中村日赤「大島屋酒店」時代を越える呑み助たちの駅西
モテない男でも稀に女性に好意をもたれたりするもので、それは場所や時間は問わず、突然と訪れたりする。
先日、そのモテない男である私とメンバーのイカで名古屋に訪れた時にも、おそらく数年ぶりだろうか、女性に好意を持たれる機会が訪れたのだが、それが奇しくも私の〝憩いの場〟である酒場であったのだ。
〝駅西にドヤ街がある〟
駅西とは名古屋駅の西側地区のこと指すらしく、その一部が我々の得意分野である〝ドヤ街〟を形成しているという事を、移動中に乗っていたタクシーの運ちゃんから聞いたのだ。
それを知るやいなや〝人間ドヤ街〟であるイカは、運ちゃんに目的地を名古屋駅の西へと興奮気味に伝えたのだ。
「あ! 運転手さん、ここら辺で降ろしてや!」
いわゆる〝ドヤ臭〟を、初めての地だろうが嗅ぎ付ける能力を持つイカの一声でタクシーは止まり、そのままイカの〝鼻〟を頼りにその町の散策を始めたのだ。
『中村区』
思っていたより町中は綺麗で閑静であったが、やはり華やかな名古屋駅の東側と比べると、独特な雰囲気を漂わせながら私たちを愉しませてくれるのだ。
そんな事をしていると……
「えっ……ここって酒屋なん!?」
『大島屋酒店』
突然、目の前には明らかに近代建築ではない瓦屋根が現れた。
イカの言うように、酒屋らしき看板が見えてはいるのだが……
暖簾はおろか、入口かさえどうかわからない小さな戸があるのみ。
そっと、中に入ってみる。
「あの~、すいませーん……」
「ンまぁぁあぁぁ、いい男っ!!」
突然、中で座って酒を飲んでいた派手目な格好の〝マダム〟が、私に向かって言い放った。
「珍しいなぁ、若い兄ちゃんがいらっしゃったがね」
マダムの横には、マダムと同年代であろう2人の先輩男性が酒を飲んでいた。
その声を聞くと、カウンターの奥から女将さんらしき人物が現れ、
「あら、兄ちゃんたち飲んでくんかい?」
と、私たちに声をかけてきたのだ。
〝飲んでくんかい〟……というか、
「あ、あの、ここでお酒って飲めるんですか?」
と、思わず根本的な疑問を女将さんに訊ねるなり、
「飲めるわよ、さ、あなたはアタシの隣に座りなさいな」
と、半ば強引に私はマダムの横に座らされたのだ。
イカの顔を見ると〝この場はお前に任せた〟という表情をしている。
そうなのだ、
数年ぶりに訪れたという女性からの〝突然の好意〟とは、
こちらのマダムからなのだ。
「お酒は、後ろの冷蔵庫から好きに取ってね」
一畳ほどのスペースに、5人が〝すし詰め〟状態で座り、その合間に体を通しつつ冷蔵庫から何とか缶チューハイを取ることができた。
「あ! ポールウインナーあるやん!」
関西ではお馴染みの『ポールウインナー』が、冷蔵庫の中で無造作に置かれているのを発見したイカは、迷わず握り締めるのである。
「兄ちゃんたち、これ食べな」
そう言って、女将さんは斜めのカウンターでシーチキンとマヨネーズを混ぜたものをその場で作って出してくれた。
シーチキンマヨなど、本当に何年ぶりに食べるのだろう……。
「お兄ちゃんはどこから来たんだがね?」
「東京です。僕たちこういう古いお店が好きでして」
やはりマダムは、私にグイグイと話しかけてくる。
女将も呆れた口調で言った。
「本当はまだ店を開く時間じゃないけど、この2人が早く来ちゃったもんだから早く開けてたのよ」
偶然にも、本来はもう30分後から店を開ける予定だったのだらしいが、《酒場の神様》の思し召しによって、どうやらここへ引き寄せられたようだ。
酒場の神様、いつもありがとうございます。
「定休日はいつなんですか?」
「ウチは基本的に年中無休だよ」
「まぁ、ワシらは店が閉まっててもガラス割って入るがね」
「なーに馬鹿なこと言ってんだよ!」
『わっはっは』
女将さんと先輩たちの冗談話も始まる。これは〝どの町〟でも〝どの酒場〟でも変わらない微笑ましい光景である。
「お兄さん、アタシはね、息子2人をひとりで育てたんだよ!」
〝好みの男〟を前に、どんどん口が緩くなってきたマダム。
「今その息子はね、〝死体処理〟の仕事してんのよ」
「えっ!? 死体処理……ですか?」
突然、角打ちには似つかわしくないワードが飛び出した。
詳しく聞くと、マダムの息子さんは検死などで使用する遺体の処理を専門で仕事にしており、主に『ホルマリンプール』という遺体を腐敗させないようにするため、ホルマリンを張った小さいプールにそれを沈める処理の事を母親であるマダムによく話すらしいのだが……
「それでね、男の子はお股に〝浮き袋〟があるじゃない?」
「う、浮き袋……」
「だからプールで体が浮いちゃうらしいのよ~、おっかしいでしょ~?」
と、おそらく〝持ちネタ〟であろう下ネタ話を、満を持して語りだしたのだ。
イカは大笑いしているものの、上の口だけならともかく〝好みの男〟を前にマダムが〝下の口〟まで緩み始めてはマズイと、急いで話題を変える。
「あ、あの……じゃあ旦那さんはどうされたんですか?」
「旦那~? 空襲のとき燃えたわよ!」
「……は?」
冗談だと思うが……
マダムは笑いながら真しやかにそれを言いのけているものの、空襲の事情などまったく知らない私とイカは、顔を引きつらせる他なかったのだ。
「名古屋駅の東側は、空襲でどえりゃあやられてね」
マダムの空襲旦那の話に感化されてかは知らないが、女将さんは『名古屋大空襲』の話を述懐しはじめた。
女将さんは、嫁としてこの店へ嫁いで二代目。
1945年の名古屋大空襲のあった夜明け、名古屋駅に行ってみると、駅の東側は壊滅的に破壊されており、そこから5㎞先の『千種』にある焼け残った煙突の一本だけが見えたというから、どれほどの建物が一瞬にして消え去ったのかを想像すると戦慄しかない。
この店のある名古屋駅の西側は比較的被害が少なく、空襲後は酒屋で酒が飲める店はこの『大島屋酒店』しかなかったらしく、多くの呑み助を受け入れていたのだそうだ。
焼け野原から今日の大都市になるまでの過程を、リアルタイムで見続けてきたというこの酒場、そしてこの女将と一緒の空間にいる不思議さ──それを噛み締めながら飲む酒というのは感慨深いものであ……
「それでねお兄ちゃん、男の子はお股に〝浮き袋〟があるから浮──」
女将さんが話をしている間も、酔っ払ったマダムは何度も持ちネタを披露するのだ。結果的にこの話を3回聞くことになる。
好意は、突然とやってきたり、
空襲は、突然と始まったり、
戦争は、突然と終ったり、
〝ピース〟
とにかく、
〝平和に酒を飲めるのが一番いいのだ〟
と、思えた酒場であることに間違いない。
大島屋酒店(おおしまやさけてん)
住所: | 愛知県名古屋市中村区名楽町3-25 |
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TEL: | 052-471-8030 |
営業時間: | 角打ちは17:00~19:00 |
定休日: | 不定休 |