沼袋「ホルモン」酒場日本史A(1時限目)
キーンコーン、カーンコーン
ホラぁ、全員席に着けぇ。授業始まってんぞー。
席着いたかー? それじゃ今日から4年間、諸君らには『酒場日本史』を学んでもらう。まずは教科書の5ページ、《まえがき》から。……そうだな、そこのお前、一行目から読んでみろ。
『日本の酒場史において──』
……うむ、
『酒場大兄皇子が拓き──』
……うむ、
『──が重要である』
はい、そこまで。
いいかー、ここには酒場日本史の一番大事なことが書いてある。読むぞー。
『閉店』してしまったからといって、忘れてはならない
『閉店』したからこそ、未来に残さなければならない
ここだ、解るな? 世にある名店と言われる酒場は、老舗になるほど後継者問題なんかがあって、止むに止まれず店を畳むことがある。あとはお前らも知っている通り、2020年には感染症が流行って、酒場界にも大打撃を与えた歴史がある。
ただ、『名店』はどうあっても『名店』だ。歴史上の偉人達と同じで、後世に史実を残して行く必要がある。それがこれから学んでいく『酒場日本史』っちゅーわけだ。今のとこは必ずテストに出すからな、間違ったら童貞処女からやり直せよ。
よし、じゃあ最初の名酒場、8ページからいくぞー。
沼袋『ホルモン』
はい、ここ知っているヤツいるかー?……十、……二十、お、やっぱ結構いるなぁ。名前も分かりやすいからな。じゃあ、まずは沿革から読んでくぞー。
■沿革
創業は1964年。元々は『もつ焼き ホルモン』の沼袋店として営業していた店から独立。脱サラした二代目の店主が、閉店する2019年まで店を守ってきた、と。えー、新井薬師前の『四文屋』グループ、野方の『秋元屋』という、強豪酒場に囲まれながら半世紀以上続けてこられたのは、呑兵衛たちに愛された、まさに名店であるが故の結果──、とういうことだ。
■外観(図1)
図1の写真に注目。木造モルタル二階建ての昭和建築、この傾き具合は文化財モンだ。だが、なんといってもこの『暖簾美』よ。黒地に白縁の赤で〝ホルモン〟が美しいじゃないか。
この写真みたいに、暖簾が〝裏返し〟になってる店があるが理由は解るか? 一般的には〝開店すぐ、閉店まぎわ〟を表すのだが、単に〝ゲン担ぎ〟や〝右端が擦り切れたから逆にしている〟なんてのもあるから覚えておけよー。
■内観
中央にコの字カウンター、途中に酒燗器がある。調味料は一味唐辛子のみのシンプル・イズ・ベスト。
酒は6品、料理も基本はホルモンだけという、これまたシンプル・アンド・シンプル。
よーし、お前ら今から『想像』しろ。今、自分はこのカウンターに座った──座ったらまず何をする?──そうだ、酒を頼むよな。じゃあ酒は何を頼むかだ。なに、レモンサワーだぁ? バカヤロウ!
■酒
『くわ茶割り』一択に決まっとろーが!……え、くわ茶を知らないだって? これだから都会のボンボンは……。くわ茶っつーのはな、ほろ苦くて、コクがあって、香ばしくって……とにかく、甲類焼酎にめちゃくちゃ馴染むんだ。いいから、次回までにくわ茶飲んで来い。飲んできたかチェックするからな。じゃ、次のページめくれー。
■料理
おーっと、こりゃウマそうな煮込みだな。特徴は、豚モツに赤味噌ベースで、しかも〝ネギがタップリ〟か。よし、全員で復唱しろ。
〝ネギがタップリ〟……もう一回、〝ネギがタップリ!〟
よし、食い方について読むぞー。
まずは〝ネギがタップリ〟を崩して、軽くモツと馴染ませてやる。……うーん、教科書だとこのまま食べるってなってるが、俺的にはもうひと足しだ。
一味唐辛子をゴッツリとかけてやるのがいい。そうすると、トロっとした煮汁にアクセントが付いて、キリッと味が引き締まるんだ。ただテストには書かないでいい、教科書通りに採点しねーと俺が石頭の教頭に怒られるからな。
『やきとん・塩』
なになに、〝味の選択は、店主または焼き担当者に任せるのが好ましい〟か。この教科書も、ずいぶん当たり前なことを書いてるなぁ。お前らも、普段はいっちょ前に味を選んで頼んでるだろうが、十年早えからな。こういうホルモン専門店では、店主に頼んでおけば間違いない。
写真は、コブクロとレバの塩だが……おい、よく見て見ろ。すり下ろした生姜が付いてるぞ。コイツがまたホルモンに合うんだよ。こういうところに〝ホルマー〟としての店主の拘りを感じるじゃないか。
脚注に《メニューの『ちょい焼き』を頼むと、店主に「しっかり焼きますよ」と言われる》とあるが……そうか、昔はレバ刺しがイケたからな、今はしっかりと焼くようにしたってことだろう。
『やきとん・タレ』
オイ! お前、いま寝てたろ!? え、想像して教科書読んでたら、酔っ払ってきただって? 嘘つけよ、じゃあ今どこやってたか分かるか? 立って読んでみろ。
『タレは濃茶で、水飴ののようにトロリとして味も濃厚。はんぺんなどの淡泊な味にも、しっかりと調和する匠の品』……う、うむ、その通りだ。ゴホン……すまんすまん、やきとんだけに勘違いだったのカシラ?、ナンコツって~……って、シンとするんじゃねえよ!
■閉店
そして、2019年6月に閉店。理由は、店主が膝を悪くしてということだが、何の世界でも〝引き際〟というものが重要だ。俺は2018年に行ったっきりで、確か秋だったかな。焼き場に近い席に座ったんだが、ここがとんでもなく暑くてな。それなのに、店主は涼しげな顔で数人の客を相手に、かいがいしく仕事をしていたのが印象的だった。あれは、まさしく『巨匠』の風格だ。
そういえば、客のお兄ちゃんが言っていたが、有名やきとん屋の店主も、お忍びで技を盗みに来るらしい。それほど認められた技を持ちつつ、引退したってことだわな──。はいはい、そこ。簡単に〝もったいない〟って言うんじゃないぞー。酒場の〝引き際〟を受け入れられるのも、呑兵衛の器のひとつだからな。酒だけ入れてる器だけじゃ、呑兵衛としてまだまだってことよ。
では、この店最後のページ。
■2020年4月 現在
写真は〝解体前の建物〟……か。そうなると、もうこの教科書でしかその雄姿は見れなくなる……もしかしたら、もう解体されているかもしれない。だがな、日本の酒場史に残る名店だったということは、若い諸君らの心の中に少しでも残ったんじゃないかと思う。まあ、歴史っつーもんは、本来それくらいでいいんだ。
……おっ、そろそろ時間か。あーそうだ、今日の勉強したところは、ルーズリーフ2枚に所感をまとめて提出してもらう。
「エーッ!?」じゃねぇよ、宿題だからなー。
キーンコーン、カーンコーン
宿題は明後日までに提出な、忘れるなよー。
では、また次の授業で。
沼袋「ホルモン」(1964年 – 2019年)
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【閉店】ホルモン(ほるもん)
住所: | 東京都中野区沼袋1-38-3 |
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