八王子「一平」今日は何かな?先輩に教わる酒場の〝献立〟考察記
これはちょっと、どうかとは思うのだけれど……ひとりで飲ろうって酒場に行きますよね? それから店先で「こりゃいい外観だ」とか、酒場の中に入って「いい渋み、出してまんなぁ」とか、まずはカウンターや照明の雰囲気を楽しみます。で、座って酒飲んで料理食ってウマいなどと、心の中で感激するわけだ。
〝どうか〟というのは、ここから。隣に先輩が座って来たとする。まぁ、ひとり者同士で、馴染みでもなければ特に話すなんてことはない。私もひとりであれば、極力静かに飲りたい。流行病もあって、知らない人と至近距離でしゃべるのは控えた方がいいだろう。ただどうしても、その隣人らで気になってしまうことがある。それが──
アテの〝献立〟だ。
友人と大人数や家族が酒場で頼む料理なんてものは、たかが知れているが、オジサンがひとりで酒場にやってきて、アテの献立をどう組んで飲るのか──大変興味があるのだ。六、七十歳の男ひとりだと、大抵は冷奴やモツ煮でチビチビと飲っている。たまに、唐揚げや山盛りポテトをホクホク顔で食べる老輩や、お新香だけで何時間も粘る強者もいる。財布と相談しながら、シコシコとやり繰りしている姿が、なんとも健気だとは思わないだろうか。
ある意味、その献立で飲る姿が、私の献立になっているのかもしれない。
二十年前に、初めて『八王子』へ訪れた時のこと。友人と二人で朝まで飲んで酔っ払い、気が付いたら線路脇の草むらをベッドに朝を迎えていた。よく考えたら、八王子へ行くのはそれが最後だった。最近になって、八王子は昼から飲れるところが結構あるということに気が付き、さっそく二十年ぶりの町へと赴いたのだった。
駅から出て少し歩くと、いい具合の酒場街があった。思った通り、昼飲りをしている先輩らが店先々に見えて、どこも活況だ。いいですねぇ、八王子……おっ!
巨大看板に〝酒蔵 一平〟と大書された迫力の看板があった。瓦屋根の軒下に、いくつも小さな赤ちょうちんが可愛いらしい。
へへぇ、純酒場にOHSがあるとは珍しい。立て看板には〝朝10時~〟と、嬉しい文字列。この酒場を素通りする勇気は私にはない。自動ドアのボタンをトトトンと、軽やかに押した。
「はーい、いらっしゃいませー」
おっほーい、いいですねぇ! 左手にカウンター数席、右手にテーブル数卓と、奥には広めの小上がりもある。
数人の女将さんらで回しているようで、古いけれど小ぎれいな店内は、タイミングよかったのか人影は疎らだ。ナイスタイミングというやつだ。カウンターの一番奥に、七十代後半の先輩が独酌していたので、その隣に酒座を失敬。さーて、何から始めましょうか。
「はい、マグロブツできましたよー」
えっ、そっちが先!? 席に座ってさっそく女将さんに『マグロブツ』とホッピーを頼んだのが、酒より早くアテが届いた。初めての経験だが、食べてみて納得。
ザクゴロと切り付けられた鮪塊は、ヒヤリと新鮮な舌ざわりに蕩けるような旨味が堪らないではないか。なるほど、恐らく推しメニューなので、たくさん用意しているので早く出てきたのだろう。よしよし、次こそ酒に飛び込もうか。
グビリッ……グビリッ……イッペ……、ウマイッペー!! 酒のひと口目はビールもいいが、やっぱりホッピーもいいですよ。なんか、これから酒場で飲むぞ!っていう気になる。
ふと、先に飲っていた左隣の先輩のカウンターに目をやると、633と焼きそばが並んでいる。おそらく、飲りはじめて三十分といったところか……ずいぶん長持ちだが、次に何を頼むのかが気になりはじめている。
おおっ、これが〝宝石箱〟ってやつか! そこへやってきた『酢の物盛合』の豪華さよ。エビ、コハダ、ホッキ貝、タコにそれと……
ホタテ様までいる! 私はお酢が大好きで、何にでもお酢を掛けて食べるからこれはウレシイ。マグロブツと同じくどれも新鮮で、かつ、お酢の締まり具合も丁度いい……うん、こいつはマジでウマいぞ。
「メガハイボールと、お新香ちょうだい」
酢の物に歓喜していると、今度は右の席に新しく先輩が座った。席に座ってハイボールを頼むまでの流れに、まったく無駄がない。六十歳半ばくらいか、かなりの常連と見受けられる。
左右、先輩に囲まれた。ちょっと緊張する。電車で女子高生に挟まれた時ほどでもないが、緊張するなぁ。左の焼きそば先輩は、未だ焼きそばのみ。もう紅生姜しか残っていなけど、どうするんだ……?
「おまちどーさまー、ホタテバターできましたよー」
料理を運んでくる女将さんの、〝できましたよー〟っていうのが和んじゃう。バタァの香りがぷわぁんと鼻に過り、目の前には丸々と太った『ホタテバター』が配置された。
オレンジのデカ卵巣の付いたホタテは、箸で持つとググッと重い。ムシャリと食らいつくと、肉感が口の中で弾ける。貝柱の極濃うま味、デカ卵巣の淡白な味わいをバタァがまろやかに包み込む……
「ごっそーさん」
エッ、うそ!? もう飲り終わったの……!?
時間にして二十分経ったかどうかで、右隣りのメガハイ先輩は会計を告げたのだ。結果的に頼んだのは、メガハイとお新香だけ……お小遣いが足りなかったって感じでもなかったが、こんな飲り方を間近で見たのは初めてだ。メガハイ先輩は、女将さんに金を渡し、残ったメガハイを一気に飲み上げて出て行った。
「忘れもんないようにねー」
「大丈夫さ」
なんだかカッコイイ……それに引き換え、左隣の焼きそば先輩ときたら、一時間近く焼きそばだけで……
「モツ煮と冷奴ちょうだい」
なんだとっ!? あの焼きそば先輩が、追加料理だって……!? てっきり、こちらもそのまま会計だとばかり思っていたが、意外や意外。急に食べたくなったのか、それともこれが焼きそば先輩の〝献立〟なのか……届いたモツ煮と冷奴をウマそうにビールで流し込む姿が、自慢げにみえた。
くやしい……私は厭な性格ですよ。だって、焼きそば先輩に自慢したくなってきたもの。
「天ぷらできたよー」
ほーら来た、『天ぷら盛合わせ』で勝負しようじゃないか! 見てくれ、この黄金の衣の輝き……エビ、キス、イカ、ナスにピーマンまである、要するにフルセットだ。そら、830円もする高級品ですからね!
カリリッとした衣が破けると、エビのプリリ食感、キスはホククと安定のウマさで、野菜たちもシットリ汁ジュワリといい感じだ。どうですか、焼きそば先輩? 昼から刺身とバター焼き、天ぷらで飲るという私の献立は。自分で言うのもなんだが、結構いいセンスしてると思っ……
「樽酒の冷ちょうだい」
えっ、樽酒……冷……?
「冷ね、ちょっと待ってて」
升にグラスが入った冷酒は、すぐに焼きそば先輩に届き、それをほぼ一気に飲み干したのだ。
やはりそして……
「お会計して」
「はーい」
焼きそば先輩……いや、樽酒先輩は女将さんに千円札を二枚渡し、釣銭を受け取り、スッと出て行った。無駄のない、見事な去り様だった。
なんか負けた……勝負に負けた気がする。優勝はやはりメガハイ先輩だろう……いや、そもそも勝負ってなんだって話だが、彼らの見事な〝献立〟に感銘したのは間違いないのだ。
二十年ぶりの八王子で、何をしているのだろう……と、カウンターに残されたのは、中年男と天ぷら盛合わせだけである。……まぁ、草むらをベッドにするよりはマシにはなったのかもしれない。
一平(いっぺい)
住所: | 東京都八王子市東町11-5 |
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TEL: | 042-644-8512 |
営業時間: | 10:00~00:00 |
定休日: | 年末年始 |