【妄想酒場】十条「田や」俺の妹がこんなに酒呑みのわけがない《後編》
前編の続き
※必ず前編を読んでからご覧ください。
俺は、
妹のことが好きなのだ──
そんな妹の『お願い』を断るすべもなく、確定的に始まる〝微妙な空気の場〟への参加を余儀なくされる状況となったのだが……
「お兄ちゃん、彼氏が『十条駅』の店で待ってるって!」
「十条かよ……まぁ隣の駅だからいいけど」
「ごっめんっ!! お願いしますですっ!!」
念のため、『好き』というのは〝LIKE〟ではなく、〝LOVE〟の方であることを説明しておく。
無論、〝LOVE〟である妹のまだ会ったこともない彼氏のことも、気になることは気になるのである……が、〝LOVE〟だからといってその『本意』を〔おっぴろげ〕にすることは倫理的に不可能であり、もちろん妹を含む家族や友人は俺の真意など全く知る由もない。
『田や』
「お……お前の彼氏、ずいぶん渋い店で待ち合わせるんだな」
「……じ、じゃあ入ります……(ちゃんと付いてきてね!)」
なぜか〝付いてきてね〟だけを小声で俺に言ったあと、背中を少し丸め〝恐る恐る〟という表現が相応しい姿勢で店の中へ入っていく妹。
気づけば時刻は17時を回っており、すっかり辺りは暗くなっていたが……そんなことより、これから始まる〝微妙な空気の場〟を果たしてどう乗り切ればいいのかが問題で──
(ちょっと、お兄ちゃん早くっ!!)
「……あ、はい」
妹に促されるまま、俺も店の中へと入った。
「いらっしゃいませー」
「ま……ま、待ち合わせです……あ、いた」
店内は大き目のコの字カウンターと広めの小上がり、達筆な文字で書かれたメニューが壁一面に張られていた。
俺はそんな店の内観ばかりをキョロキョロと見ながら、おそらく彼氏であろう人物の座るカウンターへ向かう妹に、何となく付いていったのだ。
「あ……どーもッス」
「は……じめまして。すんません、なぜか〔兄〕です」
痩躯で瀟洒な今はやりの服装の彼氏に謎の自己紹介をして、その彼氏の隣に妹、俺の順で静かに並んで着席した。
「あ──と……彼氏くんは、なんか飲みます?」
「そう……スね」
「そ、そうだね、あたしたちも飲んでたし……」
予想通りのぎこちない会話が始まり、各々ぎこちなく店員に酒を注文した。
「かんぱ~い……な、なんちゃって」
「……あの、はいお兄さん、かんぱいス」
「はは……かんぱぁい」
チーンと、グラスの音が店内に響く。その音は、まるで仏壇にある『りん』の音のようで、この場の『厳粛さ』をより際立たせた。
「な、なんか……ごめんね、俺まで来ちゃって」
「いえいえ、お兄さんのことはよく聞いてますよ」
「は……はは、ははは……お兄ちゃんごめんねっ」
オイオイ──なんだって俺はこんなところに来てしまったんだ……?
……わかってはいたものの、思っていた以上の〝微妙な空気〟に早くも後悔の念に駆られる。
…………。
……………………。
………………………………。
始まったばかりの会話が、滞りなく終了した。
そりゃそうだろ!と言いたいところだが、おそらくこの中では年長者である俺は、妹には〝座っているだけでよい〟と言われたものの、終わりの見えないこの空間を打破するために、やむなく食指を動かすのだ。
「彼氏くんは、その……よくここへは来るのかい?」
「えと……そうッスね、この店は秋田料理がおいしいんですけど、僕は秋田出身なので割と来ます」
「そうなんだ、じゃあお勧め料理を頼んでもらってもいい?」
「あ、はい、了解ッス」
真ん中に座っている妹は、少しだけ口を開けた状態で笑っているんだか困っているんだか分からない表情をしながら、彼氏くんが料理を注文するのをただ見ていた。
『いぶりがっこ』
これは俺も知っている秋田名物だ。大根の『たくあん』を燻してあるのだが、その燻製独特の風味とたくあんの歯ざわりが絶妙なコンビである。
『はたはた』
秋田の代名魚である『はたはた』の腹には、『こっこ』と呼ばれる卵がぎっしり。粘り気のある卵は、噛むとぷつぷつと音を立てて食感を楽しませてくれる。身もあっさりと、だけど深い味わいで思わず酒も進む。
『鯖の燻製』
たっは~!! うまいっ!!
さっきの『いぶりがっこ』のように、鯖を燻製にした珍しい料理。艶ッ艶の琥珀色に輝く鯖の身はほんのり暖かく、ひとくち食べると燻製の風味が口全体を包み上品な味わいに至らしめ──
「だから──アンタのその言い方がイヤって言ってんの!!」
嵐は、突然とやってきた。
俺がすっかり料理を堪能している隙に、恐れていた時間が来るべくして訪れたのだ。
「いや……お前だって──」
「〝お前〟って言わないでよバカ!!」
「は……? てか〝バカ〟ってなんだよ」
「ち……ちょっと2人とも、店の中だし落ち着けって……」
ある意味、妹が俺を呼んだ理由っていうのは、こんな風に『ストッパー役』としてだったのだろう。
しかし、この彼氏くんの怒る気持ちだって分かる、男ってのは人前で女に怒鳴られるのが一番『自尊心』を抉られるってもんだからな……。
「あ──はいはい、じゃあオレが謝ればいいんだろ」
わぁぁあぁぁダメだ!!
彼氏くん、それを言っちゃ──
「はぁ──!? 信ッじらんない」
元々の詳しい喧嘩の原因はわからないが、今度は妹が……いや、『女』が爆発しやすい禁止ワード《謝ればいいんだろ》を彼氏くんが言ってしまった……
これはもはや──
〝別れよう〟
妹は、
目を瞑り、くぐもった声で確かに、そう言った。
そしてそれは多分、『マジ』のヤツだ。
……本当に、なぜ俺は今ここに居られるのかがわからない……。
「……」
「……行こう、お兄ちゃん」
「え? ちょ……あ、待て待てお金お金!!」
「……」
グイグイと俺の腕を引っ張る妹の手を制止させつつ、彼氏くんの前に五千円札を一枚置き、半分逃げるように店を出る。
彼氏くんは店の戸を閉める最後まで、うつむいたままだった──。
****
『八起』
地元の赤羽に戻ってきた俺と妹は、破局の『打ち上げ』という名目で『八起』に来ていた。なんだかんだで、気づけばこれで4軒もはしご酒をしていることに驚く。
「ばっきゃろー!! あんなヤツあんなヤツあんなヤツっ!!」
「……おい、テーブル叩くなよ」
〝性根が悪い〟と思われるかもしれないが、やはり俺はどこかで破局への『嬉しさ』を感じずにはいられなかった。
しかし、そんな気持ちを妹に悟られるわけにはいかない……はずだった。
「まぁ……なんだ、そのうちまた新しい男でも出来るだろ」
「うーん……そっか、なぁ……」
どこか遠くを見る目をした妹は、注文した『ウインナーフライ』をコロコロと割り箸で転がした後、パクっと咥えたまま──目を閉じた。
それは、ただ『ウインナーフライ』の味を噛みしめているだけなのか、それとも今ある現実から目を背けているだけなのか、定かではない。
──けれど、
そんな妹の姿に、兄として……いや、ひとりの『男』として……俺は、声を掛けずにはいられなかった。
「さ……最悪、に、兄ちゃんがお前の面倒みてやるしさ……はは」
「……お兄ちゃんが、かぁ……」
「あっ……ちがっ、ぃい今のは冗談──」
「そうだね……ありがと、なんか元気出た」
「へっ?……お……おう、」
「お兄ちゃん、大好きだよ」
「好っ──」
酒のせいではない、明らかな紅潮感を感じる俺の顔面。
俺も、過去に少しは女性とお付き合いをしたことがあるからわかる。
愛の《告白》をする直前ってのは、紅潮して、時が止まり、なんだか〝ふわっ〟とした感覚に陥るものだ。
そう、
その相手が『妹』だとしても──
「おっ……お……俺も、お前のこと、」
「……ふふっ」
妹の顔を見ると、優しく目がアーチ型に細くなっていくのがわかり、フッと我に返ると──、
「……は、ははは」
「ぷ──っ!! あはははっ」
『あはは、ははははっ!!』
客目をはばからず、
俺と妹は、笑った。
「やっぱあたしって、超ブラコンだぁ──あはははっ!!」
妹が、笑う。
「あはははっ!! お兄ぃちゃんっ♪」
俺の妹は、
何度も、
何度も笑って、
「……うっ……うぅ、おにぃぢゃぁぁあぁぁっ」
そして、泣いた。
女の失恋ってのは、もっと〝しくしく〟と泣くものだと思っていたが、そんなことはないんだ。
俺は〝いつから妹のことを好きになってたんだろう?〟って、
妹の泣き姿を見ていると、なぜかそんなことを思って、
そして、
俺も悲しい気分になった。
だから、
こんな悲しそうな……大好きな妹に、俺は何が出来るのだろうかと──
「……おい」
「う”ぅ……はぁいぃぃ……」
「行くぞ、彼氏くんとこ」
「……う”ぅ……え、だ、ちょっと、お兄ちゃんっ!?」
涙でグシャグシャな顔の妹。
その腕をグイっと引っ張り、会計を済ませると夜の赤羽駅へと走った。
「ちょっ、お兄ちゃんてば!! あたしはもう……いいから……」
「うっせー、……あいつ、まださっきの店にいればいいけど」
「……お兄ちゃん」
不安げな妹の視線は何とも言えない気分にさせたが、俺の妹の腕を引っ張る力は走る速さと共に増していった。
そして、
こんな時ってのは、やっぱ不思議な何かが応えてくれるもので──
「……あっ!! ちょっとお兄ちゃんストップストップ!!」
「お……」
喧騒に包まれた夜の赤羽駅東改札口に、見覚えのある姿があった。
それはもちろん、彼氏くんだった。
はぁっ、はぁっ
──と、彼の姿に息を切らし、少し遠くから立ち竦んで見つめる兄妹。
彼がこちらに気づいた瞬間、強く握っていた兄の手からは、するりと妹の腕が抜け、何も言わずに……何も言わずに寄り合う妹と彼のシルエット。
そして、何かをゆっくり話し合うその2人の姿に、複雑な感情で見つめる兄の姿があった。
改札の喧騒に紛れ、2人の会話は兄には届かなかったが……妹が何かを強く言い、それに彼が静かに応え、そのまま後ろを向いたのがわかった。
やはり、ダメだったのか──
と、兄が思った瞬間、妹の体は彼の背中に寄り添い……
──兄は、それ以上2人を見ることもなく、その場を立ち去ったのだった。
「いらっしゃいませ~」
「……さて、なにを飲かな」
今夜はあいつも家に帰ってこないだろうし、
俺はひとり、妹のいない《デート》の続きを始めた。
これでいい──
今度こそ仲良くやりやがれ、 俺の『妹』。
いかがであったろうか?
『兄』が『妹』へ想う道ならぬ恋……。
これを読んでいる読者の中にも、同じような経験があれば是非ともお聞かせ願いたい。
因みに……私にはリアルの妹がいるが、酒場ナビを愛読している家族親戚に誓って〝まったくその趣味は無い〟と、ここで強く言っておく。
また、妄想酒場でお逢いしよう。
田や(たや)
住所: | 東京都北区中十条2-22-2 |
---|---|
TEL: | 03-3909-1881 |
営業時間: | [火~金] 16:00~24:00 [土・日・祝] 16:00~24:00 |
定休日: | 月曜日 |