるものだから、私たちへよく絡んできてくれるのがうれしい。そういった〝客との近さ〟も、まさに大衆といえる。これが六本木のイタリアンとなれば、こうはいかないだろう。
「アタシ、髭オトコがタイプなんだよぉ!」
そう言って、同行者の髭を愛おしそうに撫でるママ。このノリの良さがいい、これも白金高輪のお洒落なバーとなれば、こうはいかないだろう。
「やっぱりコッチは、好きでしょう? ウフフ♪」
とにかくママは下ネタ好きで、助平な指の形をさせては〝コッチ状態〟の絡めた指を、何度もチラつかせてくるのだ。これだって銀座の高級クラブとなれば、こうはいかない……いや、これはこのママだけだな。
まるで酔っ払っているようなママだが、実は常に客の動向を観察していることに気が付いた。注文は迅速に応え、客が来ればサッとお迎え、帰る時にはさり気なく店先まで送るという、本当の意味での〝ヤリ手〟であったのだ。
カウンター内にいるマスターの方は、寡黙でも客への愛想がよく、バリバリと注文を捌く姿に見惚れてしまう。この二人の絶妙な掛け合いがあって、これだけの客を回せるのだろう。下ネタであろうが上品だろうが、どこかに慎ましさを感じる〝もてなし方〟というのが、山の手の大衆酒場なのだと、妙に腑に落ちたのである。
「ありがとうね、またおいでよ!」
帰り際のひと声は、下町のものと何ひとつ変わらない。ただ、下町のとはちょっとだけ違う、その発見が面白い。今後も山の手に棲めることはないだろうが、山の手ならではの大衆探しには、これからハマりそうだ。
福よし(ふくよし)
住所: | 東京都新宿区舟町12 |
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TEL: | 03-3359-7792 |
営業時間: | [火〜日]17:00〜 |
定休日: | 月曜日 ※事前予約あれば営業 |