名城公園「堀正本店」今、その酒場に映る情景
「こんなところに……廃墟?」
酒場ナビメンバーのイカと名古屋は《名城公園駅》に訪れていたのだが、駅へ降りて最初に2人が言った言葉であった。
目の前には昔日のおもかげが漂う団地が広がり、〝渋い酒場〟の存在を予感する私たちは小躍りするものの……
何か様子がおかしい。
〝空室が目立つ〟
いや、空室どころか団地全体が無人の廃墟状態であるのが殆どだったのだ。
〝永らくお世話になり、ありがとうございました〟
うーむ……
名古屋駅からそう遠くもない立地で、突然、住人が消え去ったのか、他に何か理由があってこのような状態になってしまったのか、名古屋市政のことなど全く知らない私たちは、半開きの口で町を彷徨っていると……
《堀正本店》
廃墟団地の中にひっそりと、まるで賑わっていた頃の時代からそのまま時が止まったかのような佇まいがあったのだ。
「これ……もしかして、酒屋か?」
少し開いた引き戸の中を覗くと、薄暗い店内があった。奥には蛍光灯の明かりだけがぼんやりと光っている。
〝酒屋か……いや、廃墟の中にある幻だろうか……?〟
そんな疑念を抱きながら、とりあえず……そっと中へと入ってみた。
──シン……
「ごめ……んください……」
反応は、なかった。
「ご、ごめんくださーい!!」
「はーい」
ドキッ!!
まるで《トイレの花子さん》のような演出に、思わず震えながら抱き合う2人。
「あ、あの……ここって酒屋さんでっか?」
「ええ、そうですよ」
私たちの戦慄など露知らず、奥からは何食わぬ顔の女将さんらしき女性が出てきた。
「えっと、ここでお酒飲めますか……?」
「飲めますけど……えっ? 今から?」
時刻は午前10時前。
どうやらここで角打ちができるらしいが、女将さんの表情からこの時間から角打ちをする呑み助はあまりいないようだった。
「じゃあ、お酒は冷蔵庫にありますからね」
そう言って、店内の電気を点ける女将さん。
それまで薄暗くてよくわからなかったが、なかなか広い店内だ。
酒棚には酒以外にも、古い酒屋にありがちな調味料も多種並び、
冷蔵庫にはよく冷えていそうな瓶ビールや缶チュウーハイ、ポテトチップスに……
ポテトチップス……?
い、いやまて、もう一度見てみよう。
冷蔵庫にはよく冷えていそうな瓶ビールや缶チュウーハイ、カップ麺に……
カップ麺……?
なかなか個性的な冷蔵ラインナップではあったが、角打ちのそんな〝変わり種〟には慣れたものだ。
まずは無難に瓶ビールを引っ張り出し、《酒ゴング》で 今朝の酒場をスタートさせた。
「女将はん、なんかおつまみありまっか?」
「冷蔵庫の中の適当に出して食べてー」
やはり……あの冷蔵庫か……。
どれどれと、私たちはまた例の〝ジャック・イン・ザ・ボックス〟を物色しに行くのだった。
「味論、これなんかええんちゃう?」
《食パン》
「あー、実家の母親もこうしてたなぁ……」
「こんなんもあるでー」
《目薬》
……角打ちの冷蔵庫は〝兼・自宅冷蔵庫化〟が当たり前であるが、これほどまでにそれを貫き通しているのは、逆に清々しい。
どれが商品なのかが分からなかった為、結局、私たちはレジの近くにあった《チップスター》で手を打つことにした。先ほどのよく〝冷えたポテトチップス〟も捨てがたかったが、やはりポテトチップは常温の方がウマい。
「……向かいにあるの倉庫? やろか、でかいなぁ」
「あれも廃墟じゃねーのか?」
しばらく角打ちを愉しんでいると、新たな廃墟の存在に気づいた。
店の向かいに《丸栄配送センター》と記された巨大な倉庫のようなものがあったのだが、これもまた無人化した廃墟であった。
「女将さん、あの倉庫って潰れてしもうたん?」
「ええ、この前の6月で閉店した丸栄の配送センターですよ」
『まるえい……?』
〝お前ら、丸栄も知らんのか!?〟
と、名古屋人に怒られてしまいそうだが、私とイカは《丸栄》という名古屋では有名な百貨店の存在を、この時にはじめて知った。
いや、有名なんてもんじゃなかった。調べれば創業75年という超老舗百貨店だったのだ。
「ふふ、この店はそれより前からやってますけどね」
「えっ!?……ってことは、このお店は……」
「もう今年で80年目ですよ」
女将さんは二代目女将としてこの店へと嫁ぎ、この《堀正本店》を80年間も守り続けてきたのだそうだ。
創業当時からから《角打ち》としての営業をしており、配送センターで働く従業員の中には、仕事帰りにここで一杯ひっかけていく人もいたそうだ。
そんな〝酒場情緒〟を伺いつつも、同時に創業75年という歴史に幕を下ろしたという〝口惜しさ〟も感じながら酒をすすると、ここへ来る時に見た廃墟団地も、いっそう寂しさが滲むようだ……。
「ごめんくださーい、女将さーん」
そんな事を想い浸っていると、近所に住んでいるのであろう女性客がやってきた。
「あーはいはい、用意できてますよ」
女将さんは女性客の顔を見ると、すぐに店の奥から贈呈用に包まれた箱を持ってきて女性に渡した。
「お姉さん、それ立派な包みやね。何用に使うんでっか?」
思わずイカが、その女性客に向かって訊いた。
「もうすぐ、この近くでお祭りがあるからそれ用にね」
〝え……!? 廃墟団地でお祭り……!?〟
と、一瞬耳を疑ってしまったもののその女性客いわく、祭りが始まると〝一体どこからこんなに人が集まってくるのか?〟と思うほど、町は人で溢れ返るとのこと。もっと訊けば、数年後には廃墟団地一体も新しく生まれ変わるようだ。
なんだか、それを聞いて〝安心した〟気分になった。
包みの中身は下町のナポレオン《いいちこ》であると教えてくれた女性客を、なぜか偉そうに〝激励〟して店から送り出したのだった。
つまるところ、
時代と共に町の情景は移り変わっても、こんな酒場が残る限り、言わずもがな80年、200年、1000年と歴史は引続くのである。
〝在りし時代の忘れ物〟
そんな存在の《角打ち》と出会った──ある日の午前中であった。
「おーい、おーい」
店を出て振り返ると、なんと、女将さんは声を出して私たちを見送っているではないか。
こんな小僧呑み助に、なんて律儀な女将さんなんだ……と、手を振り返そうとしたのだが……
「お兄さん、リュック忘れてるよ」
……今は〝時代〟ではなく〝リュック〟を忘れていた。
満面の笑みで。
堀正本店(ほりしょうほんてん)
住所: | 愛知県名古屋市北区柳原2-11-12 |
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TEL: | 052-981-4428 |
営業時間: | 9:00~21:00 |
定休日: | 日曜日 |