白楽「ふじや」美人がいる酒場…ではなく美人好きがいる酒場に美人を連れて行った話
私は〝美人〟が好きで、なるべく長い時間を美人と一緒にいることを人生信条としている。もちろん、酒を飲みに行くのも美人がいい。〝そんなのお前だけじゃねーよ〟という声が聴こえなくもないが、美人と飲む酒は格別にウマく感じるし、なにしろ、私自身の気分がいい。
美人を連れて酒場の戸をガラッと開けて店に入ると、先に飲っている先輩たちが「おっ」みたいな顔をこちらに向けてくる。そうすると、私はなるべく美人を先輩の近くに座らせて〝さぁ、どうですか〟と、 したり顔でその光景をアテに酒を飲るのだ。稀に辛抱堪らなくなった先輩が美人に話しけるが、それに対してイエローカードを出すなどはせず、やはりしたり顔でその会話をアテに酒を飲るのだ。これは恐らく何か性癖の一種なのだと思うのだけれども、つまるところ、男は総じて〝美人好き〟なのである──。
『白楽』
しろ……いや、は、はく、はくらく? 初見ではなんと読むのかが分からなかったが、なぜか前から気になっていた神奈川の駅だ。地名なのに、どことなく美人の雰囲気を醸し出しているところがいい。
ここには『六角橋』という、これまた佳麗な名前の商店街があるというのだから、そこの酒場で飲りたくなるのが酒場冒険家としての性というもの。
私はこの日、大好物の〝美人〟の妙齢2人を連れて、酒場冒険へとやってきたのだ。
『六角橋仲見世通り』
これはイイッ!! まさかアーケード街があるとは思いもよらず、道の細さ、ヤミ市跡感、屋根の年季がすばらしいではないか。普通だったらとうに取り払われているだろう昭和の遺産だ。それが何食わぬ顔で残っている様子は、この町の人に愛されている証拠である。よし、この通りで酒場を探すとしよう。
八百屋、金物屋、乾物屋……どれも溜め息が出る渋みばかりで、進んで行く度にタイムスリップしていく様だ。歩くこと西暦1960年代に遡ったくらいだろうか、特に際立った造りの建物が現れた。
『ふじや』
美人たちが、「ここ、お店なの?」と言った。さすがの私も、それに同意せざるを得ない。コピー用紙に手書きのメニュー、押すとバリッと割れてしまいそうな外壁、中を覗くと人の気配はあるようだが……
謎の古食堂で、美人と飲る……いいですねぇ。咄嗟に、私の〝性癖〟が発動した。はじめての白楽酒場は、ここがいい……いや、ここしかない。
あとで分かったのだが、この店には入り口が二つあり、ひとつは仲見世通りの中から、もうひとつは旧綱島街道沿いにあるが、初見は間違いなく旧綱島街道側からが入りやすいと思う。しかし私の性癖から、入りづらい仲見世通り側の扉から美人たちと入ることにした。サッシ扉をガラリと開けた。
「いらっしゃい」
不思議な造りの店内は、どう例えればいいのか……店に入って右に折れ、まっすぐ進むと左に折れ、そこにまた出入口があるのだ。〝カギ線型〟というのが一番近いだろうだろう。茶色く沁みた壁、尻で磨かれたイス、自由な装飾品……しっかりと仕上がっている。店には先輩が二人だけで、ほとんど貸切状態であった。
丁度、店の中央にテーブルがあったのでそこへ座った。座るや否や、美人のひとりが「あっ」と声を上げた。どうしたのかと聞くと小声で、
「傾いてる……」
と言った。
……たしかに、テーブルというか、床自体が斜めに傾いていた。古い店に行くと床が少し傾いている店はあるが、ここは半端ではなかった。ずっと座っていると、平衡感覚がマヒしそうだ……。美人と斜めの状態で向き合ったまま、まずは酒を頼むことにした。
「すいませーん、酎ハイください」
「ちゅうはい? 水で割っていいのね?」
あれ、酎ハイが通用しない……? 一般的な酎ハイの割り材はタンサンである。西日本の酒場ではよくあることだが、まさか横浜の酒場で酎ハイが通用しないとは驚いた。一応、マスターに確認しようとすると……
「酎ハイは、タ ン サ ン!」
先に飲っていた先輩のひとりが、マスターにツッコんだ。「あー、そっか」と、マスターは言って酎ハイを作り始めた。マスターは一体どこの出身なのだろうか……? 先輩にお礼を言って、しばしタンサンの酎ハイを待った。
『酎ハイ』
グビッ……グビッ……暑い日だったのでこいつはウマい。タンサンもしっかりと効いている。
グラスをテーブルに置くと、やはり少し傾いているのは気になるが、それは倒さぬよう〝斜め酎ハイ〟を注視するとして、次は〝斜め料理〟を頼みましょうか。
『煮込み』
おぉ、これはいい! つんもりと盛られた煮込みは見るからにウマそうだ。血色の良いモツ肉、大根、人参、コンニャクのシンプル煮。ネギがぱらりと掛かかり、これに性別があるなら〝女性〟だろう、それも窈窕淑女だ。味も女性らしく、具はどれも柔らかな歯触りに、あっさりとした美味なる仕上がり。
「これ馬刺しね」
「あ、ありがとうございます」
続けてマスターが馬刺しを持ってきてくれたのだが、よく見るとギョロリと〝目力〟があり、ちょっと怖そうだ……。寡黙そうだし、ここは大人しく飲りますか……
『馬刺し』
「きゃー、おいしそう!」と、言っている傍から金切り声で歓喜する美人たち。しかし、このビジュアルでは無理もない。スタイル抜群の赤身にしっとりとサシが入り、これまた凛とした美人の馬刺しだ。
うれしいのが付け添えの生姜の量。チューブだったら一本分くらいある特盛りだ。それを馬刺しに惜しげもなく乗せ、スルリと口に入れる──肉々しい赤身の野趣あふれる味に、ほんのりと旨脂のアクセントが堪らない。これは憚りもせず、大声で言おう──〝馬いッ!!〟
『刺身盛り』
色使いが美しい、まさに美人盛り! イカ、マグロ、北寄貝、そしてなんとアワビ……! 見るからにズッシリと量もタップリだ。イカのシコシコ食感、マグロは脂がたっぷり蕩けそう、北寄貝はクニュっとした食感が堪らず、アワビは肉厚でクリコリ感が最高。「超おいしい!」と、美人たちの評判もいいが、さらにこの平皿には〝お宝〟が潜んでいたのだ。
『アワビの肝』
アワビの殻の横に潜んでいた肝。見た目は不細工であるが、こいつはまさにお宝なのだ。これを醤油皿に落とし、箸で潰しながら醤油と絡める──『肝醤油』の完成だ。
「この肝醤油で、さっきの刺身を食べてごらん」
「えー……これを?」
見た目の悪さに躊躇する美人たちだが、アワビの刺身をそれに潜らせて、思い切って食べてみると……
「すごい!! ほんとにおいしいっ!!」
不細工をウマそうに食べる美人、いいものですねぇ。それを見た私も、辛抱堪らずイカ刺しを潜らせて喰らう──ンまいッ!! まったりとした肝の苦みにイカの新鮮な歯触りが文句なしに合う。他の刺身でも試したが、どれも五割増しでウマくなった。いやぁ、しかしこれは上等なものだ。この店からは想像もつかない料理のギャップ、驚きとおいしさで皆、興奮状態である。
「おいしいですか?」
鋭いと眼力が光った。気が付くと、マスターが私たちのテーブルの横に立ち、話しかけてきたのだ。急にどうしたのだろうか……もしかして、ちょっとはしゃぎ過ぎたか……?
「えっ、はい、おいしいです!」
私が恐縮して返すと、マスターの目線は違うところにあった。辿ってみるとその先には、美人たちが居た。
「二人ともキレイだねー。芸能人とかなの?」
「えー、あたしたちの事ですか? 違いますよ~♪」
「いやいや、ほんとに美人さんだよね!」
「うそ~? やばい、超うれしいんだけど!」
堰を切ったように、美人たちに畳み込むマスター。さっきまでの寡黙なマスターはどこにいったのか……その流暢な〝褒めっぷり〟に、美人たちもかなり気分がよさそうだ。それ以上に気分がいいのか、マスターは合コンの自己紹介の如く、自分の話をしてくれたのだ。
熊本・天草出身のマスターは、上京してから小金井に住み始めた。それから中野、御茶ノ水と中央線を住み移り、辿り着いたのがこの白楽だったという。
「飲食業を始めたのは、この店が最初。前の職業?……まぁ〝お堅い仕事〟ってやつかな。ははは」
美人たちがいくら尋ねても、前の職業だけは笑って濁すマスター。公務員か学校の先生あたりだったのだろうか……確かに、ここの仕事ぶりを見ていれば、その堅実さは伝わる。とにかく話好きのマスターの饒舌は止まず、結局は一時間以上ここで居続けてしまった。マスターなど、まだ話し足りなかったようで〝店を閉めるからこのあと一緒に飲みに行こう〟とまで言い出し、最後まで愉しませてくれた。
「端数いらないからね~」
と、マスターが差し出した会計表の料金をみると〝5,600円〟と記されていた。
「え、これの端数って600円ですよ……?」
「そう! 5,000円でいいから。あと、お願いがあるんだけど……」
こんなに愉しませてくれて、さらに600円もサービスしてくれるのだから、ここはマスターのお願いを聞かない理由はない。しかし、マスターからのお願いとは一体……
「写真を撮らしてもらってもいいかな?」
「えっ、あたしたちの!?」
なんと、美人たちに写真を撮りたいとのこと。酒場で店主や女将さんの写真を、こちらからお願いして撮らせてもらうことはあるが、逆にこちらの写真を撮らせてくれというのは初めてだ。
美人たちが了承すると、マスターはわざわざ奥からデジタルカメラを取ってきて、なんともうれしそうな顔で美人たちにレンズを向けた。
「じゃあ撮るね~、ハイ、チーズ!」
美人たちもまんざらではない様子で、ポーズを決めて撮られまくる。そして撮った画像を確認しながら、何度も「いいねぇ~、美人だね~」とご満悦。
これはあれだ。
このマスター、私と同じ〝美人好き〟だったのだ。
いや、私よりよっぽど美人好きだ。仕事中だろうが〝美人だな〟と思えばカメラに収める行動力──悔しいが、これは〝美人好き〟の端くれとしてマスターを見習わなければならない。
親近感とお礼を伝えて帰ろうとすると、マスターは極め付きにこう言った。
「この写真、店に飾っていいかな?」
さすが、最後まで〝美人好き〟の手は抜かない。もちろん、快諾して店を後にしたのだ。もしかしたらその写真が飾ってあるかもしれないと思うと、次に来る時が楽しみだ。
〝美人がいる酒場〟はたまに聞くが、〝美人好きがいる酒場〟はここがはじめてであった。自分が美人だと思う方は、是非こちらへ試しに行っていただきたい。
そして、もしこのマスターの御眼鏡に適う美人さんがいましたら、この美人好きと一献……いや、二献、よろしくお願い申し上げます。
お食事処 さしみ ふじや(ふじや)
住所: | 神奈川県横浜市神奈川区六角橋1-11-18 |
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TEL: | 045-421-5527 |
営業時間: | 11:00~22:00 |
定休日: | 不定休 |