溝の口「おばちゃん八百屋」ウマい!安い!野菜!おもしろ二毛作酒場で一盃
〝二毛作酒場〟がおもしろい。
世の酒場には、一風変わった酒場が数多く存在しており、その中でも〝二毛作〟で営む酒場に興味がある。二毛作の酒場とは、同じ店舗で一般的な飲み屋以外にも別業種で営業をする酒場のこと。たまに、昼間はラーメン屋、カレー屋などが専門というのは目にするが、珍しいところだと、クリーニング店や美容室と二毛作いう酒場もある(らしい)。いろいろ訊いたり調べたりしていると全部行ってみたくなるのだが、その話を訊いたときには「え、ほんとに!?」と、思わず声が出た二毛作酒場があった。
『溝の口』
ノンベイ界隈では有名な『西口商店街』を中心とした神奈川県川崎の一大飲み屋街である。この日は晩秋の日差しがやたらと強く、半袖でもいいくらいだった。駅前は賑やかだが、少し歩くとそこは閑静な住宅街。こんなところに、おもしろ二毛作酒場……いや、酒を出す店自体あるのかと、歩き続けること20分──ありました。
『おばちゃん八百屋』
〝ありました〟と言っていいものか、これは完全に〝ただの八百屋〟だ。店先には野菜や果物、奥の棚には生活雑貨も置いてある。どう見ても、日本のどこにでもある八百屋でしかないのだ。緑色のテント看板には〝おばちゃん八百屋〟と大書しているが、それにしてもなんておもしろい屋号なのだろう。
「おや?」と、建物の端にガラスドアの入口を発見した。やたらとカラオケの存在をアピールはしているが、中の様子を見るとテーブルと椅子が並んでおり、どうやらここが食堂スペースになっているようだ。八百屋の一角で酒を飲ませる……日本広しといえども、こんな酒場は初めてだ。そう、ここが目的の〝八百屋〟と〝酒場〟のおもしろ二毛作酒場なのだ。早く中へ入ってみたい。
ウィーン……自動ドアが開いて中へと入る。
1坪ほどの空間には誰もおらず、テーブルひとつに丸イスが6つ並ぶのみ。段ボールの切れ端に書かれたメニューが壁に貼られ、アピールしていたカラオケ機材も窮屈そうに鎮座している。「なんか、スゴイとこだなぁ……」としばらく立ち尽くしていると、八百屋との出入口から女将さんがひとり現れた。
「いらっしゃ~い! すいません、気が付かなくて」
なんとも優しい笑顔だ。どうやら、八百屋とここの食堂をワンオペで切り盛りしているらしい。
「いいんですよ。ここ座っていいですか?」
「どうぞ~、ごめんね狭くて。あ、お水出すわね」
八百屋は地域密着の客商売だけあり、二毛作酒場といえども流石の接客。弁舌トーンが、いちいち気持ちいい。酒は缶ビールと日本酒があるというので、缶ビールを注文。
缶ビールと一緒に「これ食べてね」と、お通し代わりの『里芋の煮物』を頂いた。もちろん隣の八百屋から仕込んだであろう上等な里芋は、プリンプリンと口当たりがよく、口の中でほっくり崩れておいしい。
「カレーライスでいいね?」
「えっ! あ……は、はい!」
女将さんから突然のカレーライス宣言。どうやらここはカレーライスが名物らしいので、生卵をトッピングしてそのままお願いした。他にテーブルにある段ボールメニューへ目をやると……えっ、80円!?
なんと、『オムたまご』が卵3つ使用でたったの80円という破格。おそらく日本一安いそのオムたまごを頼まない手はない、さらにメンチカツ(別皿)も一緒に頼んだ。「ちょっと待っててね~」と可愛らしい声で奥の厨房へ入る女将さん。
『メンチカツ』
小皿にはメンチカツ以外にもナポリタン、レタスにリンゴのウサギちゃんまで付いている。もはやどれが主役なのかは分からない〝二毛作メンチカツ〟だが、こんな付け添えが酒呑みには一番うれしい。メンチカツは手作り感満載で、サクッとした衣と中のジューシィな肉汁が優しい味。これが100円とは……。
「あ! 八百屋にお客さん来てますよ!」
「は~い、いま行くからね~」
ワンオペ調理中の女将さんには八百屋の様子がまったく見えず、代わりに私が八百屋の様子を伝えるという構成がいつの間にか出来上がっていた。これが3回続くと、もう私が八百屋の店番をしようと構えたが、ちょうど頼んでいたカレーライスが出来上がった。
『カレーライス』
並みサイズで頼んだはずだが、これは大盛り……いや、特盛りレベルだ!! 圧巻のボリュームには、もちろんリンゴが添えられ、小松菜の胡麻和えまで付いている。
トッピングの生卵を割るようにスプーンを挿れると、ほわんとカレーの香りが湯気と共に上がる。スパイシーというよりは甘いフルーティーな香りだ。大胆にライスと混ぜ合わせ、トロリとしたところをひと口……ウマいッ!!
かなり甘口で、野菜との渾然具合がモリモリと食欲をそそりスプーンが止まらない。合間にビールをクーッ。八百屋で仕込んだ手作り料理をアテに、その場で飲る……ある意味、すごく贅沢なことをしている気分だ。
スプーンを咥えながら店内をよく見ると、およそ女将さんが描いたと思えない可愛らしいイラストや、ヴィジュアル系バンドのCDが飾ってあった。きっと若い客からも〝おばちゃん〟といわれ慕われているのだろう。
「暑いからクーラーつけたからね」
そう言って、奥の厨房で洗い物を始めるおばちゃん。そこから聴こえてくる〝台所〟の音を聴いていると、今度はここが母親の居るの実家のように思えてくる。そうなると、『実家』のもう一毛作を追加して〝三毛作酒場〟になるなぁ……などと想い、カレーライスを平らげた。
「おばちゃん、帰りますね」
「まぁ、食器まで片付けてもらって、ありがとうね」
帰る頃には自然と手伝いが出来るのは、きっと私だけではないだろう。久しぶりに清々しい気持ちで酒場から出て、駅へと向って歩いていると、思い出した。
おばちゃん、80円のオムたまご、忘れてたな……
ま、いっか。また、おばちゃんの手伝いに行こう。
おばちゃん八百屋(おばちゃんやおや)
住所: | 神奈川県川崎市高津区久地1-9-21 1F |
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TEL: | 044-822-2823 |
営業時間: | 7:00~19:00(食堂 12:00~18:30) |
定休日: | 日曜日(正月休み、盆休みあり) |