花小金井「しまむら」一番嫌いだった町で一番うまい酒を飲む日
今まで自分の歩んできた人生は、結構気に入っている。
なんなら、これと同じ人生をもう2回くらい繰り返したい。だから、今パタリと逝ってしまっても〝無念〟はない。
「なんだ、死んじゃうのか?」と言われそうだが、
私はまだまだ呑み続ける。
何が言いたいのかって、そんな大好きな人生の中で唯一といっていい〝嫌いな期間〟があるのだ。
その〝嫌いな期間〟である当時20代前半を、『花小金井』という駅がある『小平』で過ごした。
当時は《ビジュアル系バンド》をやっており、その活動費に困窮していただけで、つまるところ〝極貧〟だったのだ。
だがそのイメージは根強く、それから十数年以上経つ今も、『花小金井』という文字を見る度に当時の事を思い起こし、最近までその地に訪れることを無意識に避けていたような気がする。
言っておくが、『花小金井』自体は住みやすくて良い街である。
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ガチャン、キンコーン
『花小金井──、花小金井です』
──ある10月中旬。
本当に、いつぶりか分からないが、私は花小金井駅のホームに降りていた。
改札を出てすぐのドラッグストア、北口の階段にある花屋、拓大一高の跡地に立つスーパー、
そして……
『しまむら』
駅の北口を出て数十秒の立地にある、町中華系大衆食堂である。
目立つオレンジ色のテント看板、入口の食品サンプルのケースにぼんやりと記憶が蘇る──
当時の私は、日払いのバイトばかりをして生活していた。ある日、八王子へ日給8千円の土木作業員のバイトに行ったのだが、そのあまりの過酷さに初日で退職。「明日からどうしようか……」と途方に暮れ、しかたがなく母親へ生活費の借入れの電話を架けようとしたが、料金滞納で携帯電話が使用できず、公衆電話から電話をして翌日金を送ってもらった。
『送金 *20,000』
通帳の印字を見て、なんと心強かったことか。
連日、袋ラーメンか百均蕎麦しか食べていなかった私は、そこから千円だけを握り締め、久しぶりに美味しいものを食べようと花小金井駅前へと出向いた。そこでこのオレンジ色のテント看板を見て、ひとしきり食品サンプルと相談をしたが、結局、松屋で豚丼の並だけを食べて家に帰ったのだった。
駅前へ来る度この店を見てはいたが、その後入ることはなかった。
そんな店の暖簾を潜る日が訪れるとは──
「いらっしゃいませ」
見事に赤で統一されたイス。客は地元先輩であろう男性客が一人だった。
こんな店内だったのか。
さて、どうしたらいいのものか……と、まずは席に座ってみた。
『ゴーン、ゴーン……』
聞こえてきた振り子時計の音に親しみを感じるのだが、私にとってはいつも行く〝ただの大衆食堂〟ではない。過去の記憶と〝和解〟する為の場所でもあるのだ。
そうなると、酒の力が必要だ。
「中瓶ビール、ください」
「はい」
おずおずと中瓶ビールを注文した。
〝中瓶450円〟など、当時の私からしたらドンペリニヨンを頼むのと同じだ。「はいどうぞ」と渡された中瓶とグラスを受け取る手が思わず、震える。
チュー……
ああ……なんて、うまいんだ。
当時の私にも、このほろ苦さを分けてあげたい。なにせ当時の私の生活は、ただただ〝苦味〟しかなかったのだから──
『家賃の件で、大至急連絡してください 〇〇不動産』
手書きで大書した紙が、自分のアパートの玄関ドアに、毎日毎日貼られていた。当時は家賃滞納など当たり前であった。
それを剥いで部屋に入ると、今度は水道が止まっていた時には流石に落ち込んだ。
「水は勘弁してくれよ……」
そんな私も、今ならこれを注文できる。
《餃子》
ムチっとした〝おばあちゃん手作り〟タイプ。決して表面はカリリッとはせず、もちもちとした歯触りの後からは、ニラの風味がほんのりと混じる挽肉の旨汁がじゅわりと溢れ出てくる。
それと一緒に、またもや思い出が溢れ出た──
『じゃあ……1万円貸してあげるよ……』
あの時の悲しい表情は未だに忘れることはできない。
その日、当時付き合っていた20歳の彼女の誕生日に、ディズニーランドへと行く予定だったのだが、またしても家賃の支払いが足りず、初めて彼女から金を借りて支払うことになった。もちろん雰囲気も悪くなり、結果的に彼女が楽しみにしていたディズニーランドも中止。
因みに、その部屋では家賃を最高6か月間も滞納したことがある(もちろん支払い済み)
「そりゃあフラれるよな……」
そんな私も、今ならこれだって注文できる。
《カツ煮》
〝カツ〟が付いている料理など、そもそも全てに〝負ケ〟ていた当時の自分には皆無の料理である。
甘ぁい汁衣にカチっとした玉子がゴクリと唾を飲ませる。ハモっとカツを割箸で口に挿入すると、「あはん」と妙齢女の嬌声の如く声が出た。硬すぎず、柔らかすぎずの豚肉のウマいこと……いや、ただウマいだけではない、私の中にある様々な想いが混ざった〝特別な味〟なのだ。
──毎日、
この町、この現実から逃げ出したいと思っていた。
そんな状況でバンドなんかやってもうまくいくはずもなく、程なくしてバンドは解散。そのあと数年間は音楽すら聴かなくなっていたが、今はやっぱりビジュアル系の音楽が好きだ。
「中瓶、もう一本ください」
「はーい」
こうやって、2本目の瓶ビールを頼めるという幸せを噛みしめ……いや、想いしめながら〝嫌いな期間〟の思い出を肴に呑んだ。
ここは、居心地がよい。
あの時、松屋ではなくここへ入っていたら、『花小金井』への感情は変わっていたのか知れない。
『おかえり』
「あ……ただいま」
『どうだい、ここの酒の味は? 苦いかい?』
「……いや──うん、うまいよ」
思い出の誰かと、思い出話をしながら独酌する。
逃げ出したいと思っていた場所は、
ずっといたい場所へと変わっていく。
それが『酒場』という魔力なのかはさておき、これからは、たまに『花小金井』へ来てみるか。
金がない、恋人にフラれた、仕事がうまくいかない……逃げ出したい……
今、そんな風に思っている人も、まずは酒場へ行ってみることをお勧めする。
そこで人生、何か変わるかもしれない。
だから、もう一杯。
しまむら(しまむら)
住所: | 東京都小平市花小金井1-12-1 |
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TEL: | 042-461-2408 |
営業時間: | 11:00~21:00 |
定休日: | 木曜 |