新中野「とんかつ丸福」町とんかつでもっと飲ろうぜ
あのね、先日久しぶりに、町とんかつで飲ってきた話なんだけど……え? 〝町とんかつ〟って何だって? 町とんかつ、知らないのか……
町の蕎麦屋で飲る、うどん屋で飲る、喫茶店で飲る……今だと中華屋で飲る〝町中華〟が流行っているが、中でも私が最近好きなのが、とんかつ屋で飲ることだ。
まず、油の使う量が他とは桁外れで違うから、店自体の趣がいい。油で沁みた暖簾や看板、店内の天井や壁も、すっかり油焼けしていい感じ。そこで、とんかつ定食を食って「はい、ごっつぉさん」……なんてことはしない。刺身、焼鳥、煮込みなんていう一般的な酒場のようなメニューを揃えているところがあるのだ。
はじめはそいつで軽ぅくビールに刺身をアテて、そこからとんかつ単品でチビチビ飲る。あくまで、とんかつのみが主体となっていないこと、べらぼうな料金設定ではないことが〝町とんかつ〟のディフィニション。あと、昼から飲れるのもベリィグゥド。
町とんかつ、いいでしょ?
『新中野』
ご存じ『ソフト・オン・デマンド』のおひざ元である新中野に、前から目を付けていた〝町とんかつ〟があった。駅から出て、ちょっと小道に入ったところに在るのだが……
『とんかつ丸福』
ね? いい、雰囲気でしょう。私は、この蛍光イエローに真っ赤な文字で〝とんかつ〟と大書された素敵看板にやられて、そこから気になっていたのだ。
店構えが、ちょっとした小割烹のようなのもいい。店先の手書きメニューには〝〇〇刺し〟に〝〇〇焼き〟などと、すでに町とんかつとしてのアピールをガンガン放ってきている。
よし入ろう、すぐ入ろう……!
ガラガラガラ……
文句なしの、プル・ドア・サウンズ。
おほっ、油焼けした天井に壁、やっぱりいいですねぇ……と、浸る間もなく、先に飲っていた先輩らから大注目。これは、明らかに常連の店のようだ。
「空いているところどうぞ」
厨房に大将、お運びは若大将の二人で切り盛りしているようだ。先輩の視線を感じながら、私はそこと少し離れたところへ酒座を決めた。
カウンターからの景色も、たまらねぇなぁ。どれどれ、まずは瓶ビールで独酌宣言といきますかね。
「昔は、そうだったじゃねーか」
「あはは、懐かしいな」
注目先輩二人は、なにやら昔の話をして盛り上がっている。七十代くらいだろうか、自分もこんな風に、相方と町とんかつで飲りに来られたらいいけどなぁ。
『瓶ビール』
あらまぁ、可愛らしいカマボコのお通し付き。蕎麦屋などでもそうだが、酒を頼むとちょっとしたオマケを付けてくれるからうれしい。
ングッ……ングッ……ングッ──パシュゥ、うんめえ。ちょっと油っぽい香りに包まれながら飲むビールは、なんておいしいのでしょう。
さぁて、続けてとんかつを……ではないのですよ。町とんかつでは〝かつ前〟といって、ちょっとアテをつまむのがいいのだ。それも、あまりとんかつ屋とは所縁のないアテほどいい。
『シメ鯖』
とんかつ屋でシメ鯖! しかし……なんて美しい盛り付けのシメ鯖なんでしょう。薬味にはしょうが、みょうが、ワカメに穂紫蘇と盛りだくさん。
身はムチっとした食感に、あっさりとした漬かり具合がたまんねぇ。これが本当に、とんかつ屋の業なのか……? 正直、シメ鯖が謳い文句の酒場より、はるかにウマいぞ。
「昔は牛丼が190円で、ウマくて安かった」
「俺の行ってた喫茶店のコーヒーは100円だったぞ」
「中野の立そば屋、一杯40円で最高だったよな」
「ラーメンが100円なんて時代もあった。一応、ラーメンの味はしてたな」
先輩らは、昔の飲食店の話をしていた。そばが40円、ラーメン100円……? 実はすごい貴重な話を聞かされているんじゃないかと思ってきた。と、そこへ……
「お待たせしましたー」
「うっひゃ」
『とんかつ(単品)』
来た来た来たぁ……! もぉう、なんてイイ色をしてるの君は! やっぱり、専門の料理になると、仕上がりがまったく違う。画ヅラだけで〝カリッ〟と音が鳴ってきそうな見事な仕上がり。どれどれ、まずはワレメさんを拝見させていただくよ。
いいねぇ……いや、すごくいいねぇ。肉の厚み、衣の厚みのバランス、その隙間からは旨香りが、ほわぁんと鼻孔をくすぐる。
ソースをダラリ、キャベツにもダラリ。それでは、いただきます。
サクッ──
店中に衣の音が響き渡る。ウンメェ……ウンメェ過ぎる。何とも言えない衣の味に、ふっくら柔らかく仕上がったロース肉、これぞプロの味だ。
とんかつに添えられているキャベセンてのは、なんでこんなにウマいんだろう? 濃い目のソース味が、箸休めの漬物的なものだろうか、そこへビールをキューッて、また。とんかつに戻ってキューッて……最高ですよ、町とんかつ。
誰が何と言おうと、ここは間違いなく、アタリの〝町とんかつ〟だ。とんかつ、豚肉、最高──
「オレなんか、豚肉が嫌いじゃん?」
ブッと、思わずとんかつを吹きそうになった。声の元は、例の先輩の一人からだった。とんかつ屋に来ておいて、よく言えるなぁ……と思っていたが、よくよく聞いていれば、戦後間もない時の豚肉は、そうとう臭かったらしく、それをいつも食べさせられていたので嫌いになったとのこと。
そこへ、店の若大将が話に割って入ってきて言った。
「アクが出にくい豚肉があって、それは本当においしいですよ」
ほほう、さすがとんかつ屋だ。そんな豚肉があるのか……ってことは、ここの肉もそうなのか? 先輩と若大将は、さらに続けた。
「アクの違いねぇ。まあ、母親が料理下手ってのもあるけど」
「アクというか……なんて例えたらいいですかね……」
「あれか、インド人と日本人の体臭が違うみたいなことだろ?」
「ははは! じゃあ、日本人は漬物臭いってことですね」
若大将、おもしろいこと言うじゃない。
「結局、育った環境が違うからな」
先輩、それSMAPの曲じゃない。あなた、好き嫌いはだいぶイナメている方ですよ。
すると、いままで黙々と作業していた大将が、突然会話に入ってきて言った。
「やっぱり、牛肉が一番おいしいよ」
ドッと沸く店内。私も、笑いを堪えるのがやっとだった。大将がそれを言っちゃあ、お終めぇだよと思いつつ、それでもとんかつ屋を営っているところに、甚く好感が持てってしまうのである。
フフフ……そういえば、とんかつ屋なのにシメ鯖だって相当ウマかったよな。
今度は、牛肉の話でも訊きに来よう。
とんかつ丸福(とんかつまるふく)
住所: | 東京都中野区中央4-1-7 |
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TEL: | 03-3383-8201 |
営業時間: | 11:30~21:00 |
定休日: | 木曜日 |