小岩「銚子屋」親父と大将と下町酒場フィルムス
ウチの親父が映画好きで、子供の頃は土日となると必ず近くの『ビデオランド』というレンタルショップビデオ屋に連れていかれ、親父は映画を数本、私はドラえもんを借りて観るのが週末の愉しみであった。親父の映画の趣味には偏りがなく、洋画に邦画、SFから極道モノに至るまで幅が広かったのだが、その中で未だ記憶に残っている映画がある。
中学生くらいの時か、親父が出掛けていると、テレビ台の隅にビデオランドのレンタル用ケースを見つけた。何を借りてきたのかが気になり、ケースからビデオを取り出してみると『食人族』というラベルが目に入った。「オエッ!」と思わずビデオを投げ捨てた。説明するまでもない強烈なタイトルから、中学生だった私は恐怖を覚えつつも、〝お父さんの頭がおかしくなった〟と本気で思ったものである。
特異なジャンルはともかく、親父が映画を大音量で観ながら酒を飲る姿は、土日昼間の我が家の光景であった。
JR小岩駅を出て歩くこと約10分。わずかに春を匂わす街路樹沿いには、古い団地や誰もいない小さな公園が並び人気は少ない。まさに絵に描いたような閑静な住宅地に、その酒場もやはり静かに現れた。
『銚子屋』
暖簾と赤提灯がなかったら、間違いなく素通りしてしまいそうな外観。屋根の看板にはうっすらと〝銚子屋〟と確認できるが、果たして、ここは本当に酒場なのか……。久しぶりの《ただの家》感が気持ちを昂らせる。
渋暖簾の奥には、蛍光灯の光がすりガラスを透かしている。とりあえず人の気配はあるので、間口の戸を引いてみた。
「すいませ……」
〝ズガガガッ、ドガーン!! Arghhhhhhhhhh……!!〟
「えっ!?」と、店に入るなり突然激しい銃声と叫び声。一体何事か、と店内を確認すると、
店の大将と思しき人物が、ひとりで外国の戦争映画を観ていたのだ。ちょっと声を掛けづらいが、訊ねてみる。
「あれ……あのう、営業ってますか……?」
「やってますよ。ちょっとそこに座ってて」
大将はそう言って奥の厨房へ入っていった。カウンターに座って少し待っていると、大将が戻って来て、また映画を観はじめる。そしてカウンターの奥から二代目と思われるマスターが現れた。
「いらっしゃいませ。なに飲ますか?」
「あ、じゃあ……酎ハイください」
〝Oh, Jesus!! Arghhhhhhhhhh……!!〟
マスターが酎ハイを作りに行くと同時に、テレビの中ではまた激しい戦闘がはじまったようだ。
『酎ハイ』
さすが近所に『野中食品』があるだけに、『DRINK NIPPON』のリタ瓶が当たり前と言わんばかりに目の前へと置かれた。レモンスライスの入った焼酎ジョッキにトクトクとタンサンを注ぎ、まずはひと口、喉の様子を伺うことに致しましょう。
──ンまい、今日も調子がいいですねぇ。そうなると喉仏さんはアテを強請ってくるので、さっそく目の前の黒板メニューから選ぶことにした。
『ホタルイカ』
みんな同じ向きで寝そべって、なんだか愛おしく見えてしまう。その可愛らしい子たちを順番に口へと運ぶ。プリプリの身にワタがほんのり苦くておいしい。早くも酎ハイが進……
〝バンッ、バンバンッ!! Arghhhhhhhhhh……!!〟
テレビから、トカレフの銃声が鳴り響く。そちらは、兵士が順番に撃たれ倒れていくシーンだ。……いささか、食べづらくなった。
『いわし刺身』
これがまた、とってもウマくてねぇ……。背開きされた身は、鮮やかなピンク色で美しい。タップリ、生姜醤油に潜らせてひと口……ウマいなぁ。淡白だがコッテリと脂がノッており、噛みしめる度に旨味が口に広がるパラダイス。最近、いわし料理の当たりが多いのだが、さてはこの店がキッカケかな?
『アコウダイ煮魚』
おぉっ、こんなところに高級魚を発見。アコウダイは深海に生息しており、釣り上げると急激な水圧の差で目玉が飛び出るおもしろい魚だ。どれ、一番ウマい腹身の部分はどうだろうか……
──トロォリ。
今度はこちらの目玉が飛び出るほどのウマさで、醤油の甘じょっぱい煮汁が、しっかりと身に沁みており、蕩けるような白身の旨味と混然として舌と一体するのだ。皮のしっとり、しなやかな歯触りも絶品だ。
気が付けば海鮮ばかりとなっていたが、これが大正解だ。次回訪れた時も海鮮一択で間違いない。
〝Oh my……〟
あれだけ大音量で流れていた戦闘は終わり、雨の葬式のシーンとなっていた。おそらく大将の年齢的には、思いっきり〝敵国〟を描いた映画だと思うが、そこは気にならない程の映画ファンなのだろう。それはさておき……
おや? 大将、寝てる……?
先ほどから大将の背中がまったく動かないので、ちょっと顔をのぞかせてもらうと……やはり寝ていた。あれだけの銃声や叫び声の中で寝れるのはすごいな……。しかしこの背中、どこかで見たことがある。そうだ、親父もこうやって起きているのか寝ているのかわからない状態で映画を観ていた。
2年ほど前、地元の秋田へ帰郷した際、誰もいない居間のテレビ台の隅には、やはり親父の借りてきたDVD……いや、ビデオのレンタル用ケースがあった。未だに映画好きは健在のようだが、若いと思っていた親父も、今では帰る度に「老いたなぁ」と思うようになった。けれども、このケースを見る度に子供の頃の懐かしい記憶が蘇るのだ。
そんな記憶の一片を、ふいにこの酒場は映し出してくれた。眠る大将の背中に親父を重ねながら、残り少ない酎ハイでチビチビと飲る──なんだか、不思議な光景だ。まるで……そう、昔の映画でも観ているかのようだ。
〝よし、きっとまたここへ、観に来よう〟
映画のエンドロールが流れる頃に、私も店を後にした──。
因みに、
その時に親父が借りていたのは、パンスト系のアダルトビデオ3本だった。
銚子屋(ちょうしや)
住所: | 東京都江戸川区北小岩2-19-6 |
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TEL: | 03-3658-9381 |
営業時間: | 9:00〜20:30 |
定休日: | ほぼ無休 |