わざわざ…いや、あえて行きたい東京の奥地・青梅の激シブ酒場「銀嶺」
世の中の大抵の道楽は楽しいことばかりで、その魅力というものを理解できるつもりだ。例えばスポーツ観戦、アイドルの追っかけ、サバゲー、資格マニア……おそらく、ちょっとしたきっかけさえあれば、一気にのめり込む自信がある。他にも撮り鉄にゲーム、最近だとキャンプなんか周りでも始めてる友人も多……ん?
キャンプ……
キャンプ……だって?
いやぁぁぁぁキャンプだけは解らない!何が楽しいのかが、まったくもって解りません!
キャンパーには失礼を承知で、なぜ解らないのかの説明だけさせて欲しい。だってね……なんで〝わざわざ〟山奥に行って、電気もガスも無い狭いテントの中で米を炊いて食って、空気で膨らませた寝心地の悪いマットで寝て、朝起きたら携帯豆引き?みたいなのでコーヒー豆を挽いて飲んで、片付けて帰るって……私にはさっぱり分からないですよ。ホテルに泊まった方が圧倒的に寝心地がいいし、わざわざそんな不便なことをする理由が、どうしても理解できないのだ。
ただですよ、闇雲に理解が出来ないという訳でもない。そもそも大自然もBBQも大好きなので、それこそちょっとしたきっかけさえあれば、一気にのめり込むはずなのだ。今までにだってキャンプが好きに、何度もその魅力をプレゼンしてもらってきた。が、今のところ、私の心を動かすまでには至っていない。
まぁ、キャンプが好きな人たちだって「お前に解ってもらえなくてもいいよ」って話なのだが。
先日、初めて『青梅』に行ってきたのだが、それこそキャンプ好きには堪らないだろう大自然豊かで非常にいいところだった。今までに何度も言われてきただろうが、空気が綺麗で〝ここが本当に東京都だと思えない〟と何度も叫んだ。
独特な街の静けさと空気が流れていて、道端のベンチなんかに座れば、いつまでもボーっと出来てしまう。ここから一本で世界一都会の新宿駅や東京駅に行けるなんて、やっぱり信じられない。
一級河川の多摩川にかかる橋の上からは、河原で遊ぶファミリーがたくさんいる。おや……もしやあれはテントか? えっ、やっぱりキャンプするのか? うん……遊んだ後は、帰って家のベッドで寝た方がいいって思うけどな。ここまで来て尚も皮肉を吐きながら、それでも青梅の街を楽しんだのだ。
さて、私がここへ来た目的はもちろん酒場である。以前から目を付けていて、ここは本当に行きたいと思っていた酒場のひとつでもある。
はい出た、はい最高。その名も『銀嶺』である。なんですか……このカンペキな外観! 錆と煤で仕上がった看板、何緑色とも知れないテント屋根、そこにしか設置できなかったであろう店先の巨大室外機。くすんだ青のペンキの扉はどこに繋がっているのだろうか……?(あとで知ったが、店の奥の座敷に行くための通路)
そして、青梅の大自然を存分に染み込ませた藍色暖簾と真っ赤な提灯がユラユラ……くぅぅぅぅ!最高峰と言っていいビジュアル、中へ入るのが勿体ないくらいだ。とは言いつつ、なかなかどうして、これは入るのに度胸がいりますよ。だけど、中が見たい葛藤、中で飲ってみたい欲望に溢れる……!
ガタッ、ガラガラガラ
(乾いた木製の引き戸が開く音)
「あのぅ、席空いてますでしょうか……ハッ!」
ぶぁぁぁぁこんなん夢じゃん、夢の内観じゃーん! 数坪の小さな空間にL字カウンター、その隅にはおでん槽。奥には小上がりもある。壁という壁には額縁やカレンダー、調理機器や棚などでミッチリと埋まり、それがある意味極彩美と成している。非の打ち所がない、控えめに行って過去最高の内観だ。
「いらっしゃいませ。そちらにどうぞ」
なんとも品のいい白割烹着の女将さんが迎えてくれる。よく見ると、酒造メーカーの前掛けで作られたであろうズボンを履いているではないか。白割烹着とのギャップがすばらしい!
座ると目の前は、煤にまみれた焼き場と使い込まれたおでん槽があるという特等席。座って気が付いたが、多摩川の方角に向かって店が傾いている気がする。こんな上級酒場で、私のような若造が飲れるのだろうか……まずは落ち着いて、酒をお願いしよう。
完全に家庭用冷蔵庫から取り出した大瓶。何だろう、見慣れたキリンラガーのラベルなのに、この渋カウンターに乗せるだけで麒麟さんの顔がほころんで見える。
ごぐんっ……ごぐんっ……ごぐんっ……、っツ────うんまぁぁぁぁいっ! やばっ、この雰囲気にドップリとトリップしちゃいそう。すげぇ……すげぇやこの酒場。
「おでんね。どちらにします?」
「このふっくらしたガンモと……」
「ガンモね」
「あとは……よく染みたとこの大根ね」
「はぁい」
〝ふっくらした〟って表現、いいですねぇ。先客の諸先輩らが、おでん槽を指さしながら女将さんにタネを伝えている。完全に駄菓子屋だ。60代くらいの先輩らが、まるで子供の様に見える。よし、孫の私もお願いしよ~っと。
女将さんが菜箸でゆっくりと引っこ抜いてくれた『おでん』が渡された。ウインナー巻き、生揚げ、玉子、人参、大根……全員出席している。
〝煮物〟とは大根を見れば解る、これはもう間違いない。形を残しつつ、ジュクジュクと旨汁をたっぷりと含んだ大根。同じく根菜の人参も、元々の硬さが想像できないくらいに柔らかい。
生揚げはタプダプと震える食感が好く、ウインナー巻きの中身は赤ウインナーで、これがおでんのダシと相性バチン。ちょっと欠けちゃった玉子も、逆に黄身とダシがマリアージュしていい。
「牛筋ちょうだい」
「お、牛筋なんてあるのか。こっちにもちょうだい」
ここのおでんは、客が客の注文を訊いて次々と伝播される仕組みのようだ。このサイズの酒場だから気軽に出来るのであって、綺麗な店だとちょっと出来ないシステムだ。
続いて『自家製ポテトサラダ』がおいでなすった。ポテサラをガラス器に入ってくる時点で絶対おいしい、というのが持論。そもそも、この女将さんが作るポテサラがおいしくないわけがない。
ざっくりと潰したポテトときゅうりと人参が、控えめなマヨネーズとあっさりと絡み合う。丁度いい、この手作り感がたまらない。パック詰めのベッタリとしたポテサラとは大違いだ。こいつに軽くコショウを振って、思わず拍手である。
「ん? なぁに?」
「あのねぇ」
可愛らしいしゃべり方なのに、どことなく気品を感じる女将さん。それに、おしゃれなネックレスや化粧もビシッとキマっている。家庭的でもあり割烹的でもある、なんとも不思議な魅力を醸し出す女将さんから目が離せない。
そんな女将さんが、目の前の網で『極上アジ』を焼き始める。うふ、私が頼んだものだ。網に乗せられた特大アジからは、間もなくチリチリと煙を上げる。食事って香りも大事、小さな店を香ばしい香りが包み込む。
女将さんは「よっ」と言って、アジをひっくり返す。可愛いなぁ。半面をしばらくして焼いて遂に完成。「このアジ、おいしいわよ」と言われながら受け取る。
よだれが出そうだ。熟成された香りがたまらず、そのまま割り箸をブッ刺していただく。
うんまぁぁぁぁ!こーれーはーウマいぞ! ふわりとした食感から凝縮された魚の旨味、嚙むたびにその旨味が鼻から多摩川まで突き抜けるようだ。ふぅ……間違いない、今までで一番おいしい焼きアジだと断定した。
「ハイキングでいらっしゃったの?」
「いや、お酒を飲みに初めて青梅に来たんですよ」
仕事がひと段落した女将さんが、声をかけてくれた。生粋の〝青梅っ子〟の女将さんは、この街のいろいろな話を教えてくれた。昨今、青梅に移住する人が増えているらしく、そんな人たちを〝新しい人〟と呼ぶところが長く住んでいる証だ。最近は駅までの交通の便が良くなったが、昔は奥さんが車で旦那の送り迎えをする光景が日常だったらしい。駅前にも高層マンションが沢山立ち並び、この街もだいぶ変わったとのこと。
「いやぁ、青梅っていいですね。住んでみたいです」
「河辺に一軒家を建てる人は多いけど、落差の激しい土地だから家を建てるには青梅の方がいいわよ」
隣町の皮肉を言うところも、長く住んでいることと、この街を愛している証なのだ。
「ぬか漬けちょうだい」
「はぁい」
『紅の豚』のマルコの声にそっくりな隣の先輩が、ぬか漬けを頼んでいた。女将さんが渡すと、先輩はそこへ味の素をババッ、醤油をぐるりとひと回し。実家の父親の食べ方と同じで、思わず口を押さえて笑いを堪えた。
すべての物が手に届くほど小さく、古く、品数もそんなに多くない。店主や客同士で、ちょっとしたコミュニケーション能力も必要な大衆酒場は苦手な人もいるだろう。じゃあ、広くて綺麗で大きなチェーン店の個室で飲めばいいじゃないのか? 電子パッドなら会話せず便利に注文ができるし、魚もオーブンであっという間に焼いてもらえる。ポテトサラダも安くて安定した味だ。
いいや、それも悪くはないが、私は断然こんな大衆酒場を選ぶだろう。
気が付いた。
それって……電気もガスも無い中、〝あえて〟焚火で暖を取ったり、あえてホテルではなく外でテントを張ったり、キャンプが好きな人のそれと同じことなんじゃないだろうか。
実は〝わざわざ〟ではなく〝あえて〟だということに、目からウロコが落ちた気分だ。いや……ちょっと違うのかもしれないけれど、少し店が傾いていることを尻で感じつつ、ちょっとだけキャンプの魅力に触れたのは間違いない。
銀嶺(ぎんれい)
住所: | 東京都青梅市住江町52 |
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TEL: | 0428-22-4719 |
営業時間: | 16:00~22:00 |
定休日: | 火曜日 |