西国分寺「ニユー西国村」忘れることもあるけれど、私、この村が好きです
『忘れる』ということには色々ある。持ち物を忘れる、言葉を忘れる、顔を忘れる──私など専ら酒に酔ってその日のことを忘れることばかりだ。他にも、痴呆症で施設に入って以来会っていない祖母は、おそらく私のことを忘れているであろう、そんな悲しい忘れもある。
ややこしいが、忘れられない『忘れる』もある。
私が中学生の頃の国語担当が非常に厳しい教師で、ことに〝忘れ物〟に関して問答無用で授業を受けさせてくれないなど、今ではコンプライアンス的に許されない〝罰〟を受けなければならず、当時の私は国語の時間だけは念入りに持ち物をチェックしていた。
──だがある日、習字のセットをまるごと忘れてしまったことを授業の一時間前に知り、顔面蒼白のまま公衆電話へ走り母親に電話を掛けた。授業開始ギリギリのところで、母親がカゴに習字セットを入れた自転車を押しながら学校へやってきた。なぜ押しながら来たかというと、高く上がったサドルの下げる方法を忘れたから、だという。とにかくあの時の焦燥感たるや、未だ忘れることはできない。
最近では、〝行こう〟と思っていてずっと忘れていた酒場があった。
『西国分寺』
天下の東京中央線でも三鷹駅を過ぎると、町の様子は一変して閑静なベッドタウンが続く。その中のひとつに西国分寺駅があるのだが、この駅に忘れていた酒場あるのだ。
『ニユー西国村』
確か……前回訪れたときは、定休日でもないのに休みで入れなかったはず。それから何かのタイミングで思い出し、やっと訪れることが出来たのだ。
〝談話室──大衆酒場〟と書かれた看板。錆びだらけの見えなくなった看板の端には、一体なにが描かれていたのかが気になる。建物自体も相当年季があり、増築に増築を重ねたような雑居ビルの造りが古き大衆酒場としての演出を盛り上げる。
提灯に光が灯っている。よし、今夜はやっているようだ。レンガ調の入口階段から2階へと上がり、戸を引いた。
「いらっしゃいませ」
広──いっ!!
店の中央には広いテーブル席と端には小上がりが数席並び、左右奥にもテーブル席と長いカウンター席もあり、厨房は学校の給食室並みに広い。〝西国村〟というだけあり、ちょっとした『村』くらいの広さはある……とは言い過ぎだが、広い店ってのはいつだってワクワクする。
「お好きな空いてる席にどうぞ」と言う女将さん。遠慮なく、すべての席が望める小上がりに酒座を決めた。
そんな広い店内には客が1グループのみ、ほとんど貸し切りのような状態。まずは酎ハイでグビりながら、通常メニューだけでもおよそ百数十種はあるだろう料理を吟味する。これだけ料理のメニューが多いと困っちゃうけど嬉しいのだ。
壁に目をやると、さらに日替わりメニューが構えている。イラストまで描いて手が込んで……ん!?
あっ!
『魔女の宅急便』のキキとジジじゃないか!
……そういえば、作中では『オソノさん』の店で赤ん坊のおしゃぶりを〝忘れた〟客に、キキがホウキで届けてあげるというシーンがあった。うーむ、ここにも『忘れる』が潜んでいたか。ちょっとブスに描かれたキキが『落ち込むこともあるけれど、私、このおつまみが好きです』と勧めてくるので、それに従い料理をオソノさんに……いや、オカミさんにお願いした。
『鰹のタタキ』
本当は、お婆ちゃん特製『ニシンとかぼちゃのパイ』……といきたいところだったが、さすがの大量メニュー群にも無かったので、好物のコイツから。パリっと焙られたタタキもいいが、この店のようにポン酢でしっとり漬からせたタタキも捨てがたい。それと鰹のタタキは、大抵薬味やワカメが添えられていて、『鰹エキス』が染みたこれらをチビチビと安い酒で呑るのが醍醐味だ。
『牛もつ鍋』
スープを張った浅い鉄鍋に、もつ、豆腐、ニラなどの野菜がどっさり。カチリと点けたコンロの炎と対峙しながら、出来上がりを待つこと十数分──
豆腐が揺れ出した位がもつの食べごろ、こうやって食べるもつ鍋は『ニコミ』とは違ってもつ肉の〝柔らかさ〟やスープの〝染み具合〟を愉しむものではない。歯ごたえのあるもつ肉をニラと一緒に食べたりや、七味唐辛子をかけたスープをもつ肉と一緒に啜るのが最高なのだ。
──よし、次は芋焼酎のお湯割りで合わせるか。
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「あはは、こりゃここに住めそうだな」
トイレへ行く途中にある座敷席の一角は、おそらく店の子供が遊ぶためのスペースとして潰されていたのだが、そのおもちゃの量や漂う生活感に思わず笑ってしまった。
──いいなぁ、この『ひとん家感』
今夜は客も少なかった為か、店全体がまるで『村』の様にゆるりとした時間が流れている。『ニユー西国村』──良い『村』じゃないか。いやはや、今まで〝忘れ甲斐〟があったというものだ。
非常に気に入ってしまったので、誰にも教えずに〝忘れたまま〟の秘密酒場にしておこう、と思ったのだが……
店の入口にある〝忘れもの〟と大きく書かれた札の下に、
山のように積まれた、忘れ物。
私以外にも、
この酒場を〝忘れたまま〟の人が沢山いるのかもしれない……
ニユー西国村(にゅーにしこくむら)
住所: | 東京都国分寺市西恋ケ窪2-5-1 |
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TEL: | 042-323-9911 |
営業時間: | 16:00~24:00 |
定休日: | 不明 |