虎の門「升本」大人スーツ、まみれて呑兵衛Tシャツ
『霞が関』
新宿の高層ビル群は、どうしてもバブリーな感じがするが、こちらは少し違う。官公庁のビル群は、超の付く山の手というのもあるが、とにかくビル自体に〝品〟がある。
街を歩いている人々も、どこかシュッとしている気がする。そのほとんどがビシッとキメたスーツ姿で、たとえば無造作に尋ねてみると、きっと誰もが一流大学出身なのだろう。
スーツ姿といえば、酒場ナビメンバーで共通していることがあって……それは、スーツ姿のサラリーマンになれないことだ。カリスマジュンヤは永世フリーダム、イカなど二十年以上の付き合いだが、スーツ姿すら見たことがない。私も同じようなものなのだが、ただ、十数年前に一度だけこの霞が関で仕事をしていたことがある。もちろん、スーツを着てだ。
ITベンチャー系で、当時はCMもバンバンやっていて有名な会社だったが、今はどこかに吸収されたのか、まったく見なくなった。スーツ姿の大人に混じって仕事をするのも面白かったが、今思えば、この時の経験があったからこそ、逆に〝スーツを着た仕事をしたくない〟という現在の自分が在るのかもしれない。
とはいえ、そんな高尚な街でTシャツジーパン姿という自分が、いささか恥ずかしいところもある。
『国会議事堂』や『霞が関ビルディング』のおひざ元である『虎ノ門』からすぐ、昔の私にはまったく知らなかった場所に、実は老舗の酒場があると知ったのは、わりと最近のことであった。
『升本』
古い雑居ビルの一階に、周りとの協調性ゼロの佇まい。センスのいい灯篭照明からは杉玉がぶら下がり、純白の暖簾には〝升本〟と大書されている。いいねぇ……実にいいねぇ! 大都会に埋もれる老舗の大衆酒場、その気概ある精神がすばらしい。よっしゃ、ここは気合を入れて入りますか。
「いらっしゃいませ!」
ほっほぉー! 広々とした店内には、いい色に褪せた柱に梁、茶壁もいい仕上がりだ。この〝古いけどキレイにしている感〟に、私はめっぽう弱い。思わず、外人さんのように両手を広げてへの字口になってこう言う。「Ha Ha, 君は最高さ!!」
「相席ですけど、いいですか?」
Oh, もちろんさ、呑んとこい。お運び姉さんに促されるまま、奥にあるアクリル板で仕切られたテーブルの酒座を決めた。
おっひょぉぉ、テーブルのデザインも最高じゃない! その手触りを確かめつつ、まずは酒をいただく。
『霞が関(日本酒)』
クーッ、テーブルに映えやがるゼ! 大人の街の、大人の酒場で気負いだけはしちゃならねぇ。いつもは酎ハイのところをここは最初からトップスピードで挑む。
ツイッ、ツイッ、ツイー……んっ、おっ、こりゃイケる。イケるというか、非常に飲みやすい。ただ軽過ぎということもなく、米の風味もあるからどんな料理にも合いそうだ。
続いて料理にとメニューへ目を通すと、魅力的な品々が次から次へと飛び込んでくる。まず最初の相方は……こいつだ!
『赤貝のヒモ』
貝の種類何ていくらでもあるのに、赤貝をチョイスする板前さんが素晴らしい! しかも、なぜか海苔のまで添えてくれるのが何だかうれしい。〝コリリッ〟という、思った通りの新鮮な歯ごたえと共に、赤貝特有の爽快な味わいが突き抜ける。
せっかくなので、試しに海苔を巻いて食べてみるが、海苔の香ばしさと赤貝の歯ごたえが相まって、これが結構イケる。
クンクン……おや、この香りは?
アクリル板で隔てられた隣の席には、これまた立派なスーツを着た紳士がひとりで飲っている。そこへ熱々の湯気をまき散らしながら、コロッケが届けられた。「ウマそうだなぁ……」と見とれていると、紳士はそのコロッケに大量のソースをかけ始めた。最初はかけ過ぎだろうと思ったが、それがどうにもウマそうで、ウマそうで……
スーツ姿に対抗するわけではないが、私も熱々の料理を頼んだ。
『玉子焼き』
あんれまぁ、なんてウマそうな玉子焼きなんでしょう! ホカホカで分厚く、かつ品よく焼かれた玉子焼きには、升本のロゴのヤキが押されている。
可愛らしいねぇ……私の通っていた中学はヤンキーばかりで、同級生にヤキばっかり入れていたが、こんなヤキだったら私も大歓迎だ。
ズシンと箸に重みを感じながらひと口──うんめぇ! 何重にもローリング・バーニングされた玉子の隙間からは、玉子の旨汁がジュワリと沁み出てくる。
大胆にも、赤貝ヒモの海苔と巻いて食べてみる。海苔と玉子は永遠のカップル、まぁウメぇに決まっている……なるほど、赤貝に海苔が添えられていた分けがこれで解った。
「お待たせしました、カツオ刺しです」
おっと……またもや、隣の紳士の元へ気になるものが届いた。紳士は、手元の日本酒をひと口飲ると、分厚くキッツケされたカツオに、たっぷりのポン酢をくぐらせた。舌を出してその上にカツオを乗せてペロリ……ウマソォォォォッ!!
スーツ姿に対抗するわけではないが、私も刺身を頼んだ。
『生ウニ』
なんちゅう……なんちゅう……ウマそうなんだっ!! ちょっと奮発したが、この量で980円だぜ? 歓喜に震える手で、その蕩ける身を箸ですくい上げてひと口──アッハッハ! ウメーに決まっているだろバーロー!
とろとろとろと渋滞の首都高のように、蕩けるウニの滋味が後から後から止めどなく溢れる。鼻から突き抜けるようなウニの芳醇な香り……日本人で、しかもウニ好きで本当によかった。
「二人、大丈夫?」
「はい、二階の席へどうぞ」
さすが老舗の人気店。入ってくる客は皆スーツ姿で、ほぼ満席になった客の99パーセントはスーツ姿の紳士だ。しかし、官僚さんの街でこんな庶民的でウマい酒場に出会えると思ってもいなかった。こんな時期に言ったらアレだけど、官僚さんだって今ここで密かに飲っているかもしれない。それくらい、魅力的な酒場なのだ。
スーツを着てくればよかったか……だって、何かの拍子に私の飲りっぷりを気に入って、政治家にスカウトしてくれる官僚さんがいるかもしれない。私が当選したあかつきには、すべての酒場の完全休業補償を実現して……なんて、無責任なことを想像してみたり。
威容たる官公庁、高層ビル群の中に、悠々と庶民の酒場が力強く灯を点けている。なんとなく、それがスーツ姿の大人の中に、Tシャツジーパン姿の自分を映しているようにも思えて、この酒場によりいっそう親しみが沸いてくるのだ。
まあ、スーツ姿はこれからもないだろうけど。
升本(ますもと)
住所: | 東京都港区虎ノ門1-8-16 |
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TEL: | 03-3591-1606 |
営業時間: | 16:30~22:00 |
定休日: | 土・日・祝日 |