大井町「だるまや」ノンベイひとり、苦手料理が好物になる瞬間
だいぶ前になるが、『魚釣り』にド嵌りしていた。初心者なのに、初めからハイエンドの竿、リール、仕掛けを買いそろえ、極めつけは釣り場に行くために三十五歳にして車の免許を取得したほどだ。完全に〝形から入るタイプ〟なのだ。
ただ、私には〝釣りの神様〟がまったく憑いていなかったらしく、どれだけいい釣り具を使おうが、有名な釣り場へと車を走らせようが、いつもボウス(釣果なし)だった。水たまりに釣り糸を垂らしていた方が、まだ釣れていたかもしれない。そんなのを繰り返していると、いつしか「オレ、何してんだろう……」と熱が冷めていったのだ。
そんな釣れない釣り人でも、たまに〝入れ食い〟になることもあった。走りまくる鯖が入れ食いだったのは面白かったし、『イワシ』の群れに当たった時も興奮した。〝サビキ〟という、針のたくさん付いた仕掛けを海に沈めると、餌もないのに食らいついてくる。みるみるバケツはイワシで溢れかえり、意気揚々と家に持ち帰った。
ただ、持ち帰ってみたものの、どう捌けばいいか分からない。悲しいかな、魚を持ち帰ることがほとんどないのだ。YouTubeを見ながら見様見真似で捌いて、なんとか『刺身』と『つみれ汁』を作ることができた……と、思っていた。
不味い……世界一、不味いっ! 強めに醤油を足そうが、生姜でごまかそうが、圧倒的な生臭さがそこに存在していた。完全に、内臓の下処理がマズかったのだ。そのあと数日間、私の部屋はイワシの生臭さが纏わりつき、それがトラウマでイワシ料理が苦手になってしまったのだ。
いや、イワシはまったく悪くない。悪いのは私の無知だ。
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つい先日、京浜東北線の『大井町』に用があり、その帰りに飲っていくことにした。呑兵衛の街で有名な大井町は、どこを歩いていても魅力的な酒場が目に入ってきて困る。軽めに『まえかわ』や『臚雷亭』なんかで立ち飲んでもいいが、ちょっと腰をすえて飲りたいのもある。新規開拓と、しばらく歩いていると……
いわし? いわしって、あのイワシかい? 突然現れた古提灯には、ドドンっと〝いわし料理〟と大書されている……いや、待て!
提灯だけじゃない、テント看板にも藍暖簾にも、これでもかと主張しているじゃないか。イワシにだるまとは一体……。イワシには前述の通り〝嫌な過去〟があったが、これは興味しかない。よし、中へ入ってみよう。
「いらっしゃいませ」
おっほほ、店内はイワシみたいに細長い。数席のカウンターと奥には小上がりがあるだけの小さな店内。先輩一人がしっぽり飲ってらっしゃるので、遠慮してその反対に着席。一見には、ちょっとアウェイ感のある酒座だ。これは大人しく飲るが吉。
「瓶ビールください」
「はいよ」
ツイッ、ツイッ、ツイー……、うめぇですな。まずは『633』で、喉慣らし完了。さぁて、あれだけ〝いわし料理〟と推しまくっていたからな、どれだけイワシのメニューがあるのかと、目の前のメニューを見た。
刺身、たたき、ぬた……ユッケに塩焼きに、お、丸煮もあるのか。なるほど、さすがに豊富だな。
あとは、つみれ揚げ、つみれステーキ、蒲焼丼──って……えっ、ここに書いてあるの、全部がイワシじゃないか!? 数えて四十以上……イワシってこんなに料理のバラエティがあるのか……こりゃもう、他のメニューは置いておこう。イワシ一本でいったらんかい!
『イワシ刺身』
うぉぉぉぉっ、これがイワシの刺身だって!? 手始めにと軽い気持ちで頼んでみたが、なんちゅう迫力なんだ……そもそもイワシといっても、ここのはかなり大きいサイズのようだ。
ふおっ、脂のノリも半端ではない。眩しいくらいに脂で輝いている。辛抱たまらず、ひと口……うんめぇ! こんなに脂がノっているイワシなんて初めてだ。舌にのせた瞬間に、すーっと溶けて、超絶濃厚なイワシの旨味が口いっぱいに広がる。
『イワシ唐揚げ』
これも、まったく想像を超越したビジュアルだ。衣はだいぶ黒いが、このしょっぱくて香ばしい匂いはなんだ。出来たての煎餅みたいだ。
「カリリッ──!!」かじると、めちゃめちゃいい音が鳴る。ちょっと味の付いた衣はやはり煎餅のようで、ほこほこの柔らかな身とそのクランキーな衣が混然として絶品に至る。イワシの唐揚げ……いや、私の総合唐揚げランキングでも、五本の指に入るだろう美味だ。
「タコブツちょうだい」
「はいよ」
横で先輩が、タコブツを頼んだ。いつもだったら「こっちもタコブツを……」と、真似して頼んでいただろう。ただ、今夜のワタシはイワシだ。頭の中がイワシでいっぱいになっているのだ。そして遂に、あれなるものの登場だ。
出たぁ……イワシの『つみれ汁』だ。うん、ウマそうだ。私が作ったあの忌まわしいつみれ汁とは、完全に別のモノだ。ここ数年は口にしてこなかったが、ここのならもしや……? 意を決して、数年ぶりのひとくちジュルリ──
ぐむっ……!?
ななな、なんちゅうウマさだっ……!! 思わずつみれを二度見、これは別次元のつみれ汁だ……!!
新鮮なイワシのすり身からは、ムチムチっと弾ける食感とかなり荒く〝骨〟を感じるのだが、この骨感がとてつもなくウマい。ザリっとした骨とムチリすり身のコントラストが、とにかく絶妙のひと言。生姜の効きもよく、口に含む度に「うんまぁ……」と、ため息のように言葉が漏れる。
あの苦手だったつみれ汁が……明言しよう、私はつみれ汁が大好物になった。
「はい、タコブツね」
「おっ、大きなタコ。うれしいねぇ」
先輩の元へ、タコブツが届いたようだ。このイワシを前に、あえてのタコブツとはさすがの常連といったところだが……大きいタコだろうがイカだろうが、今夜の私にはイワシしか見えない。店先に〝これでもか〟と掲げられていた〝いわし料理〟の名に、一寸の偽りなし。ここは最高の〝イワシ酒場〟だ。
イワシよ、今まで勘違いしてすまなかった。これから率先して頼むことにするよ。それと、これを機にもう一回釣りをはじめてみようかな。
まぁイワシは好きになっても、こればっかりは釣れないんだろうなぁ……
だるまや(だるまや)
住所: | 東京都品川区南品川6-11-28 |
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TEL: | 03-3450-8858 |
営業時間: | 17:00~24:00 |
定休日: | 日曜・祝日 |