大森「蔦八」酒場と恋愛はアタックしろってね!
誰にでも〝どうしても苦手〟というものがいくつかある。勉強、スポーツ、大人だったら人間関係なんてものもあるだろう。それに近いもので〝恋愛〟なんてものがある。恋愛……一見、そんなのに苦手もクソもあるのか思うが、何を隠そう、私はどうにもコレが苦手だ。
もちろん、嫌悪するほどではないのだが、成就するまでの〝行程〟がどうにもこうにも……意気地が起こらない。「あの子素敵だなぁ」からスタートして、何度もコミュニケーションをとり、満を持したところで告白タイム。合否をドキドキ、やったぜカップル、残念リトライ……他にも色々な恋愛様式があるとは思うが、とにかくそんなマメな行動をすること自体、石のように重い腰が上がらない。
そう思っていたのだが、最近仲のいい友人が、同じ女の子に四回も告白して恋愛成就した。聞いた時には、なんて図太い神経をしているのかと思ったが、よくよく考えてみると、私の恋愛から決定的に欠けているものがコレだ、〝何度もアタックできない〟のだ。そもそも苦手というのもあるが、最近では〝恋愛とはアタックこそすべて〟なのではないかと思うようになった。
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「すいません、今ちょっと……」
「えぇぇぇぇっ!!」
夜の大森に、悲鳴に似た声がこだまする。私の声である。いやだって、これで三回目のアタックを断られてしまったからだ。念のために言っておくが、女の子に告白をしてフラれたわけではない。酒場にフラれたのだ。
『蔦八』
都内屈指の煮込みの名店なのだが、私はこの酒場に今まで二度アタックして、すべて満席の為に断られたのだ。今回を入れて三度目、超人気店だから仕方がないのは分かるが……正直、私は〝酒場に入れる運〟は良い方だと自負している。すごく混んでいるのに、ちょうど席が空いて運よく入れたなんてことはよくあること。なのに……ここだけは、それが全く通用しない。
予約を入れるか……いいや、私の酒場辞書に〝予約〟と〝並ぶ〟の文字はない。しかし、今回ばかりは諦めがつかず、しばらく時間をおいて訪れてみることにしたのだ。
「えーっと……いいですよ」
「うっそ!? いやっほーい!!」
三回目のアタックから約一時間後、ついに念願だったOKをもらうことができたのだ。〝何度もアタックできない〟私は、なんだか目から鱗が落ちたような気分だ。やはり、何度もアタックすることが大事なのだ……念のために言っておくが、女の子に告白をしてOKをもらったわけではない。酒場に入ることができただけなのだ。稀にみる興奮状態で、店先の縄のれんを割った。
「いらっしゃいませー!」
はひゃぁぁぁぁなんちゅう大衆酒場感っ!! 酒場の教科書があったら間違いなく表紙にされるであろう見事な光景だ。中央には、酒で磨かれたコの字カウンター、コンクリ打ちっぱなしの床、渋く彩る壁や天井には、いい色に褪せた手書きメニュー札が張り巡らされている。女将さん達が、かいがいしく店内を駆けまわり、声を掛け合っている姿も酒場の教科書通り。
奥のテーブル席に酒座を決め、「あぁ…遂に俺のモノになったんだなぁ」などと、感慨深くメニューを眺める。デュフフ……お祝いといこうじゃありませんか。
『バイスサワー』
ラブ&ハッピーですからね、ここにはピンク色の酒が相応しい。シュポンと栓を抜かれたコダマ瓶を傾け、焼酎グラスにトクトクトク……
注ぎ、結ばれたサワーを一気に呑み込む。ブチュ……チュッ……チュッ──ウマウレしいですねぇ。甘くて酸っぱくて……まさしく恋愛始めのような酒だ。もう辛抱たまらない、さっそく本命の煮込みをいただこう。
『煮込み』
うっほほーい! 見ているそばから蕩けるようなモツ、存在感強めの豆腐、のっさりと嬉しいネギ山。スープの色もどことなく上品で、こりゃあ、予想通りの美煮込みだ!
モツは、口に入れるとミルミルキィな風味と共にすばやく舌に溶けていくのが分かり、ほどよく染まった大き目な豆腐も、旨味をドシリと感じさせてくれる。小皿に控えている追加の煮卵も、割ればポクリと黄身が登場、仕上がりも固めで煮込み玉子としては完璧だ。
……もっと、もっとだ。もっと酒場のことが知りたいっ!
『牛ハラミタタキ』
もうウメェ、テーブルに運ばれた瞬間にウメェ。食欲しか沸かない甘タレの湯気が、鼻腔を快楽で麻痺させるようだ。その湯気をすべて吸い込み終わると、その美しい身体を箸で掴み上げてガブリ。
っツ──、うめえのなんのって! 薄っすらと紅い部分を残しているのがニクいねぇ。この絶妙な焼き加減が、歯に心地よい感触と、甘タレとのマリアージュを完成させている。肉汁が沁みたレタスも、肉休めにちょうどいい。すんげぇタタキ、発見つけちゃったよ。
「えっ……うそ、アレがあるのか!?」
舌鼓の最中、さらにメニュー札の中に、すごいものを発見つけてしまったのだ。
『本マグロ脳天刺し』
脳天刺しとはその名の通りマグロの頭肉で、マグロ一体につき僅かしかない貴重な部位だ。魚屋系の酒場では稀にみかけることがあったが、まさか煮込み酒場でこれを食すことになるとは……
筋張っている様にも見えるが、とんでもない。ひと口食べれば解る、そのトロトロと極上な柔らかさ。脂と言ってよいのか、その旨脂は魚のというより、肉のような力強い食べごたえがある。大トロと中トロの間くらいの妙味で、ここのは味の輪郭がはっきりとしていて特にウマい。きっと煮込みや牛のタタキなど、肉への心得を熟知しているからなのだろう。
煮込み目的でアタックしてきただけに、すごくラッキーな気分だ。彼女と付き合ってみていざ脱がしたら、思いのほかナイスバディだったみたいな、そんな気分である。その後も酒と料理の追加は止まらず、この酒場にべったりと嵌ってしまうのだ。
心から、何度もアタックしてよかった。最初のアタックで諦めていたら、こんな名酒場を見す見す逃していたかもしれない。思い返せば、そんな酒場はかなりあった気がする。やはり何度もアタックすることが大事だったのだ。こんな感じで、恋愛の方も出来ればきっと……
ああ、そうか。これからは女の子を酒場だと思えばいいのか。
なるほど、どうしよう。口説き文句がどんどん湧いてくるぞ……
蔦八(つたはち)
住所: | 東京都大田区大森北1-35-8 |
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TEL: | 03-3761-4310 |
営業時間: | [月~土] 16:00~22:00(L.O.21:15) [日・祝] 15:00~21:00(L.O.20:15) |
定休日: | 年末年始のみ |