【特別企画】酒場ナビメンバーとバーチャルデート(味論編)
大好評の「バーチャルデートシリーズ」。
しかし、イカ編、カリスマジュンヤ編と男である私が『女性からの目線』で書いていた為、いい加減、気持ちが悪くなってしまった。
そこで今回は、『味論から目線』ということで書くことにした。
男性の読者は、自分が”味論”という男性になりきったつもりで、女性の読者も“彼女”になったつもりで読んで頂きたい。
『遠い春、遠い背中。』
キャスト:味論
目を覚ますと、雨。
それはそれで、相応しい天気なのかもしれない。
別れの日なんてこんなものだろ。
3か月前──。
彼女「私…、 オーストラリアに行くことになったんだ」
横浜の場末の喫茶店で、唐突に彼女が切り出した。
付き合って5年。
俺は地元の横須賀、彼女は東京でひとり暮らしの”プチ遠距離恋愛”だった。
付き合う前から彼女は海外で仕事がしたいってことは知ってたし、俺も嬉しかったけど、それは同時に二人の”別れ”を意味するのものだった。
“頑張ってこれからも遠距離で付き合おう”なんて話は、お互いの口からは一度も出なかった。
もちろん、別れたいなんて思ってない事は分かってる。
でもオーストラリアは……遠すぎる。
9月の終わり。
今日が”最後のデート”の日。
あす出国する彼女に合わせて、東京の洒落たレストランでも予約しようとしたが、彼女の強い希望もあって、二人の出会いの場所でもある横須賀で待ち合わせることになった。
雨の横須賀中央駅に、いつもの彼女の笑顔が映る。
なんだか不思議な緊張感のまま、思い出の街へと歩き始めた。
彼女「そうだ、”天国”に行こうよ?」
味論「あぁ…いいね、それなら今の時間からも入れるし」
『天国(てんくに)』
昼から飲める店は横須賀に結構あるのだが、ここはその中でも酒好きの俺たちを満たしてくれる一番お気に入りの店だった。
店内には、長いカウンターと奥にテーブル席がある。
他にお客さんも少なかったのでテーブル席に座らせてもらった。
彼女「あ! ニンニク揚げが食べたい!」
彼女はここの「ニンニク揚げ」が大好きだった。
女将さんへ無邪気に注文をする彼女を見てると、つられて俺も好物の料理をどんどん注文した。
いつもの美味しくて、楽しい時間。
これが今日でおしまいだなんて…、 俺は思わず声を出してしまった。
味論「…あのさ」
彼女「え?」
味論「いや…、 何でもない」
彼女「……うん」
平日の昼下がり。
客がいなくなった広い店内は、静寂で包まれた。
おもむろに、彼女が普段吸わない煙草を吸い始める。
これは緊張してる時にする彼女の行動だ。
余計なことを言ったな。
暫く、ぎこちないトークをして店を出る。
雨が止んでいたのが、少し二人の気分を和らげた。
トンネルの様なビルの抜け道を通った。
“色の無い彼女”を、君のいない明日からの虚空と照らし合わせないように目を背ける。
トンネルを抜けると、すぐ目の前に『相模屋』という店がある。
この店は立ち飲み感覚で、店先で直ぐに焼鳥が食べることができる。
味論「焼鳥、食べよっか?」
彼女「うん!食べたい!」
ここの焼鳥は、焼き上がった順にタレを付けて次々と積まれる。山の様になった焼鳥同士が熟成されるのか、出来たてより遥かに美味しい。
そして、山積みの中から自分で好きな焼鳥を選んで食べれるのもまた嬉しい。
なにより、さっきまでの気まずいムードを、ほんのり暖かい焼鳥の美味しさが紛らわしてくれたのだ。
しばらく横須賀の街を散策して、だいぶ日も暮れた頃。
いよいよ”例の店”に向かう。
“例の店”とは『大衆酒場 ぎんじ』という店なのだが、ここは彼女と初めて出会った場所。
ここのカウンターで一人で飲んでいた時に、たまたま隣の席に座っていたのが彼女だった。
何となく話しかけたのをきっかけに意気投合。それから5年も付き合うとは思ってもいなかった。
『初めて出会った場所でお別れをする…』
なんて、ちょっと出来過ぎたドラマの様だったが、きっと彼女もこの街で一番思い出がある場所と言ったらここだと答えるはず。
楽しいひとときと、
そして、
二人で”最後の時間”が始まる。
彼女「あの煮込み、食べよっか(笑)」
味論「あー、アレか。懐かしいな(笑)」
二人が笑った理由。
それはここの『煮込みの味』にある。
正直、煮込みなんてどこ行ってもそんな大差なんてないし、逆に言ったら”ハズレ”を引くって事なんかない。
ただ、ここの煮込みは”タダ者”ではない。何と表現したらいいのか…、 二人で初めて食べた時はその独特の味付けに絶句し、それ以来、口にすることはなかった。
味論「うわぁ~…!」
彼女「あ~! この味!(笑)」
煮込みの味はあの時とひとつも変わらず、また二人を悶絶させた。
ただ、この味のお陰でやっと朝から張りつめていたものは無くなり、他愛もない思い出話も弾んだ。
そして気がつくと、初めてこの煮込みを食べた頃の二人に戻っていた。
やっぱり、忘れる事なんかできない──。
味論「…あのね」
彼女「え…?」
味論「やっぱり、俺たちこれからも…、」
彼女「今、オーストラリアって”春”なんだってさ」
俺の話を断ち切り、少し大きな声で彼女が言った。
彼女「日本からすっごい遠いけど…、 同じように桜も咲いてるのかな」
俺は、ゆっくりと息を吐いて言った。
味論「……うん、 きっと綺麗に咲いてると思うよ」
彼女だって、別れたくなんかない、大事な思い出のままにしておきたいんだ。
最後に、俺への精一杯の優しさだったかのかもしれない。
もう、二人に言葉はなかった。
彼女はまた、
煙草消し、
満面の笑みで
「じゃあ…、 元気でね」
とだけ言って店を出て行った。
ひとり店に残された俺は、心の中でもう”ひとりの自分”に必死で言い訳をしていた。
“やっぱり、日本から遠すぎるよな”
“6800キロもあるんだってさ”
“さすがに…、その距離は埋められないだろ?”
“まあ、仕方がないじゃん”
“そうだよ、
仕方がない”
──でもこんな終わり方、 やっぱり嫌だ。
店を飛び出すと、さっき止んだはずの雨がまた少し降り始めていた。
大雨だったらよかった。
そしたら、
後を追わなかったのに。
走って駅へ向かうと、彼女の後ろ姿が見えた。
追いつくことも、大声で名前を呼ぶことも出来た。
だけど、
俺はただそこに立ち尽くす事しかできなかった。
彼女の肩は小さく震えている。
いつも笑って『バイバイ』してくれた彼女は、もう、
そこにはいない。
遠いオーストラリア。
遠い背中。
さよなら。
いかがであっただろうか。
登場した店やその感想以外はフィクションであるが、ホロ苦い恋の終わりを体験頂けたのであれば幸いである。
天国(てんくに)(横須賀中央)
営業時間: [月~金] 12:00~23:00 [日] 13:00~22:30
定休日: ?
相模屋(横須賀中央)
営業時間: 13:00-21:00
定休日: 無休
営業時間: 16:00~23:00
定休日: 土・日・祝休(第4土は営業)